マンスフィールド・パーク 第21章/マライアとラッシュワース氏の結婚

◎マンスフィールド・パーク

 『恋人たちの誓い』の件を別にしても、サー・トマスの帰国は、バートラム家の生活にとてつもない変化をもたらした。彼の監督下で、マンスフィールド・パークはまったく別の場所になってしまったようだった。社交仲間の何人かが去って、ほかの多くの人たちは意気消沈し、今までに比べるとすっかり単調で暗い毎日になった。家族で集まったときの雰囲気も陰気になり、ほとんど活気づくことはなかった。牧師館との交際もめっきり減ってしまった。もともとサー・トマスは親密な交際をあまり好まないほうだが、この頃ではどの一家とも付き合いを避けていた。ただラッシュワース家の人たちだけは例外で、ぜひ家族の集まりに加わってほしいとサー・トマスが求める唯一の人たちだった。

 エドマンドは父親のそのような感じ方に驚きはしなかったし、何も悔いてはいなかったが、グラント博士一家まで除外されてしまったことだけは残念でならなかった。彼はファニーに言った。

「牧師館の人たちは招かれる権利があるんだよ。あの人たちはぼくらの身内も同然だし、バートラム家の一員のようなものだ。父さんが不在の間、あの人たちがどれだけぼくの母さんや妹たちに配慮を尽くしてくれたか、父さんがもっと理解してくれたらいいのに。牧師館の人たちが、自分たちは無視されてると感じているんじゃないかって心配だよ。でも実のところ、父さんは彼らのことをほとんど知らないんだ。あの人たちがここに来てまだ一年も経たないうちに、父さんはイギリスを離れたからね。牧師館の人たちはまさに父さんが好むタイプの人たちだし、もっと深く知り合えば、付き合う価値のある人たちだって父さんも理解してくれるだろうに。ぼくらだけで過ごしていると何だか少し活気がないと感じるときがあるよ。妹たちは全然元気がないし、トムも居心地が悪そうだ。グラント夫妻がいたらきっと賑やかになって、父さんだってもっと楽しい夜が過ごせると思う」

「そう思いますか?」とファニーは言った。「わたしが思うに、伯父さまは誰も加わってほしくないんじゃないかしら。あなたの言うとおり、伯父さまは静かな家庭を重んじて、家族団らんの安らぎだけを求めているんだと思います。わたしには今までと比べて暗い雰囲気になったようには思えませんわ。つまり、伯父さまが外国に行かれる前と比べて、という意味ですけど。わたしの記憶する限り、いつだってこんな感じでしたもの。伯父さまのいるところで笑い声が起こることもめったにありませんでしたし。何か違いがあるとすれば、これだけ長期間留守にしていた人が最初帰宅した頃にありがちな雰囲気ぐらいじゃないかしら。ある種の気恥ずかしさみたいなものがありますから。でも、伯父さまがロンドンに議会のお仕事に行っているとき以外に、いままで夜の時間を賑やかに過ごしたことなんて思い出せないわ。たぶん、目上の人が家にいるときには、若者はみんなそうなんじゃないかしら」

「うん、きみの言うとおりだね、ファニー」少し考え込んでからエドマンドは答えた。「ぼくたちの夜の過ごし方は様変わりしてしまったというより、むしろ元に戻ったんだね。賑やかな夜を過ごしてるほうが珍しかったんだな。──だけど、たった二、三週間だけのことなのになんて強く印象に残ってるんだろう! まるで、以前は静かな暮らしをしたことがなかったみたいに思えるよ」

「たぶん、わたしは他の人たちより生真面目なんだと思います」ファニーは言った。「サー・トマスがいる夜でも、そんなに長く感じませんもの。伯父さまの西インド諸島の話を聞くのは大好きよ。一時間でも聞いていられるわ。他のいろんなことより楽しめますし──でもきっと、わたしは他の人たちと違うのね」

