どうやらエドマンドの予想以上に、ファニーは正しいようだった。みんなの希望に合うような芝居を見つけるのは、そう簡単なことではないとわかったのだ。大工のクリストファー・ジャクソンが指示を受けて部屋の寸法を測ったりしたが、
じっさい、配慮すべきことがあまりに多く、みんなを
悲劇をやりたがっているのは、バートラム姉妹とヘンリー・
ファニーは耳を傾けながらこれを眺めていた。どうやら誰も彼も自分のことしか考えていないようで(みな程度の差こそあれ表に出さないようにはしていたが)、そんな様子を観察するのはなかなか面白かった。ファニー自身の気持ちとしては、
「これじゃあダメだ」とうとうトム・バートラムが言った。「ぼくらはおそろしく時間を無駄にしてるよ。何か決めないと。何でもいいから、とにかく何か選ぼう。選り好みしてちゃダメだ。少しくらいチョイ役が多かろうと、尻込みすることはない。一人二役にすればいいんだから。少しは妥協しなくちゃ。つまらない役なら、それだけぼくらの裁量の余地が大きくなるってことだしさ。今この瞬間から、ぼくはもう文句は言わないことにするよ。喜劇でありさえすれば、ぼくはどんな役だって引き受ける。喜劇にしようよ、それ以上の条件は付けないから」
そして、もう5度目くらいになるが、トムはまたまた『法定相続人』を提案して、自分はデュバリー卿とパングロス博士のどちらを演ろうかと考えてみたり、「他に悲劇っぽい登場人物の役もいくつかあるんだよ」と言ってみんなを熱心に説きふせようとしていたが、あまりうまくいかなかった。
説得もこうしてムダに終わり、一同は黙り込んでしまったが、その沈黙を破ったのはまたもやトムだった。彼はテーブルにたくさん積み重ねられていた芝居の台本の中から一冊取り上げ、ひっくり返してみると突然「あっ!」と叫んだ。「『恋人たちの誓い』2だ! レイブンショー卿のところでもできたのなら、ぼくたちもやったって構わないだろう? なんでいままで思い浮かばなかったんだろう? まさにうってつけの芝居だってピンときたよ。みんなの意見はどうだい?──イェーツとクロフォードには悲劇系の大きな役が2つあるし、ぼくにはだじゃれ好きな執事の役があるし──もしだれもやりたくなければだけど──端役だけど、好き嫌い言ってる場合じゃないからね。さっきも言ったように、ぼくはどんな役だろうと引き受けるし、ベストを尽くすと決めたんだ。残りの役については、誰がやったって大丈夫だ。カッセル伯爵とアンハルト牧師だけだからね」
この提案はおおむね歓迎された。いつまでたっても演目が決まらないことに、みんなうんざりしていたからだ。まず誰もが思ったのは、これほどまでに全員にぴったりな芝居が提案されたのは、これが初めてだということだった。とりわけイェーツ氏は喜んだ。彼はエクルズフォードで男爵役をやりたくてたまらず嘆息していたし、レイブンショー卿の絶叫調のセリフが羨ましくて、自分の部屋でも同じセリフを全部わめいてみないと気が済まないほどだったからだ。ヴィルデンハイム男爵を演じて絶叫するのは、彼の演劇的野心の極みだった。それに男爵の場面のセリフはすでに半分諳んじているという有利な点もあって、イェーツ氏はすかさず「ぼくが男爵役を引き受けましょう」と申し出た。しかし、公正を期すために言うと、彼は別にその役をかっさらうつもりはなかった──フレデリック役にも、いくつか絶叫できる良い場面があると知っていたからだ。そのため彼は、フレデリック役でも同じく喜んでやりましょうと快く言った。ヘンリー・クロフォードはどちらの役でも進んで引き受けるつもりだった。イェーツ氏が選ばなかったほうがどちらであれ、彼は満足だったから、礼儀正しく譲り合う短いやりとりが続いた。ミス・マライア・バートラムは、この件に関してはアガサという役があらゆる重要性を持つ3と感じたので、代わりに自分が決断してあげなくてはと思い、イェーツ氏にこう言った。
「この問題は、身長と体格を考慮に入れることがポイントになると思うわ。イェーツさん、一番背が高いのはあなたなんですし、男爵役には特にピッタリだと思いますわ」
