マンスフィールド・パーク 第36章/メアリー・クロフォードの説得

マンスフィールド・パーク ◎マンスフィールド・パーク

 エドマンドは、ファニーの気持ちについてもうこれで完璧に知ることができたと信じていた。本人の口から聞けることや、想像に委ねられたことについても全部理解できたと思っていたので、すっかり満足していた。──やはり、クロフォードのほうがあまりにもせっかちすぎたのだ。まず彼に愛されているという考えに慣れさせてから、その状況がファニーにとって心地よく感じられるまで、時間をかけなければならないのだ。ファニーはそのうち彼に求愛されているという考えに慣れるはずだ。そうすれば、クロフォードが愛される日もそう遠くはないだろう。

 ファニーとの話し合いの結果として、エドマンドは以上のような意見を父親に伝えた。

「ファニーにはもう何も言うことはありませんし、これ以上説得するのもやめておいたほうがよいでしょう。すべてはクロフォードの努力と、ファニー自身の自然な心の動きにまかせておくべきです」

 サー・トマスは「ではそうしよう」と約束した。ファニーの性格についてのエドマンドの説明はまさにそのとおりだと信じられたし、彼女がそんな心境であることも察しがついた。だがサー・トマスとしては非常に遺憾だと思わずにはいられなかった。なぜなら、自分の息子ほど将来のことを信用する気になれなかったからだ。もしファニーが彼の求愛に慣れるのにそんなにも長く時間をかけねばならないとしたら、彼女がきちんとプロポーズを受け入れる覚悟ができた頃には、相手のほうではもうその気がなくなってしまっているかもしれない。けれども、今のところはおとなしく息子の提案に従い、最善の結果を期待するしかどうしようもなかった。

 ファニーの「友達」(エドマンドはミス・クロフォードをこう呼んでいた)の訪問はファニーにとって恐るべき脅威であり、ファニーはずっとその恐怖に怯えながらびくびく過ごしていた。妹としての立場から彼女はお兄さんをひいきして相当腹を立てているだろうし、容赦ない言葉を浴びせてくるだろう。エドマンドの愛情を取り戻せた点からしても、勝ち誇って自信たっぷりだろうし、あらゆる点でミス・クロフォードは苦痛と不安の種だった。怒っている彼女と顔を合わせるのも、鋭い観察にあうのも、幸せそうな様子を見るのも何もかもが恐ろしかった。「ミス・クロフォードと会う時には、他の人も同席しているはずだわ」とファニーは望みをかけていたが、それだけが唯一の心の支えだった。ミス・クロフォードから突然攻撃されないようにするため、ファニーはできるだけバートラム夫人のそばを離れないようにし、東の部屋には近づかず、植え込みを一人で散歩するのもやめにした。

 この作戦は成功した。ミス・クロフォードが実際やって来た時も、ファニーはバートラム夫人と朝食室で過ごしていたので、安全の身だった。最初の苦痛な時が過ぎると、ミス・クロフォードの顔つきにも口調にも思ったほど変わったところはなかったので、ファニーは「三十分くらいこのちょっとした動揺に耐えれば、それ以上悪い事態にはならなさそうだわ」と希望を持ち始めたほどだった。だがファニーは楽観しすぎていた。ミス・クロフォードはただ手をこまねいて好機が訪れるのを待つような人間ではなかったのだ。ファニーと二人きりになろうと決意していたミス・クロフォードは、まもなく小声でこうささやいてきた。

「どこかで二、三分、あなたとお話ししたいんだけど」

 その言葉にファニーの鼓動は激しくなり、サーッと全身の血の気が引いていくような感覚がした。だが断ることなどできなかった。それどころかファニーは、相手の命令にすぐ従う癖がついているので、反射的に立ち上がって部屋を出てしまった。内心はつらくてたまらない気持ちだったけれども、他にどうしようもなかった。