「どうしてそんなことを言うんだい?(微笑みながら)──きみだけは他の人たちと違って賢くて控えめだって言ってほしいのかい? でもきみだって他の人だって、ぼくからお世辞を言ってもらったことなんてないだろう、ファニー? 褒めてもらいたければ、父さんのところに行くといいよ。父さんならきみを満足させてくれるさ。『伯父さまはわたしのことをどう思いますか?』って聞けば、たっぷり褒めてもらえるよ。たぶん、きみの容姿についての褒め言葉が大半だろうけど、それは我慢しなくちゃね。そのうちきっと、きみの心の美しさについても褒めてくれるだろうと思う」

 こんなふうに言われるのは初めてだったので、ファニーはすっかり恥ずかしくなってしまった。

「父さんはきみのことをとっても綺麗だと思ってるんだよ、ファニー──ぼくが言いたいのは、要はそういうことだ。ぼく以外の人間ならきみの美しさについてもっと重要視していただろうね。きみ以外の女性なら誰でも、自分が今まであまり綺麗だと思われていなかったことに腹を立てていただろうな。でも、父さんがいままできみのことを賞賛していなかったのは事実だ──だけどいまは褒め称えているよ。きみの顔色は本当に良くなった! ──物腰もすっかりおしとやかで! ──それに容姿も──いや、ファニー、顔をそむけちゃダメだ─きみの伯父さまがそう言ってるんだから。伯父さまの褒め言葉に耐えられなかったら、この先どうするつもりだい? そろそろ、自分は人から注目される値打ちがあるんだという考えに慣れておかなくちゃ。──美しい女性に成長することを嫌がっていてはいけないよ」

「まあ! そんなふうに言わないでください、やめてください」ファニーは、エドマンドが自覚している以上にいたたまれない気持ちになって、声を上げた。彼女が嫌がっているのを見て、エドマンドはこの話題を終わらせた。そしてもっと真面目な調子でこれだけ言った。

「伯父さまは、あらゆる点できみのことを喜ばしく思っているんだよ。きみがもっと積極的に話しかけてくれればいいんだけど。──夜の集まりでも、きみは静かすぎるくらいだからね」

「でも、以前より話しかけてるわ。それは確かです。ゆうべ、わたしが奴隷貿易1について伯父さまにお尋ねしてたの、聞きませんでした?」

「うん、聞いてたよ──他のみんなもいろいろ質問すればいいのにと思ったよ。どんどん質問してもらえれば、父さんはきっと喜んだだろうな」

「わたしもいろいろお聞きしたかったわ──でもみなさん恐ろしいくらいシーンとしてたんですもの! マライアさんもジュリアさんも一言も話さず黙りこくって座ったままでしたし、この話題に全然興味もなさそうだったので、いやだったんです──サー・トマスのお話に楽しそうに興味を示して、まるでお二人をさしぬいて自分だけ目立とうとしてるみたいに思われるんじゃないかって。サー・トマスはきっと、ご自分の娘さんたちにそういった好奇心や喜びを感じて頂きたかったでしょうに」

「先日ミス・クロフォードがきみについて言っていたことは、まさにそのとおりだな──ほかのお嬢さんたちは自分の存在が無視されるのを恐れているけど、きみはそれと同じくらい注目を浴びたり褒められたりするのを恐れてるようだって。牧師館できみについて話してたんだけど、彼女がそう言っていたよ。ミス・クロフォードはすばらしい洞察力の持ち主だね。あれほど見事に相手の性格を見抜く人を知らないよ。──あんなに若い女性にしては驚くべきことだ! 彼女は、きみのことを長年知っている人たち以上にきみのことをよく理解してるよ。他の人たちについても、たまに出る鋭い一言やふとした瞬間の言葉から判断するに、彼女なら多くの人の性格をズバリと言い表せるだろうな。もし遠慮なく言っても許されるのならだけど。彼女、ぼくの父さんのことはどう思ってるんだろう! 立派な風采だと賞賛してくれているにちがいない。振る舞いもすごく紳士的で威厳もあって、態度も首尾一貫している。でも、二人はほとんど顔を合わせる機会がなかったから、たぶん彼女には父さんの寡黙なところが少しよそよそしいと思われるかもしれないな。一緒に過ごす時間が増えれば、お互いきっと好感を持つはずだ。ミス・クロフォードの溌剌としたところは父さんを楽しませるだろうし、彼女のほうだって、父さんの能力を高く評価する才能はあるんだ。二人がもっと頻繁に会ってくれたらいいのになぁ! ──父さんから嫌われてると彼女が思ってなければいいんだが」