マライアの意見はそのとおりだと認められ、したがって男爵役はイェーツ氏になり、フレデリック役はクロフォード氏がやることになった。こうして男性の登場人物三人の役が決まって、残すはラッシュワース氏だけとなったが、彼はいつもマライア任せなので、どんな役でも喜んでするはずだった。一方のジュリアは、姉と同じようにアガサ役をやるつもりだったので、ミス・クロフォードのためという体で、慎重にこう言った。
「こんなやり方は、この場にいない人に対して不公平よ」とジュリアは言った。「女性の役が足りないんですもの。アミーリアとアガサの役はマライアとあたしがやってもいいけど、そしたらあなたの妹さんの役がなくなっちゃいますわよ、クロフォードさん」
クロフォード氏は「それについては心配御無用です」と言った。「妹はみなさんのお役に立ちたいだけで、演技欲なんてきっとないだろうし、この配役決めの一員に加われるとはそもそも思ってもいないでしょうから」
だが、すぐさまトム・バートラムがこれに異を唱えた。ミス・クロフォードこそがどの点から見てもアミーリアにふさわしい──もし承諾してもらえるならばだが。
「アミーリア役はミス・クロフォードがやるのが当然だし、やらなくちゃいけないよ。アガサ役は、妹たちのどちらかがやるのが当然なようにね。二人がとばっちりを受けることはないよ、だってアミーリア役はかなりコミカルな役だからね4」
短い沈黙が続いた。マライアもジュリアも、不安げな顔をしていた。どちらも自分こそがアガサ役にふさわしいと感じていたし、誰かが自分のことを推薦してくれないかと願っていた。ヘンリー・クロフォードは、その間脚本を手に取り上げて、第一幕のあたり5を何気ないふうにパラパラとめくっていたが、たちまち決着をつけた。「ぜひともジュリアさんには──」と彼は言った。「アガサ役を引き受けないよう、お願いしたいですね。さもなければぼくは厳粛な顔つきができなくなってしまう。絶対だめです、本当にだめですよ──(と言いながら彼はジュリアのほうを向いた)。あなたが悲嘆に暮れて青ざめている顔を見たら、思わず吹き出してしまうでしょう。ご一緒に何度も大笑いしたときのことがどうしても思い浮かんできて、フレデリックもリュックを抱えて逃げ出さずにはいられないでしょう」
クロフォード氏はユーモラスかつ慇懃にこう話した。だがジュリアの気持ちとしては、話し方などより内容の重大性のほうに気を取られてしまった。クロフォード氏がマライアのほうにチラッと目配せするのにも、ジュリアは気が付いた。これではっきりした、自分は侮辱されているのだ。これは策略だ──そういう計画だったのだ。自分は軽んじられて、マライアのほうが気に入られたのだ。マライアは勝利の笑みを必死に抑えようとしていたが、その笑みこそが、姉もそのことを十分承知している証拠だった。そして、ジュリアが口をきけるほどまだ自制心を取り戻せないうちに、兄のトムが再び彼女の足を引っ張るようなことを言った。
「おお! そうだな、マライアがアガサ役をやるべきだ。マライアこそ最高のアガサ役だ。ジュリアは悲劇が好きだと思ってるようだけど、当てにできないな。ジュリアに悲劇らしいところなんてこれっぽっちもないよ。そういう面構えじゃない。目鼻立ちも悲劇っぽい感じじゃないし、歩くのもキビキビしてるし、喋るのも早口だから、すました顔なんてできるわけないよ。ジュリアは田舎のばあさんをやったほうがいいな。農夫のおかみさんをやるべきだよ、ジュリア。農夫のおかみさんは美味しい役だ、まちがいない。農夫のおかみさんは元気溌剌なおばあさんで、大げさでお人好しな旦那を引き立てるんだ。ジュリアは農夫のおかみさんをやるべきだよ」
「農夫のおかみさんだって!」イェーツ氏が叫んだ。「きみは一体何を言ってるんだ? 一番つまらなくて、くだらない、取るに足りない役じゃないか。陳腐きわまりなくて──劇中通してまともなセリフ一つないんだぞ。きみの妹さんがやるだって! そんな提案をすることすら侮辱だよ。エクルズフォードでは家庭教師がその役をやる予定だったんだ。それ以外の人にはお願いできるはずがないって、満場一致だったんだから。もう少し公平にお願いするよ、監督さん。自分の演者たちの才能をもう少しきちんと理解できないのなら、きみに監督の資格はないよ」