 玄関ホールに出るやいなや、ミス・クロフォードは抑えていた表情を一気にほころばせた。彼女はすぐさま、茶目っ気たっぷりだが優しい非難を込めた笑みを浮かべながら、ファニーに向かって首を振った。そしてその手を取り、すぐには話を切り出せないでいるようだったが、これだけ言った。

「本当に、困ったお嬢さんね! いつになったらお説教しないで済むのかしら?」

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一応ミス・クロフォードにも、確実に二人きりになれる部屋に行くまで黙っておくだけの思慮深さはあったので、残りの言葉を口にするのは差し控えた1

 ファニーは当然のように向きを変えて階段を上り、今では暖炉がついて快適に過ごせるようになった東の部屋へミス・クロフォードを案内した。だがドアを開けると、ファニーは胸がギュッと痛くなり、『いままでこの部屋で起こったどの出来事よりもつらい場面がこれから待ち受けてるんだわ』と感じた。しかし災難がまさに彼女にふりかかろうとしていたその瞬間、ミス・クロフォードの突然の心境の変化により、その災難は少なくともいったん先送りになった。ミス・クロフォードは自分が再び東の部屋にいることにひどく感激したのだ。彼女は生き生きとした口調で声を上げた。

「ああ! わたし、またここにいるのね? 東の部屋に。前に一度だけこの部屋に来たわね!」──そして辺りを見回し、過去の出来事をすべて思い出そうとしているかのように立ち止まると、こう続けた。「たった一度だけよ。覚えてる? ここに下稽古に来たのよ。そしたらあなたの従兄も来たんだわ。そして一緒に芝居の稽古をしたの。あなたは観客兼プロンプター役だったわね。楽しいお稽古だったわ、決して忘れないでしょうね。わたしたちはちょうど部屋のこのあたりにいたのよ。ここがエドマンドさんで、ここがわたしで、このへんに椅子が置いてあって。──ああ! こんな素敵な思い出もいずれは過ぎ去ってしまうのね、なぜかしら?」

 話し相手のファニーにとって幸いなことに、ミス・クロフォードは返事を求めているわけではなかった。彼女はすっかり自分の世界に入り込んでいて、楽しい思い出にふけってうっとりしていた。

「わたしたちがお稽古したシーンは、本当にすごかったわ! あの場面のテーマはすごく──すごく──何と言えばいいかしら? 彼は結婚の素晴らしさを描いてみせて、わたしに結婚を勧めようとしていたわ。いまでも彼の姿が目に浮かぶようね。彼はあの二つの長台詞を言う間も、アンハルト牧師役らしく慎み深く落ち着き払った態度でいようと努めていたの。『心の響き合う二人の男女が夫婦となって結ばれたとき、その結婚生活は幸福なものと言えるでしょう』。この言葉を言ったときの彼の表情や声の印象は、どんなに時間が経っても決して色褪せることはないわ。本当に不思議だったわね、あんな場面を演じることになるなんて! もし人生で一週間だけよみがえらせる力がわたしにあったなら、きっとあの週、あの素人芝居の一週間になるでしょう。ねえファニー、あなたが何と言おうと絶対にあの一週間よ。だってあんなに素晴らしい幸福を味わったことなんてなかったもの。あんなに頑固なエドマンドさんが素直に折れてくれたなんて! ああ、言葉にできないくらい楽しかった。でも残念なことに、あの晩がすべてぶち壊しにしてしまったのよ。まさにあの晩、あなたの歓迎されざる伯父さまが帰ってきたのよ。お気の毒なサー・トマス、一体誰があなたに会って喜ぶかしら? でもねファニー、わたしはサー・トマスに敬意を欠いているわけじゃないのよ、確かに数週間は彼のことを恨んでいたけれど。いえ、今ではサー・トマスのことを公平に見れるようになっているの。彼はまさに一家の大黒柱としてあるべき姿そのものだわ。ええ、冷静になって真剣に考えてみると、バートラム家の皆さんのことはみんな大好きよ」