「ミス・クロフォードは、みなさん方全員から好かれていることをよくご存知のはずですわ」とファニーは半ばため息をつきながら言った。「だからそんな不安を抱くこともないでしょう。それに、サー・トマスが最初のうちは家族水入らずで過ごしたいと願われるのもごく当然のことですから、彼女は別に何とも思わないでしょう。しばらくしたら、きっとまた以前のように顔を合わせるようになると思うわ。夏と違って冬は行き来がしにくいので、季節の違いは考慮しなければなりませんけど」

「子どもの時以来、ミス・クロフォードが地方の田舎で十月を過ごすのはこれが初めてなんだ。タンブリッジやチェルトナム2は田舎ではないからね。十一月は寒さがいっそう厳しい月になるし、グラント夫人もすごく心配してるんだ。冬になると、ミス・クロフォードはマンスフィールドを退屈だと思うんじゃないかって」

 ファニーは言いたいことが山ほどあったが、何も言わないほうが無難だと感じた。そしてミス・クロフォードの内面や、才芸、溌剌とした性格、存在感の大きさ、友人たちなどについても触れないほうがいいと思った。一見すると失礼に思われる意見をうっかり言ってしまう恐れがあったからだ。ミス・クロフォードが自分に好意的なこともあり、少なくともその点については恩義を感じていたので、ここはぐっと耐えることにした。そしてファニーは別の話題を振った。

「明日、伯父さまはサザートンで夕食を取る予定なのね、あなたやトムさんも同席するとか。マンスフィールド・パークのほうはかなりこぢんまりしたメンバーになりそうですわ。伯父さまが、ラッシュワースさんを好きでい続けてくれるといいんですけど」

「それは不可能だよ、ファニー。明日の訪問のあと、父さんのラッシュワース氏への好感度は下がってしまうだろうな。五時間も彼と一緒に過ごすことになるからね。つまらない一日になるんじゃないかって心配だよ、それ以上に厄介な事が起きなければだけど──父さんがどんな印象を持つか不安だ。父さんはもはやこれ以上自分を欺くことはできないだろうね。みんなのことが本当に気の毒だ。ラッシュワース氏とマライアが出会わなければよかったのにと思うよ」

 この点に関して、たしかにサー・トマスの身には失望が迫っていた。いかに彼がラッシュワース氏を好意的に見ようとも、またいかにラッシュワース氏が彼に敬意を払っていようとも、やはりサー・トマスがすぐに真実を知ることになるのは避けられなかった──つまり、ラッシュワース氏は能力の劣った青年で、地所管理に関してもほとんど無知であり、物事に対してしっかりした定見もなく、自分が無知である自覚もないということだ。

 サー・トマスは、全然違った婿を期待していたのである。マライアのためを思うと深刻な気持ちになってきたので、彼女の本心を理解しようと努めた。ほんの少し観察しただけでも、無関心というのが二人の最も好ましい状態というのが分かった。ラッシュワース氏に対する彼女の態度はぞんざいで冷淡だった。マライアは彼のことが好きではなかったし、好きにもなれなかったのだ。サー・トマスは真剣に話し合いをしようと決意した。非常に有利な縁組ではあるし、婚約の件も長いこと世間に知れ渡ってしまっているけれども、マライアの幸せを犠牲にしてはならないのだ。おそらく、ラッシュワース氏とは短期間交際しただけで婚約してしまったのであり、彼のことをよく知るにつれ、彼女は後悔しているのだ。