「だけどきみ、実際演じてみるまではある程度当てずっぽうでいかなくちゃ。でもぼくは別にジュリアを貶めるつもりはない。アガサ役は二人もできないんだし、農夫のおかみさん役も一人必要なんだよ。ぼくだって老執事役で我慢したんだから、自制心のお手本を妹に示せたと思うよ。もし端役なら、それだけ演技力を試せる余地があるんだ。それにもしジュリアがユーモラスな役は絶対にやりたくないって言うんなら、農夫のおかみさんのセリフの代わりに、農夫のセリフをやればいいよ。それで、役もまるごと入れ替えてしまおう。農夫こそ荘厳で涙を誘う役だからね。役を入れ替えたって劇中では大した違いなんてないさ。農夫役については、おかみさんのセリフと入れ替えるなら、ぼくが喜んで引き受けるよ」
「きみはやけに農夫のおかみさん役がお気に入りなようだけど──」ヘンリー・クロフォードが言った。 「きみの妹さんに任せるのは、どうやったってムリですよ。ジュリアさんの優しい性格につけ込んで辛い思いをさせてはいけない。ジュリアさんにその役を引き受けてもらうわけにはいかないし、その親切心に頼ってはいけません。彼女の才能は、アミーリア役にこそ求められるべきです。アミーリアは、アガサより演技力の要求される難しい役だ。アミーリアは劇中で最も難しい役だと思いますね。アミーリアの溌剌とした天真爛漫なところを大げさにならずに演じるには、相当な力量と感受性が要りますよ。何人もの名女優がこの役を失敗するのを見たことがあります。そう、天真爛漫さというのは、多くの職業女優の力の及ばないところなんだ。彼女たちの持ち得ない、繊細な感受性が必要だからね。淑女じゃなきゃダメなんです──ジュリア・バートラムのような女性が。ねえ、どうか引き受けてくれますよね?」と彼は言いながら、不安そうに懇願するような表情でジュリアのほうに振り向いたので、彼女の気持ちはほんの少しやわらいだ。だが、ジュリアがなんと言おうかためらっているうちに、トムがまたもや割り込んできて、ミス・クロフォードのほうがふさわしいと主張した。
「いやいや、ジュリアがアミーリア役なんて絶対ダメだ。まるでミスキャストだし、全然似つかわしくない。上手く演れるはずがないよ。ジュリアは背も高すぎるし、たくましすぎる。アミーリアってのは、小柄で身軽で無邪気で、飛び跳ねてるような体つきじゃないと。それこそミス・クロフォードこそ適任だし、彼女以外にはいない。彼女はこの役にぴったりだ、きっと素晴らしく演じると思うよ」
この発言には意を介さずに、ヘンリー・クロフォードは嘆願を続けた。「どうかお願いです」と彼は言った。「ぜひとも引き受けてくださらなきゃいけません。この役のことをよく調べていただければ、必ずやぴったりの役だと思われるはずです。悲劇をやりたいと思われるかもしれませんが、でも喜劇のほうがあなたにはふさわしいですよ、まちがいない。差し入れのバスケットを持ってあなたは牢獄にいるぼくを訪ねるんだ。きっと、面会に来てくれるでしょう? バスケットを持って訪れるあなたの姿が目に浮かぶようだ」
彼の声音は胸に響くものがあった。ジュリアの心は揺れ動いた。だが、彼はただ自分をなだめすかして、先ほどの侮辱を忘れさせようとしているだけなのではないか? ジュリアは彼を信用できなかった。軽んじて扱われたことは、どう見てもはっきりしていた。たぶん彼は、あたしのことを騙して弄んでいるだけかもしれない。ジュリアは疑わしそうに姉のほうを見た。マライアの表情ですべてが決まるだろう。もし不安げで心配そうな顔をしていたら──けれどもマライアはすっかり落ち着き払って、 満足げな様子だった。ジュリアはその理由がよく分かった。マライアが幸せそうにしているのは、あたしがないがしろにされているからなのだ。そう思うと急に怒りがこみ上げてきて、声を震わせながら、ジュリアはクロフォード氏に言った。
「どうやらあなたは心配じゃないようですわね──わたしが差入れのバスケットを持って面会に来る時にも吹き出してしまうんじゃないかって。──普通ならそう思いそうなものですけど──だけどわたしがそんなに影響力があるのは、アガサを演ったときだけなのね!」ジュリアは口をつぐんだ──ヘンリー・クロフォードはちょっとぽかんと間の抜けた顔をして、何と言えばよいか分からないようだった。トム・バートラムがまたしてもこう言い出した。
