説得 第2章/バースへの移住計画

説得 説きふせられて ジェイン・オースティン ジェーン・オースティン jane austen ◎説得

 

 シェパード氏というのは丁重な用心深い弁護士で、サー・ウォルターに対してどのような影響力や意見を持っていたにせよ、不愉快な事柄はできれば誰か別の人の口から言ってもらいたいと思っていた。そのため彼は「わたくしめからご提案を申し上げるのはどうか一切辞退させていただき、ラッセル夫人の優れたご判断に従われることをお勧めいたします」と遠回しに述べただけだった。──ラッセル夫人はその良識で知られた人だったので、彼女から断固たる措置について進言してもらうことをシェパード氏は期待していたし、最終的にはそういった措置が採用されるしかないと思っていた。

 ラッセル夫人はこの件について熱心に取り組み、本気で真剣に考えた。夫人は頭が切れるというよりもむしろ健全な精神の女性で、今回の場合は二つの主要な原則(すなわち准男爵家の体面を傷つけず、かつ借金を減らすという原則)が対立しているので、今回の場合何かを決断するというのはかなりの難題だった。ラッセル夫人は厳格なくらい誠実な人で、名誉を重んじる繊細な心の持ち主だった。分別と正直さを備えた人なら誰でもそうであるように、彼女はサー・ウォルターの心労を軽くしてやりたいと願い、エリオット家の評判を案じ、彼らに対して果たすべき義務についても貴族的な考え1を持っていた。また彼女は慈悲深く善良な女性で、情にも厚く、すこぶる品行方正であり、礼節についての考えも厳格で、これぞ育ちの良さの見本という礼儀作法を備えていた。教養もあり、一般的に言えば理性的で、考え方も首尾一貫していた──しかし、高貴な家柄の人たちにはつい肩を持ってしまうところがあった。ラッセル夫人は身分と社会的地位を重んじていたので、それらを備えた人たちの欠点には少々目が曇ってしまうのだった。彼女自身は単なるナイト爵の寡婦にすぎないので、准男爵の威厳にはしかるべき敬意を払っていた。サー・ウォルターは古くからの友人で、よく気遣ってくれる隣人だし、親切な地主で、愛する親友の夫であり、アンとその姉妹たちの父親でもあったが、そのことを別にしても「准男爵サー・ウォルターである」というただそれだけで、今現在の苦難に対して多大なる同情と思いやりを寄せてもらう権利がある、とラッセル夫人は考えているのだった。

 どうしても出費を切り詰めなければならない。それについては疑問の余地はない。だがラッセル夫人としては、サー・ウォルターとエリザベスへの苦痛をできるかぎり最小限にしてあげたいと願っていた。夫人は倹約案を作成し、正確な計算を行ない、さらには他の誰もが考えつかなかったようなことをした──アンに相談したのである。他の人たちは「アンはこの件に何の関心もないだろう」と思っているようだった。立案にあたってラッセル夫人はアンに助言を求め、ある程度アンの意見も採り入れ、ついに倹約案をサー・ウォルターに提出した。アンの修正点はすべて、体面よりも誠実さを重んじたものだった。アンが求めたのはもっと積極的な対策と徹底的な改革、そして借金から一刻も早く解放されることであり、債権者への誠実さと公正さだけを追求して、それ以外のことには一切頓着しないという姿勢がはるかに強調された削減案だった。

「これであなたのお父さまを説得できたら、かなりの節約になるでしょうね」とラッセル夫人は書類をざっと見ながら言った。「この倹約案を受け入れていただけたなら、七年で借金は完済できます。サー・ウォルターとエリザベスにも納得してもらえるだろうと思います。ケリンチ・ホール自体が立派ですから、こうした費用削減のせいで威信に傷がつくなんてこともないわ。高潔な人らしい振る舞いをしているのだから、分別のある人たちの目には、准男爵サー・ウォルター・エリオットの威厳が損なわれるなどということもありえません。じっさい、お父さまのなさっていることは、わが国でも一流の名家の方々の多くがこれまで行なってきたことよ──お父さまの場合も、何も珍しいことなんてありません。よくあることだけど、わたしたちの苦しみの中でも一番ひどいことは、珍しい振る舞いで人目を引いてしまうことなのですからね。きっと説得できると思うわ。きっぱりとした真剣な態度で臨まないと──結局のところ、借金を抱えているなら返済しなくてはいけませんものね。もちろん、あなたのお父さまのように、紳士であり一家の当主でもある方のお気持ちには多大な配慮が必要ですけど、それ以上に誠実な人としての評判にも配慮が必要だわ」