 サー・トマスは、厳粛だが優しい口調でマライアにこう言った。

「わたしは心配しているのだよ。どうか隠し立てせず正直に、おまえの望みを話しておくれ。もし破談したときのことを思ってつらく感じているのだとしたら、気にすることはない。どんな不都合があろうとも構いはせん、この縁談は完全になかったことにするから安心しなさい。わたしは必ずおまえのために行動するし、この婚約から解放してあげるつもりだ」

 これを聞いてマライアは一瞬葛藤したが、それもほんの束の間だった。父親が話し終えると、彼女は即座にきっぱりと返事をすることができたし、見た目には動揺の色を一切見せなかった。

「お父さまの深いご配慮、お優しい心遣い、ほんとうにありがとうございます。でも、お父さまは勘違いしてらっしゃいますわ。婚約を破棄したいだなんてほんの少しも思っていませんし、婚約当初から意見や気持ちが変わったこともありません。ラッシュワースさんの人柄と性格にはこれ以上ないくらい尊敬の念を抱いていますから、彼と一緒なら幸せになれると信じておりますわ」

 サー・トマスは納得した。彼はあまりにもマライアの返事に満足していたので、他の場合ならばおそらく自分の判断を強いていたかもしれないが、この件ではそれほどまでにマライアを説得することはなかった。この縁組は、痛みなくしては断念できないものだった。そのため彼はこう考えた。ラッシュワース氏はまだ若いので改善する余地はあるだろう。──優れた社交界に身を置けば、ラッシュワース氏は必ずや向上するはずだ。それにマライアが、こうして彼と一緒になっても幸せになれるときっぱり断言しているのなら──愛情ゆえの思い込みもなく、恋で盲目になることもなく話しているのだから──彼女の言うことも信用するべきである。たぶん、マライアは感受性があまり鋭くないのだろう。マライアの感受性が鋭いと考えたことは、いままで一度もなかった。だが、そのせいで彼女の幸せが減るわけではなし、自分の夫が立派な性格ではなくても構わないと本人が思っているのなら、当然何もかもが彼女にとって有利になるだろう。恋愛結婚をしなかった気立ての良いお嬢さんは、一般に自分の実家により強い愛着を寄せるものだ。マンスフィールド・パークがサザートンから近いことも、必然的に最大の魅力となるだろうし、いつだって好ましく無邪気な娯楽を提供し続けてくれるだろう。このようなことが、サー・トマスの導き出した考えだった──破談という世間体の悪さ、それに伴う人々の驚き、非難、恥辱を免れることができて喜んでいたし、自分の社会的地位と影響力を高めてくれる結婚を確かなものにできたことにも喜んでいた。彼はマライアの性格について、この目的に大変都合のよい勝手な解釈をして、とても幸せな気分になっていた。

 マライアにとっても、この話し合いは満足のゆくものだった。自分の運命がもはや後戻りできない状態になったこと──あらためてサザートンへの忠誠を誓ったこと──彼女の行動を左右し、将来を破壊するという勝利感をクロフォードに味わわせずに済んだことを、マライアは喜べる精神状態になっていた。そして、ラッシュワース氏に対してはもっと用心深く振る舞って、父親に再び疑念を抱かせないようにしなくてはと決意し、毅然として部屋を出た。

 もしも、サー・トマスがマライアと話をしたのがヘンリー・クロフォードのマンスフィールド出発後三、四日以内で、マライアもまだ平静にはなっておらず、彼への期待を全部捨てたわけではなくて、ラッシュワース氏で我慢しようと完全に腹をくくってしまう前だったならば、彼女の答えは違ったものになっていたかもしれない。だが実際は三、四日経っても彼は戻らず、手紙も言伝ことづてもなかった──彼の心が和らいだというきざしもなく──離ればなれになって、自分を恋しく思ってくれるのではないかという望みもなくなり──彼女の心は冷めきって、自尊心と復讐にすべての慰めを見いだせるほどになっていた。