 そう言ったミス・クロフォードは、どこかしおらしく気が咎めたようすだった。それはファニーがいまだかつて見たことのないような姿で、いまでは彼女にぴったりだと思えるのだった。彼女はほんの少し顔を背け、落ち着きを取り戻そうとした。

「この部屋に来たらちょっと気が高ぶっちゃったわ」とミス・クロフォードはいたずらっぽく笑って言った。「だけどもうこれでおしまい。さあ、座って楽になりましょう。ねえファニー、ここに来たのはあなたをお説教するためだったのに、いざ話し出そうとすると勇気がなくなってしまって」そして愛情深くファニーを抱きしめるとこう言った──「愛しいファニー! これが見納めになるのかと思うと……。だってロンドン滞在がどのくらい長くなりそうか分からないんですもの──あなたを愛さずにはいられない気分よ」

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 ファニーは感動してしまった。こんなことは全く予想もしていなかったし、「最後」という言葉の感傷的な響きにも気持ちが抑えきれなかった。ファニーは実際それほどミス・クロフォードを愛しているわけではないのに、まるで本当に愛しているかのように涙を流した。ミス・クロフォードはこの感動的な光景にいっそう心を和らげ、愛おしそうに寄り添いながら言った。

「お別れするのはいやだわ。ロンドンには、あなたほど優しくて気立ての良い人は一人もいませんもの。わたしたちが姉妹になれないなんて、誰が言えるでしょう? きっと姉妹になれるはずよ。わたしたちは結ばれる運命だって感じてるの。そんなに泣いてくれてるってことは、あなたも同じように感じているのね、ファニー」

 ファニーは気を持ち直し、最初のほうの言葉にだけ答えた。

「でもあなたはまた別のお友達のところにいらっしゃるのでしょう。すごく親しいお友達のところに」

「ええ、そうよ。フレイザー夫人は昔からの親友よ。でも彼女のところに行く気には全然なれなくて。いまはお別れするお友達のことしか考えられないわ。つまり、素晴らしいお姉さまであるグラント夫人と、あなたと、バートラム家の方々のことよ。あなたたちはみんな、世間一般で見られるよりもずっとずっと愛情深い心の持ち主だわ。信頼できる方々ばかりだし、心を許せる気がするの。普通のお付き合いではなかなかないことよ。フレイザー夫人邸へ行くのはイースターの後にするように取り決めておけばよかったわ、そのほうが訪問にはずっといい季節なのに──でももう延期はできないの。それに、あちらでの滞在が終わったら、今度は彼女の妹のストーナウェイ夫人のところへ行かなきゃいけなくて。ストーナウェイ夫人は、二人のうちでも特に仲の良いお友達なの。だけどここ三年くらいはあんまり好きじゃないわね」

 こう言い終わると、二人はそれぞれ物思いにふけりながら何分も静かに座っていた。ファニーは、世の中にはいろんな友情の形があるものだと思いを馳せていた。メアリーは、それほど哲学的ではないことを考えていた。ミス・クロフォードがまた話し出した。

「あなたを探そうと決意して階段を上がってきた時のこと、はっきり覚えてるわ。東の部屋を見つけようと思って行ったのよ、どこにあるのかさっぱり見当もつかなかったのに! 行く途中に考えていたことを、なんてよく覚えてるのかしら。そしてこの部屋をのぞくと、あなたがここに座っていて、このテーブルのところで裁縫仕事をしてるのを見つけたんだわ。それからエドマンドさんがこのドアを開けて、わたしがここにいるのを見た時の驚きようといったら! そしてもちろん、あの晩にサー・トマスが帰ってきたのも本当に驚きだった! あんなにびっくりしたことはいままでなかったわね」