 アンは父がこの信条に従ってくれるよう願っていたし、ラッセル夫人やシェパード氏たちに対しても、父にそう勧めてほしいと願っていた。アンの考えでは、ただちに債権者たちへ借金を返済するのが絶対に必要な義務だった。広範囲にわたって経費削減してこそ速やかに返済できるのであり、迅速さに欠けるようなところがあればもはや威厳どころではない。アンはぜひともそのような措置が取られてほしかったし、それが義務だとも感じていた。アンはラッセル夫人の説得力を高く買っていた。また、節約にともない厳しい自制心を働かせることについては、アンは自分の良心としてそうするのが当然だと思ったが、「中途半端な改革であろうと、徹底的な改革であろうと、父や姉を説得する困難さは大して変わらないだろう」と考えていた。父とエリザベスをよく知っているアンからすれば、馬を失うのが二匹だろうが四匹だろうが、二人の感じる苦痛はほとんど同じだろうと思いたくなる。ラッセル夫人の生ぬるい削減策のリストを眺めながら、アンはそんな思いを巡らせた。

 しかし、アンのさらに厳しい要求が提示されていたらどのように受け止められただろうかというのは、大して重要ではなかった。ラッセル夫人の要求でさえまったく受け入れられなかったからだ。

「到底我慢できない──耐えられん! 何だって! 快適な生活を全部あきらめろだって! 旅行も、ロンドンも、召使いも、馬も、食事も──どこもかしこも節約と倹約だらけじゃないか。隠遁した紳士らしい体面すら保てんとは! いいや、こんな屈辱的な条件でここにとどまるくらいなら、いますぐケリンチ・ホールを出てやる」

「ケリンチ・ホールを出る!」シェパード氏はすぐさまその言葉に飛びついた。サー・ウォルターが節約に迫られているという現実には、お抱え弁護士であるシェパード氏自身の利害も絡んでいたし、彼としても「住居を変えないかぎり節約は不可能だろう」と考えていたのである。──

「ご指示を仰ぐべきまさにその方からそのお考えが提案されたのでありますから、僭越せんえつながら申し上げます」とシェパード氏は言った。「わたくしとしてもそのご判断に完全に賛成でございます。お客様をもてなす心と格式ある威厳を保たなければならないこの屋敷で、サー・ウォルターが生活様式をがらりと変えられるとは思えません。──しかしどこか他の場所でなら、ご自分で生活様式をお決めになれるでしょう。暮らしぶりを適宜抑えつつ、どんな生活をなさろうとも、『サー・ウォルターは紳士としてしかるべき生活様式の模範を示されているのだ』と尊敬されることでしょう」

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 サー・ウォルターがケリンチ・ホールを出る──二、三日迷ったり悩んだりした末に、サー・ウォルターはようやく決意を固めた。「今後どこに住むべきか」という大問題も決着し、この重大な移転についての概要は何とかまとまった。

 移住先の選択肢は三つあった。ロンドンか、バースか、この地方の別の家だ。アンの希望は一番最後だった。今の近所の小さな家に住めば、ラッセル夫人とのお付き合いも続けられるし、妹のメアリーの近くにもいられ、時にはケリンチ・ホールの芝生や木々を眺める喜びを得られるかもしれない。それこそがアンの願いだった。しかし、アンにはお決まりの運命がついて回った。彼女の希望とは正反対の方向に事が決まったのである。アンはバースを嫌っていたし、自分に合う土地だとも思えなかった──だが、バースが彼女の住まいとなるのだ。

 サー・ウォルターは初めロンドンがよいと考えていたのだが、シェパード氏は「サー・ウォルターをロンドンに置いておくのは信用ならない」と感じ、巧みにそれを思いとどまらせ、バースを選んでもらうように仕向けた。経済的苦境に陥っている紳士にとって、バースのほうがはるかに安全な土地だからだ。──そこなら比較的少ない出費で立派な暮らしができるだろう。バースがロンドンより優れている二つの重要な利点も、もちろん強調された。一つは、ケリンチから五十マイル[80km]しか離れていないので距離的に便利だということ。そして二つ目は、ラッセル夫人が毎年冬の数週間をバースで過ごしているということだ。ラッセル夫人としては、当初から移転先はバースにしてほしいと思っていた。サー・ウォルターとエリザベスが「まぁ、バースに住んでも威厳が損われたり娯楽がなくなってしまうわけではないだろう」と信じる気になってくれて、夫人は大いに安心することができた。

 ラッセル夫人は愛するアンの希望を知っていたものの、それには反対せざるをえないと感じていた。サー・ウォルターが落ちぶれて自分の屋敷の近所にある小さな家で暮らすなんて、あまりにも酷すぎる。アン自身も予想以上の屈辱を感じるだろうし、サー・ウォルターにとってはぞっとするような思いだろう。アンがバースを嫌っていることについては、偏見と誤解によるものだとラッセル夫人は考えていた。その原因はまず一つに、アンは三年間バースの女子寄宿学校に通っていたのだが、それがちょうど母親の死去後だったという事情。そして第二に、その後冬に一度だけ自分とバースで過ごしたことがあるのだが、その頃たまたまアンはあまり元気がなかったという事情だ。