 ヘンリー・クロフォードはマライアの幸せをぶち壊しにしたが、そのことを彼に悟られてはいけないし、自分の評判や輝かしい将来まで破壊されてはならないのだ。のことを恋い焦がれて憔悴しマンスフィールドに引きこもっているのだと思われたり、サザートンやロンドンでの生活、自立した地位や贅沢な暮らしを、のために捨てたのだと思われてはならないのだ。結婚して自立することが必要だとこれまで以上に思えてきたし、マンスフィールドには自由が欠けていることがますます痛切に感じられてきた。マライアは日に日に、父親が強制する束縛に耐えられなくなってきたのだ。父の不在中に味わった自由がいまや絶対必要だった。できるだけ早く、父親とマンスフィールドから逃れなければならない。そして贅沢な生活、立派な社会的地位、賑やかな社交界に、傷心への慰めを求めるのだ。彼女はすっかり覚悟を決め、決心が変わることはなかった。

 こういう気持ちのマライアにとっては、どんな遅れも──入念な結婚準備のための遅れでさえも──我慢ならなかっただろうし、ラッシュワース氏でさえこれほど結婚したくてうずうずした気持ちになることはできなかっただろう。大事な心の準備のほうはすっかりできていた。実家と束縛と静かな暮らしへの嫌悪感、失恋による痛手、自分の結婚相手への軽蔑の念などによって、マライアは結婚の覚悟ができていたのだ。他のことは後からでもよい。新しい馬車や家具などは、春になってロンドンに行く時まで待てばよいのだ。その頃には、自分の趣味をもっと自由に発揮できるだろう。

 この点においては、主な当事者たちもみんな同意していた。そのため、挙式前に行わねばならない手はずを整えるには、ほんの二、三週間もあれば十分だろうと思われた。

 ラッシュワース夫人は喜んで隠居し、愛する息子が選んだ幸運なお嬢さんに、女主人の座を譲るつもりだった──そして十一月の初めに夫人は侍女と従僕を引き連れて馬車に乗り込み、資産家の未亡人としてまことにふさわしい品位をもってバースへ移っていった──そこで夫人が開いた夜会では、サザートンの素晴らしさを吹聴して人々を圧倒させ──トランプのテーブルではいきいきと自慢話を披露し、おそらくサザートンにいた時と同じくらい存分に、サザートンのすごさを味わって楽しんでいた。そして同じ十一月の中旬には結婚式が行われ、サザートンに新しい女主人が誕生した。

 それは実にきちんとした結婚式だった。花嫁はエレガントに着飾り─花嫁付添人の二人[ジュリアとファニー]はしきたり通り地味で──父親は花嫁を花婿に引き渡し──母親は、動揺にそなえて気つけ薬を握りしめて立ち──伯母は泣こうと努め──誓いの言葉もグラント博士によっておごそかに読み上げられた。近所の人々の話題に上ったときにも、何一つとして難癖をつけられるようなことはなかった。ただ、教会のドアからサザートンまで花嫁と花婿とジュリアを運んでいった馬車が、ラッシュワース氏が一年前から使っている馬車のままだった点を除けばだが3。だがそれ以外のすべての点で、この日の結婚式の作法は、どんな厳しい目にも耐えうるほどだった。

 式が終わり、一行は出発した。サー・トマスは娘を案じる父親なら必ずや感じるはずの気持ちになり、実際ひどく心がかき乱されていた。妻のバートラム夫人のほうも、自分は気が動転してしまうのではないかとの不安に襲われていたが、幸いにもそのようなことは起きなかった。ノリス夫人は、結婚式のお手伝い役を務めてずいぶん幸せそうにしていた。彼女は妹のバートラム夫人の心の支えとなるため、その日はマンスフィールド・パークに滞在し、ラッシュワース夫妻の健康を願って一、二杯よけいに祝杯をあげたりして、有頂天の喜びっぷりだった。なぜなら、彼女がこの縁組をまとめたのであり、彼女が一切のことを仕切ったからである。ノリス夫人の自信たっぷりで鼻高々なようすからすると、彼女は今まで結婚生活における不幸というものを一度も聞いたことはないし、自分が面倒を見てきた姪の性格についてほんの少しの洞察力も持ち合わせていないのだ、と誰もが思ったことだろう。

