《あらすじ》
舞台は、アガサが宿代を支払えないために宿屋を追い出される場面から始まる。そこへある兵士が通りかかって、なけなしの金を恵んでやる。アガサは、その兵士が兵役のため5年前に家を出たまま行方不明の我が息子、フレデリックであると気づく。彼がこの地を訪れた理由は、雇用に必要な出生証明書を取りに戻るためだった。
悲嘆に暮れながら、アガサは出生証明書は存在しないと息子に告げる──なぜなら彼は私生児だからだ。そして、ヴィルデンハイム男爵に誘惑され捨てられた経緯を打ち明ける。男爵は、アガサと結婚すると約束をしておきながら、別の裕福な女性と結婚してしまったのだ。妊娠したアガサは家を追い出され、たった一人でフレデリックを育ててきたのだった。
フレデリックは親切な農夫たちに母親を委ねて、物乞いに向かった。すると狩猟者の一団に出会う。金を恵んでくれと彼らに頼んだものの、母親の宿代を払えるだけの金は与えてもらえなかった。切羽詰まったフレデリックは剣を抜き、強奪を試みようとしたが、逮捕されてしまった。
驚いたことに、フレデリックが襲った相手はなんと父親のヴィルデンハイム男爵だった。今は男やもめとなっていた男爵は、愚かで自堕落なカッセル伯爵と娘のアミーリアを結婚させようと目論んでいた。男爵は、アミーリアの家庭教師であるアンハルト牧師に、愛と結婚について教えを授け諭すよう依頼していたが、指導を通じて二人は愛し合うようになっていた。二人は、たびたび『だじゃれを言う執事(rhyming Butler)』の邪魔に合う。執事は、フレデリックの逮捕を韻に乗せて歌っていた。男爵は、フレデリックを見せしめのため処罰するよう要求するが、アミーリアは彼のことを憐れんで、牢獄まで『差し入れのバスケット(a basket of provisions)』を持って面会に訪れる。フレデリックはアミーリアからの情報で、自分が強盗しようとしていた相手がヴィルデンハイム男爵だと知り、男爵と二人だけでこっそり話ができないか依頼する。
アミーリアは、カッセル伯爵が女たらしの放蕩者と知り、父親の男爵に暴露する。カッセル伯爵は、別の女性と婚約をしていた事実をあっさり認めた。だが「同じような経験がある男はこの世にはたくさんいる」と伯爵は言い放つ。アガサにひどい仕打ちをしてしまったことをずっと後悔していた男爵は、我が身を振り返って恥じる。アミーリアは、アンハルト牧師への愛を父親に打ち明ける。アンハルト牧師は、フレデリックが男爵に会いたがっていることを伝える。フレデリックは、男爵と自分が父子であることを明かして立ち去った。
アンハルト牧師に説得され、男爵は身分の低いアガサと結婚することに同意した。さらに娘のアミーリアと貧しいアンハルト牧師の結婚にも許可を与えて、物語は大団円を迎える。
<登場人物対照表>
フレデリック …クロフォード氏
ヴィルデンハイム男爵 …イェーツ氏
アンハルト牧師 …エドマンド
カッセル伯爵 …ラッシュワース氏
農夫&執事 …トム
アガサ …マライア
アミーリア …メアリー・クロフォード
農夫のおかみさん …グラント夫人
《作品概要》
『恋人たちの誓い』(英語全文はこちら→ Project Gutenberg)は、イギリス人女優兼脚本家のエリザベス・インチボールド夫人作の芝居。原作はドイツ人劇作家オーギュスト・フォン・コッツェヴー作の『私生児(Das Kind der Liebe, 英語ではLove child)』(1791)である。インチボールドはこれをイギリス人向けに翻案・改変した。1798年にロンドンのコヴェント・ガーデンで初上演されるとたちまち本国以上の好評を博したが、不義密通と婚外子というテーマのきわどさに、当時は批判もあったようだ。フランス革命後の新たな精神風土のなかで、身分や貧富の差を越えた愛の勝利のようなものが若い世代には受け入れられたのかもしれない。しかし、それは一歩間違えれば、不倫や放縦の容認ともなりかねない危険もはらんでいた。
インチボールドは序文で、コッツェヴーの原作を改変した理由を「イギリスの舞台にはふさわしくないと考えたから(the consideration of its original unfitness for an English stage)」としている。特にアミーリアは、原作ではかなり露骨であけっぴろげな愛の告白をしているので、「イギリス人の観客にとってはゾッとするほど不快なもの(revolting to an English audience)」になっていただろう、と述べている。インチボールドはアミーリア役を、「イギリス人の趣向に合うような振舞い(with manners adapted to the English rather than the German taste)」に変えて、観客の共感を得るようなキャラクターにしたかったのだそうだ(それでも、当時のイギリス人にとっては十分ショッキングな脚本だったのだが)。
なお、1801年~1806年にバースの王立劇場で『恋人たちの誓い』が6度に渡って上演されているが、ジェイン・オースティンもまさにこの時期にバースに居住していたので、この芝居を観劇していた可能性は相当高い。あるいは少なくともこの頃から内容によく通じていたことは確実である(だからこそ本作の作中劇に採用したのだろう)。
この時代、上流階級の乱れたモラルと家庭劇(素人芝居)の流行は決して無関係ではないと見なされていた。『恋人たちの誓い』の上演を認めるか否かが、登場人物の道徳観をさぐる手がかりを与えてくれたのである。オースティンがこの作品を選んだ理由はまさにここにあるだろう。
《感想》
まず、トムの言うことは信じてはいけません。第15章でトムは「農夫のおかみさん役のセリフは半ダースもない」などと言っていますが大嘘で、余裕で20以上はあります。また、農夫のおかみさん役はややゴシップ好きな人物で、ファニーが死んでも言わないような下世話なセリフもあるため、ファニーがこの役に尻込みしたのも無理はないと思いました。
アミーリアの大胆さにも驚きました。女性が自分から「あなたを愛してる」などと言うのは、当時の価値観からすれば到底ありえません。想像以上にストレートなセリフだったので、これは眉をひそめられるのも当然だと感じました。
アガサについては、妊娠したため男爵に捨てられてしまった経緯を悲痛に語る場面が第1幕にありますが、これを聞いてヘンリー・クロフォードは何も感じなかったのだろうかと…
まさにアガサと同じように、今からその恋心を弄んで捨てようとしているマライアの口からこのセリフを聞いているわけで。とんでもない冷酷男だなと思いました。
カッセル伯爵のセリフは数えてみると本当に42個でした。
オースティンはこういった細部のことまで緻密に裏取りをするタイプの小説家ですよね。
『恋人たちの誓い』を読んでみると、小説内の登場人物たちは具体的にこんな内容の芝居をしてたんだとか、オースティンも当然これを読んでいたんだと同じように追体験できた気がして、さらにマンスフィールド・パークを深く味わうことができました。
『恋人たちの誓い』は、岩波文庫版の『マンスフィールド・パーク下』で全編読めますので、ぜひお読み下さい。
参考
都留信夫編著『イギリス近代小説の誕生──十八世紀とジェイン・オースティン』ミネルヴァ書房、1995年。