 要するに、ラッセル夫人はバースが好きで、きっと誰にでも合う土地のはずだと考えたいのであった。アンの健康については、暑い夏の間はケリンチ・ロッジで過ごせば危険は避けられるだろう。じっさい、引っ越して場所を変えるのは健康にも良く、気分転換にもなるはずだ。アンは家からほとんど外に出ることがないし、人前に出る機会が少なすぎる。どうも元気がない。もっと多くの人と交流すればきっと元気になるだろう。ラッセル夫人は、アンがもっと人付き合いをしてほしいと願っていた。

 サー・ウォルターが同じ近隣の他の家に住むのは好ましくないということは、ある一点によっていっそう揺るぎないものになった。それはこの計画のたいそう重要な点で、当初から巧みに付け加えられていたものだった。サー・ウォルターはこの屋敷を出るだけでなく、それが人手に渡るのを見なければならないのだ。これはサー・ウォルターよりも強い精神力の持ち主でも、自分の忍耐力への試練だと感じるだろう。──ケリンチ・ホールは貸し出されることになる。けれども、これは極秘事項だった。内輪の人々以外には絶対に一言も漏らしてはならないのだ。

 サー・ウォルターは、自分の屋敷を貸し出す計画が知られるなどという不名誉に耐えられるはずがなかった。──シェパード氏は一度「広告」という語を口にしたが、もう二度とその言葉を口にしようとはしなかった。サー・ウォルターは、どんな形であれ、こちらから願い出て屋敷を貸すという考えをはねつけた。そんな意志のあることがほんのちょっとでも漏れることすら許さなかった。あくまでも、立派な申込者からぜひ貸してほしいという申し出があった場合のみ、こちらの思い通りの条件で、ものすごい厚意として、屋敷を貸してやるのだ。

 われわれは、自分の気に入ったことならば、それに賛成する理由をすぐさま見つけ出すものである。──ラッセル夫人には、サー・ウォルターとその家族がこの土地を離れてくれればありがたいと思えるすばらしい理由が、もう一つあった。というのも、近頃エリザベスはある女性と親しくしているのだが、ラッセル夫人はその交際をやめさせたいと願っていたのだ。その相手というのはシェパード氏の娘で、不幸な結婚生活の後、寡婦となり二人の子どもを抱えて実家に戻ってきているのであった。彼女は利口な若い女性で、ご機嫌取りのすべを心得ていた。少なくとも、ケリンチ・ホールでご機嫌を取るすべを心得ていた。彼女はミス・エリオット[エリザベス]にずいぶん気に入られていたので、すでに何度かケリンチ・ホールに滞在したことがあった。ラッセル夫人はこれをきわめて身分違いの交際だと思っていたので、エリザベスに対してそれとなく注意したり交際を控えるよう助言したのだが、まったく聞き入れられなかった。

 じっさい、ラッセル夫人にはエリザベスを動かす力はほとんどなかった。ラッセル夫人は、エリザベスのことは愛すべきところがあるから愛しているというよりも、むしろ何とか愛そうと努めているようだった。エリザベスからは表面的な気遣いを受けるだけで、慇懃な振る舞い以上のものを受けたことはついぞなかった。どんな点においても、エリザベスの最初の意志に反して、ラッセル夫人の進めたい方向に物事が運んだことは一度もなかった。ラッセル夫人は何度も熱心にアンをロンドン訪問に含めさせようとしていたし、「アンをのけ者にするような身勝手な取り決めはきわめて不公平で不名誉だ」と感じていた。他のそれほど重大ではない場面でも、ラッセル夫人は事あるごとにエリザベスに対して、自分の良識と経験にもとづいたアドバイスを授けようとしていた──だがいつも無駄に終わった。エリザベスはどうしても自分のやり方を通したがった。──今回、バース行きの相手にクレイ夫人を選んだことについても、エリザベスはラッセル夫人に対して今までにないほど強硬に反発した。エリザベスは、交際相手としてあれほどふさわしい妹のアンを無視して、本来ならば礼儀正しくしつつもよそよそしい態度で接してやるにすぎないクレイ夫人に、愛情と信頼を寄せたのである。

 ラッセル夫人の見たところ、クレイ夫人は社会的地位がきわめて不相応であるうえに、その人柄についても非常に危険な交際相手だと感じていた──そのため、この土地を離れてクレイ夫人を後に残し、ミス・エリオットの身の回りでもっとふさわしい交際相手を選ばせることが、何にもまして重要な目標だったのである。

 

  1. 「貴族的な(aristocratic)」とあるが、ラッセル夫人もエリオット家も地位としては平民であり、貴族ではない。ラッセル夫人のスノッブさを皮肉っている。
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