 新婚夫婦たちは二、三日後にブライトン4へ出かけ、そこで数週間邸宅を借りて過ごす計画になっていた。マライアにとってはあらゆる歓楽地が目新しかったし、冬のブライトンは夏と同じくらい陽気で賑やかだった。そこでの珍しい娯楽をひととおり終えた頃には、ロンドンのさらに広い社交界に出る時期になっているだろう。

 ジュリアも、新婚夫婦と一緒にブライトンへ新婚旅行に行くことになっていた5。姉妹間の敵対意識はもはやなくなっていたので、二人は徐々にかつての仲の良さを取り戻しつつあった。少なくとも、こんな時にお互いの存在を喜べるくらいの友人関係にはなっていた。マライアにはだれかラッシュワース氏以外の話し相手が絶対に必要だったし、ジュリアも姉と同じくらい目新しさや娯楽を求めていたからだ。だがジュリアは、そういったものを得るために姉ほどの代償を払っていないので、父より姉に従う立場のほうがよっぽど我慢できた。

 バートラム姉妹の出発は、マンスフィールド・パークにまた別の大きな変化をもたらした。その穴が埋められるにはしばらく時間が必要だった。家族の集まりはひどくこぢんまりしたものになってしまった。近頃ではマライアもジュリアも、陽気な雰囲気にはほとんど貢献していなかったが、それでもみんなは二人のことを恋しく思った。母親のバートラム夫人でさえ寂しがっていた──だから、彼らの心優しい従妹であるファニーはどれだけ寂しがっていただろう。ファニーは残念そうに愛おしく屋敷をさまよったり、二人に思いを馳せたりしていた。当のマライアとジュリアは、ファニーからそんなふうに思われるに値するようなことは、一度もしたことがなかったのだが!