 それからミス・クロフォードはちょっとうわの空で考え込んでいた後──その考え事を振り払うかのようにして、ファニーへの攻撃を始めた。

「まあファニー、すっかり物思いにふけっているのねぇ! きっと、あなたのことをいつも想っている人のことを考えてるのね。ああ! ほんのちょっとだけでいいから、あなたをロンドンのわたしたちの仲間のところに連れて行けたらいいのに! そしたらヘンリーを惚れさせたのがどれだけすごいことだと思われているのか理解してもらえるでしょうに! ああ、何十人もの女性たちが羨ましがったり、歯ぎしりをしてくやしがるでしょうね! あなたの成し遂げたことを聞いたらみんなびっくり仰天するでしょうし、到底信じてもらえないでしょうね! ヘンリーって、口が堅いことにかけてはまるで騎士道ロマンスのヒーロー並みだし、献身を誓った女性のためなら、鎖で牢につながれることも名誉に思うほどなのよ。あなたは絶対ロンドンに来るべきよ、そしたらヘンリーを落としたことがどんなふうに思われてるのか分かるわ。ヘンリーがどれだけ女性からモテていて、わたしもお兄さまのおかげでどれだけチヤホヤされているか、見てほしいものだわ! でも今では分かってるの、フレイザー夫人からはそれほど歓迎されないはずだって。だってヘンリーはあなたにプロポーズしちゃったんですもの。フレイザー夫人がこのことを知ったら、さぞかし腹を立てて、わたしをノーサンプトンシャーに追い返したいと思うでしょうね。彼女の旦那さんのフレイザー氏には亡き先妻との間にお嬢さんが一人いるんだけど、フレイザー夫人はその娘をさっさと嫁に出したがっているの。それでヘンリーと義理の娘を結婚させたがってるってわけ。ああ! お兄さまをその気にさせようと、彼女がどれだけ必死だったことか! あなたはここで無邪気そうにおとなしく座ってますけど、自分がこれから引き起こすであろう驚愕については、想像もつかないでしょうね! みんなどれほど好奇心たっぷりにあなたを見たがるか、そしてわたしがどれだけはてしなく質問攻めにあうか、分からないでしょうね! 気の毒なマーガレット・フレイザー[フレイザー夫人の義理の娘]はきっと、あなたの目や歯はどんな感じか、どんな髪型をしているか、靴はどこの店で仕立ててもらってるかとか、延々と尋ねてくるでしょうね。わたしの可哀想な友人のためにも、マーガレットにはお嫁に行ってほしいものだわ。フレイザー夫妻って、たいていの夫婦に引けを取らないくらい不幸な夫婦なのよ。だけどそれでも当時は、ジャネット[フレイザー夫人の名前]にとって願ってもない良縁だったの。わたしたちみんな大喜びしたものだわ。でも彼女はプロポーズを承諾する以外どうしようもなかったのよ。だって彼はお金持ちだし、彼女は無一文だったんですもの。だけど、フレイザー氏は怒りっぽくて口うるさい男だってそれから判明したの。若くて美しい二十五歳の新妻が、年老いた自分と同じくらい品行方正であることを求めてるのよ、ひどいでしょ2? ジャネットも彼のことを手なずけられていないし、どううまく折り合いをつけたらいいのか分からないみたい。二人の間にはいつもピリピリした雰囲気が漂っていて、本当にお客さまに対して失礼だと思うわ。ロンドンのフレイザー家では、マンスフィールド牧師館のグラント夫妻の愛情あふれる振る舞いを敬意をもって思い出すでしょうね。グラント博士でさえわたしの姉に対しては完璧に信頼を置いてますし、姉の判断力にもきちんと配慮を示してますの。それでこそ愛情が感じられるというものだわ。フレイザー家ではそんなものは決して見られないでしょうね。わたしの心はいつまでもマンスフィールド・パークにあるわ、ファニー。わたしの中で、妻の理想像は姉のグラント夫人で、夫の理想像はサー・トマス・バートラムなの。気の毒なことに、可哀想なジャネットはだまされていたのね。でも彼女のほうには落ち度なんてなかったのよ。軽率にこの縁談に走ったわけじゃないし、将来の見通しが欠けてたこともなかったわ。彼のプロポーズを受けた時もちゃんと三日間考えていたの。その三日間のあいだに、有益なアドバイスをしてくれる知り合いの人全員の意見を聞いていたわ。特にわたしの亡き叔母さまに助言を求めていたんだけど、伯母さまは世間の事情に通じた人だったから、知り合いの若者たちみんなからとっても尊敬されていたの。叔母さまだって、フレイザー氏との結婚には大賛成していたのよ。こうなると、結婚して幸せになれる保証なんてどこにもないみたいじゃない! でもフローラ[ストーナウェイ夫人。ジャネットの姉妹]の場合はあんまり弁護できないわね。彼女ったら、近衛騎兵連隊3のすごく魅力的な青年を振っておいて、あのぞっとするようなストーナウェイ卿に乗り換えたんだもの。