「ミス・クロフォードがアミーリアじゃなきゃだめだ。──彼女ならすばらしいアミーリアになる」
「わたしはそんな役演りたくないから安心して!」カッとなったジュリアはこう叫んだ。──「アガサ役をやるつもりもないわ。どんな役もやりたくない。アミーリア役なんて、この世でいちばん不愉快な役だわ! アミーリアなんて大っ嫌い。忌々しくって、チビで、生意気で、あざとくて図々しい小娘よ! わたしは喜劇にはずっと反対してたし、『恋人たちの誓い』は喜劇のなかでも最悪中の最悪だわ!」
そう言うと、ジュリアはさっさと部屋を出ていった。残された者たちは一人ならず気まずい思いをしたが、ファニー以外は誰一人としてジュリアに同情する気にはならなかった。ファニーはというと、この話し合いの間中ずっと静かに耳を傾けていたのだが、ジュリアが取り乱していたのはマライアに対する嫉妬心からだと思っていたので、ずいぶん気の毒だと思った。
ジュリアが出ていったあとはちょっと沈黙が続いたが、すぐにトムが気を取り直して、また『恋人たちの誓い』について決める仕事に戻った。イェーツ氏の助けも借りて、熱心に芝居の台本に目を通し、どんな背景が必要かを確かめたりしていた──その間マライアとヘンリー・クロフォードは小声で何かヒソヒソ話をしていた。やがてマライアは口を開くと、こう宣言した。「わたし、妹のためにアガサ役を降りますわ。でも──わたしだって演技は下手でしょうけど──ジュリアのほうはもっと酷いんじゃないかと思うの」そしてこの謙遜のあとは、マライアのお望み通り、「そんなことはない」というお世辞が次々と口にされた。
こんなやり取りがしばらく続いたあと、一座は2つのグループに分かれた。トム・バートラムとイェーツ氏は舞台背景についてさらに話し合うために、いまや劇場と呼ばれているビリヤード室のほうへ歩き去っていたし、マライアは牧師館まで直々に足を運んで、ミス・クロフォードにアミーリア役を頼みに行くつもり6だった。そしてファニーは一人ぼっちでその場に残された。
一人になった機会を捉えてファニーがまず最初にしたことは、テーブルの上の台本を手に取って、さっきまで散々議論されていた芝居の内容について確かめてみることだった。ファニーはすっかり興味津々になって、夢中でページを繰って読み進めたが、その手が止まるのは驚きで目をみはるときだけだった─こんな芝居が今の状況で選ばれるなんて! 素人芝居でこんな芝居が提案されて受け入れられるなんて! アガサとアミーリアは、それぞれタイプは違うが、どちらも家庭内で演じるにはまったくふさわしくないように思われた──不義の子を生むというアガサの境遇も、アミーリアのあけすけな喋り方も、慎みのあるレディが演じるには到底ふさわしくない。そのためファニーは、従姉たちは自分たちのしようとしていることを自覚していないのではないかと思った。エドマンドならきっと忠告してくれるだろうから、その忠告を聞いて従姉たちがなるべく早く目を覚ましてほしい、とファニーは願うのだった。
注
- この4作はすべて喜劇。『恋がたき』『悪口学校』は当代一の劇作家リチャード・シェリダン作。『運命の車輪』はリチャード・カンバーランド作。『法定相続人』はジョージ・コルマン作。
- 原作はコッツェヴー作の『私生児』(1790)で、イギリス人劇作家エリザベス・インチボールドによって改訂・翻案され、1798年にロンドンで初上演されるとたちまち人気を博した。あらすじはこちら
- フレデリックとアガサは、親子として抱き合う場面が多くある。
- 「アミーリアはコミカルな役だ」というのは、喜劇をやりたいトムが自己正当化のためにただ誇張して述べているにすぎない。アミーリア役にもシリアスな場面は数多くある。とはいえ、アガサ役に比べれば、アミーリアは確かにユーモラスな面もある(アガサ役は劇中を通してずっと悲嘆に暮れているため)。
- 劇冒頭からアガサ役が登場し、第一幕はずっと出ずっぱりである。
- はっきりと文中に明示されてはいないが、『ファニーが一人残された』という記述と次章の展開から、クロフォード氏がマライアに付いていったことは明らか。二人っきりで牧師館まで歩いて行ける機会が得られたということ。