  1. 『マンスフィールド・パーク』と奴隷貿易の関係は、エドワード・サイードを始め、多くの研究者によって議論されてきた。サー・トマスの西インド諸島に所有する農園が何なのかは小説中に明示されていないが、当時西インド諸島を席巻していたサトウキビプランテーションであろうと思われる。紅茶に入れる必需品として、国内での砂糖の需要が大幅に高まっていたのである。サー・トマスのように、奴隷や現地人を使役して砂糖から得られる莫大な利益を元にイギリス本国で贅沢な暮らしをし、国会議員として政治を動かすジェントルマン階級の人間が数多く存在した。
    本作品と奴隷貿易との関わりを示す例として、以下5点を挙げる。
    ①イギリスの奴隷貿易廃止運動に大きな影響を与えた二つの判決を下した高等裁判所主席判事・初代マンスフィールド伯爵から『マンスフィールド・パーク』の題名が採られている可能性がある(諸説あり)。
     (1)1772年のサマセット判決は「イギリスにいる限り黒人は奴隷ではない」というもので、イギリス本国内では奴隷制度は存在しないことを確認した画期的な判決だった。
     (2)1783年のゾング号事件(wiki)は、船舶会社が海中に遺棄した奴隷を「積荷」として保険金を求めて争った裁判だが、マンスフィールド主席高等判事は過失に対する損失に対して補償する責任はないと、保険会社に有利な判決を下した。
    以上の二つの判決は、イギリス中の世論を巻き込んで奴隷貿易廃止運動を強力に後押しするきっかけとなった。(ちなみにイギリス帝国内での奴隷貿易禁止法が制定されたのは1807年。奴隷制度自体の完全廃止は、第一回選挙法改正後の1833年まで待たなければならない。)
    ②さらにオースティンはこれが偶然の一致ではないことを読者に念押しするため、おそらくノリス夫人の名前を、リヴァプールの元奴隷船船長であり二枚舌として悪名高いノリス氏から採っている。彼の名前は、奴隷廃止論者のトマス・クラークソンの著書『奴隷制度廃止の歴史』(1808)の中で言及されているが、オースティンはクラークソンの著書を手紙(1813年1月24日)の中で絶賛している。
    ③ファニーの愛好するロマン派の詩人であるウィリアム・クーパーは熱心な奴隷制廃止論者であり、奴隷貿易に反対する詩を数多く書いている(『課題(The Task)』など)。
    ④マライアは結婚後ロンドンの邸宅として「ウィンポール街(Wimpole Street)」に居を構えるが、ここは西インド諸島に農園を所有するプランターたちが豪邸を構えていた通りとして有名だった。
    ⑤個人的なレベルでは、初代マンスフィールド伯爵の甥の娘で、伯爵夫妻の元で養育されていたレディ・エリザベスとオースティンは接点があった。レディ・エリザベスの嫁ぎ先フィンチ-ハットン家の邸宅(Eastwell Park)は、裕福なナイト家の養子となったオースティンの兄エドワードが所有するケント州ゴッドマーシャムの邸宅から、わずか約7kmしか離れておらず、両家はご近所だったのである。そのためオースティンは兄とともに訪問した際、レディ・エリザベスと何度も顔を合わせたことがあった。彼女は上品だが無口で面白味のない女性だったようで、何度も手紙の中で冗談の的にされている(1805年8月24年など)。レディ・エリザベスは、バートラム夫人のような「上品だが頭は空っぽな貴婦人」のモデルになったのではないかとも言われている。
    以上のように、オースティンが社会的・個人的側面から、奴隷貿易に関心を寄せて、読者に反奴隷制をさりげなく連想させるよう本作品の構想に織り込んだと思われる。

    下の絵画はレディ・エリザベスの肖像(右)。左の黒人女性は、同じくマンスフィールド伯爵家に引き取られた親戚のダイド・ベル(wiki)で、父親は伯爵の甥で海軍士官のサー・ジョン・リンゼイ、母親は西インド諸島出身の黒人である。ダイドが養子として伯爵家に引き取られた境遇は、ファニー・プライスの設定にヒントを与えた可能性がある。残念ながら、オースティンがダイドと交流したことを示す証拠は残っていない。彼女の人生に興味を持たれた方は、映画『ベル─ある伯爵令嬢の恋』をぜひご覧ください。奴隷制廃止運動の中心人物であるウィリアム・ウィルバーフォースが主人公の映画『アメイジング・グレイス』も、禁止法制定までの経緯を理解するのに役立つのでお薦めです。ベル エリザベス マンスフィールド伯爵
    参考論文・文献:
    Ambiguous Cousinship: Mansfield Park and the Mansfield Family
    The Rushworths of Wimpole Street
    Mansfield Park: Courting Controversy; The Global Contexts(Jane Austen’s House Museum)
    Three Books and a letter(Jane Austen’s House Museum)
    「奴隷貿易─ファニーとジェインの口の端に上るとき─」
    奴隷貿易と海上保険― ゾング号事件とその保険金裁判―
    「Mansfield Parkの細部描写」
    「英国奴隷貿易廃止の物語(その2)」
    川北稔, 『砂糖の世界史』, 岩波ジュニア新書, 1996年.

  2. どちらも高級温泉保養地。タンブリッジはロンドンの南東約50kmに位置し、チェルトナムはイングランド西部のコッツウォルズ地方に属する。
  3. 結婚にあたって、新しい馬車を両親から贈られるのが一般的な慣習だった。
  4. イギリス南部の海浜リゾート地。当時の定番の新婚旅行先だった。
  5. 当時、新婦の妹や友人が新婚旅行に付き添うのは普通のことだった。
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