イギリス 近衛騎兵連隊Royal Horse Guard Blues

1803年頃の近衛騎兵連隊の制服。

ストーナウェイ卿ってラッシュワースさん程度の頭しかないんだけど、ずっと酷い外見で品性も卑しいの。紳士的な雰囲気さえない人だったから、その時はわたしもフローラの選択が正しいのかどうか疑問に思ってたわ。だけど今になってみると、やっぱりフローラは間違ってたってわけね。そういえばフローラ・ロスはね、最初に社交界デビューした冬はヘンリーにベタぼれだったの。でも、ヘンリーに恋したわたしの女友達全員についてお話ししようとしたらいつまでたっても終わらないわね。ねぇあなたただ一人だけよ、鈍感なファニーちゃん、お兄さまに無関心でいられるのは。でも本当にあなた、口で言っているほど無関心なのかしら? いいえ、実はそうでもないって分かってるんだから」

 その瞬間ファニーの顔が真っ赤に染まったので、先入観を抱いているメアリーとしては『やっぱり、わたしの疑念は正しかったんだわ』と思ったほどだった。

「なんて可愛らしい人なのかしら! もうからかったりしないわ。何もかも自然のなりゆきに任せましょう。だけどねファニー、プロポーズされたのはまったく意外だったわけじゃないでしょ? それは認めなくちゃ。エドマンドさんは完全に不意打ちだったと考えてるようですけど。きっとあなただって、この件について何か考えたり、これからの展開について予想していたはずよ。ヘンリーが精いっぱいの心遣いを尽くして、あなたに気に入られようと努めてたこと、気付いてたはずよ。この冬の舞踏会で彼はあなたにご執心だったんじゃなくって? それに舞踏会の前には、あのネックレスもそうよ! ああ! あなたはまさにこちらの思惑通りにネックレスを受け取ってくれたのよね。あなたは彼の好意をきちんと自覚していたし、心の中で望んでもいたのよ。あの時のことは完璧に覚えてるわ」

「それじゃ、クロフォードさんはあのネックレスの件をあらかじめ知ってたんですか? まあ! ミス・クロフォード、そんなのひどいわ」

「知ってたかですって! あれはすべてお兄さま自身の計画よ。お恥ずかしながら、わたしには全然思いつかなかったの。でも彼の提案に一役買えるのは嬉しかったわ、あなたたち二人のためなんですもの」

「あの時も、もしかしたらそうじゃないかって疑ってはいましたわ」とファニーは答えた。「だってあなたの顔つきには何だか恐ろしいところがありましたもの──最初はそうじゃありませんでしたけど──初めは本当に全然疑いもしていませんでした!──本当です。これは絶対に確かです。もしクロフォードさんが関係しているのかもという考えが念頭に浮かんでいたのなら、わたしは決してあのネックレスを受け取っていませんでした。クロフォードさんのお振る舞いについては、確かに自分が特別扱いされていることに気付いていました、たぶんここ二、三週間ほどです。でもその時は何の意味もないのだと考えていましたし、単にそれがあの方のやり方なんだろうと思ってました。まさかわたしに対して真剣に想いを寄せてるだなんて、想像もしてなかったんです。それにミス・クロフォード、わたしは観察力のない人間ではありません。この夏と秋にかけてあの方とマライアさんやジュリアさんとの間に起こった出来事も、ちゃんと見ていました。わたしは黙っていましたけど、盲目ではありませんでした。クロフォードさんが遊び半分の恋にふけっているところを目撃しましたわ」

「ああ! それは否定できないわね。ヘンリーはときどきどうしようもない浮気者になってしまうの。若いお嬢さんの心をズタズタにしても一向にお構いなしなのよ。わたしもそのことでお兄さまを叱ったりしたんだけど、それが彼の唯一の欠点ね。でも言わせてもらいますけどね、そのお嬢さんたちが感じている愛情というのも別に大したことなくて、心配してあげる価値なんてほとんどないのよ。それにねファニー、こんなにたくさんの女性から恋い焦がれられている男性の心を射止めたなんて、どれだけ栄誉なことか! いままで彼に泣かされてきた女性たちの恨みを晴らせるのよ! ああ、女性ならこんな勝利感が味わえるのを拒めるはずないわ」

 ファニーは首を振った。

「いいえ、わたしは女性の心を弄ぶ男性のことを良くは思えません。それに、傍から見ている人間が判断する以上に、実際もっと深く傷ついている女性もいるかもしれません」

「ヘンリーを弁護するつもりはないわ。お兄さまについては完全にあなたのお情けにゆだねます。エヴァリンガムに住まわせてもらったあかつきには、いくらでも彼にお説教していただいて構わないわ。だけどこれだけは言わせてちょうだい。女の子たちの恋心をちょっぴりかき立てるのが好きっていう彼の欠点は、自分からすぐ恋に落ちてしまうような欠点に比べれば、妻の幸せを危険にさらすことには全然ならないわ。ヘンリーはそんな傾向に陥ったことなんて一度もありません。それにわたしは心から真剣にこう思っているの。彼のあなたへの執着っぷりは、いままで他のどんな女性に対しても決して見られなかったものだし、彼はあなたにいつまでもありったけの愛を捧げてくれるだろうって。もしこの世にかつて女性を未来永劫愛した男性がいたのだとしたら、ヘンリーも同じようにあなたを永久に愛してくれると思うわ」

 ファニーは思わず微笑を浮かべてしまったが、何も言わなかった。やがてメアリーは続けて言った。

「あなたのお兄さまの昇進辞令がうまく手に入ったとき、ヘンリーは今までにないくらい大喜びしていたのよ」

 彼女はここで確かにファニーの急所を突いた。

「ああ、そうです! 本当に、なんてご親切だったか!」

「ヘンリーはものすごく奔走したにちがいないわ。だってわたしは、彼がどんな相手を動かさなくちゃいけなかったか知ってますもの。クロフォード提督は大の面倒くさがり屋で、物を頼んでくる連中を見下してるの。おんなじような昇進のお願いをしてくる若者があまりにもたくさんいるから、どれほど友情や熱意があったって、簡単に一蹴されてしまうのよ。あなたのお兄さまのウィリアムさんって本当に幸運な人ね! いつかまたお会いしたいものだわ」

 可哀想に、ファニーはあらゆる苦しみの中でも最も悲惨な状態に陥った。ウィリアムのために尽力してくれたことを思い返すたびに、クロフォード氏に抵抗しようという決意がひどく揺らいでしまうのだった。ファニーはじっと考え込んだまま座っていた。初めのうちメアリーはそのようすを満足げに見つめ、それから別のことに思いを巡らせていたが、ふと我に返ってこう言った。

「こうしてあなたと一日中座ってお喋りしていたいのだけれど、下の階にいるご婦人方のことを忘れちゃいけないわね。さようなら、わたしの大好きな可愛いファニー。正式なご挨拶は朝食室ですることになるでしょうけど、ここでお別れしなくちゃ。幸せな再会ができることを祈っておいとましますわ。そしてまたお会いしたときには、何の遠慮もなく、お互い心を打ち明けられるような間柄になっていますように」

 こうした言葉とともに、メアリーはたいへん優しく抱擁し、ちょっと感動的な仕草をした。

「エドマンドさんにはすぐにロンドンでお目にかかれるでしょう。近いうちにロンドンに行くつもりだとお話ししてましたもの。サー・トマスも議会が始まる春頃にはいらっしゃるでしょう。トムさんやラッシュワース夫妻やジュリアさんにだって、何度もお会いできるはずだわ。会えないのは皆さんのうちであなただけよ。ねえファニー、二つだけお願いがあるの。一つは文通よ。必ずお手紙を書いてちょうだいね。二つ目は、グラント夫人をできるだけしょっちゅう訪れてほしいの。わたしのいなくなった埋め合わせをしてあげてね」

 少なくとも一つ目のお願いは、あまり頼まれたくないお願いだった。しかしファニーは文通を断ることなどできず、自分で理性的な判断をする前に即座に承諾してしまった。これほどあからさまに愛情を示されては拒みようがなかったのだ。ファニーの性分として、優しい扱いをされるとありがたく感じるところがあるうえに、いままでそんな扱いを受けた経験もほとんどなかったから、ミス・クロフォードの態度によけい感動してしまったのだ。おまけに、彼女に対しては、この二人きりの話し合いを予想より苦痛の少ないものにしてくれたことへの感謝の念もあった。

 こうして話し合いは終わり、ファニーはプロポーズを断ったのを非難されることもなく、エドマンドへの想いを悟られることもなく逃げおおせた。エドマンドへの恋心というファニーの秘密はまだ守られたままだった。この秘密が誰にも知られないで済むのなら、何にだって耐えられるとファニーは思った。

 晩になると、またもう一つの別れがあった。ヘンリー・クロフォードがバートラム家へしばしのお別れに来たのだ。ファニーは以前ほどかたくなな気分ではなかったので、クロフォード氏への気持ちもほんの少し和らいだ──彼もこの別れを本当に悲しんでいるようだったからだ。──いつもの彼とは全然違って、ほとんど口もきかず、明らかに元気がなかった。ファニーは可哀想だと思ったものの、彼がだれか他の女性と結婚するまではもう二度と顔を合わせたくないと思った。

 いざお別れの時になると、クロフォード氏はファニーの手を取ったが、彼女は拒まなかった。彼は無言のままだった──あるいは、何か言ったけれどもファニーの耳に聞こえなかっただけかもしれない。そして彼が部屋を出て行った時には、ファニーはそのような友情の証が交わせてよかったと思った。

 翌朝、クロフォード兄妹はマンスフィールド・パークを去っていった。

 

  1. 使用人たちがどこで聞き耳を立てているか分からないので。マンスフィールド・パークのような大邸宅では使用人を多く雇っているため、立ち聞きをされる恐れがあった。
  2. 先妻との間に結婚適齢期の娘(18~20歳前後か?)がいるということは、フレイザー氏は少なくとも40代半ば~50代である。当時、こうした金持ちの中年男性と年の差婚をした美しく若い妻が不倫に走るというのが、しばしば風刺の対象となった。(参考:David M. Shapard, The Annotated Mansfield Park, Anchor, 2017.)
  3. 近衛騎兵連隊の青年を振るのは、相当な勇気がいる行為(あるいは愚行)かと思われる。近衛騎兵連隊の地位は陸軍でもトップクラスの位階購入額(約3000ポンド必要)のため、この問題の青年はおそらく貴族であろうし、本人にもかなりの収入があるだろう。(参考:Jane Austen, Mansfield Park, Oxford University Press, 2003.)
    そんな青年から乗り換えるということは、ストーナウェイ卿は貴族としての地位がさらに上で、収入もより多かったのだろうか。
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