ラッシュワース氏は玄関口に立って、いとしい婚約者を出迎え、一同は礼儀正しく歓迎された。客間では母親のラッシュワース夫人からも同じように温かく迎えられ、ミス・バートラムは二人から望みうるかぎりの特別待遇を受けた。到着の儀式が終わるとまずは食事をしましょうということで、いくつかドアが開け放たれ、みんなは控えの間を一、二室通り抜け、豪華な軽食がふんだんに用意されたダイニング・パーラーに入った。みんなはたくさん喋り、たくさん食べ、すべてが順調にいっていた。それから、特にその日の目的である地所の改良について話し合われた。クロフォード氏が敷地をぐるりと見て回るには、どんな方法がよいだろう? どんな方法をお気に召すだろう?──ラッシュワース夫人は「カリクルをお使いになってはいかがでしょう」と口にした。だがクロフォード氏は、二人以上乗れる大型馬車のほうが望ましいのではないかと提案した1。「ほかの方々の目と判断力という利点が奪われてしまうのは、いまみなさんといる喜びを失う以上に残念なことです」
ラッシュワース夫人は「シェイズもお使いになってはどうでしょう?」と提案したが、この案はまともに取り合われなかった。マライアとジュリアは微笑みもしなかったし、口も開かなかった。次に夫人は「まだ屋敷見学をされたことがない方もおりますから、ぜひ家の中をお見せしましょう」と提案したが、これはさっきよりも歓迎された。ミス・バートラムは屋敷の大きさを自慢できて嬉しかったし、みんなもとりあえず何かしたかったからだ。
そうして一同は立ち上がって、ラッシュワース夫人に先導されて数多くの部屋を見学した。どこも天井が高くて、広い部屋がたくさんあり、五十年前の様式の家具が所狭しとしつらえられていた。床はぴかぴかに輝いており、頑丈なマホガニー、豪華なダマスク織りの緞帳、大理石、金メッキの施された彫刻など、どれもみな見事な代物だった。
絵画もずらりと飾られ、いい絵も少しはあったが、ほとんどは一族の肖像画で、ラッシュワース夫人以外には何の価値もないものだった。夫人はかなり苦労をして女中頭から教えてもらったこと全てを覚えたので、いまや女中頭と同じくらい上手に屋敷の案内がつとまるようになっていた。今はおもにミス・クロフォードとファニーに対して話しかけていたが、ふたりの熱心さは天と地ほどの差があった。ミス・クロフォードはこういう大きな屋敷をいくつも訪れたことがあるので、何にも興味が持てず、礼儀正しく聞くふりをしていただけだった。一方のファニーはあらゆることが新鮮で興味深いので、心から真剣にラッシュワース夫人の説明に耳を傾けていた。歴代のラッシュワース一族、その繁栄と偉大さ、国王のご訪問や、ラッシュワース家が国王へ尽くした忠誠の数々を聞いて、ファニーはすでに知っている歴史の知識と関連づけたり、過去の出来事に思いをはせて想像をふくらませたりして楽しんだ。
屋敷の立地が悪いせいで、どの部屋からもあまり眺めはよくなかった。ファニーたちがラッシュワース夫人に付き添っているあいだ、ヘンリー・クロフォードは窓のそばで暗い顔つきをして首を振っていた。西側のどの部屋も芝生の向こうの並木に面していて、そのすぐ先には高い鉄柵と門があるのだ。
それからたくさんの部屋を訪れた後──どの部屋も、窓税の支払いに貢献したり、女中の仕事を増やしたりする以外には、何の役にも立たないと思われたが──ラッシュワース夫人はこう言った。「さあ、礼拝堂にまいりましたよ。正式には上のほうから入って下を見下ろすんですが、みなさん身内の方ですので、よろしければこちらのほうからご案内致しましょうね」
一同は礼拝堂に入った。ファニーはもっと荘厳な雰囲気を想像していたのだが、実際はやたらとだだっ広い長方形の部屋で、ただお祈りするためだけにしつらえられた部屋だった。マホガニーをふんだんに使っていることや、上の家族席の奥に見える真紅のビロードのクッション以外、ほかに目を引くものや厳粛なものは何もなかった。「ちょっとがっかりだわ」とファニーはエドマンドに小声で言った。「わたしのイメージしてた礼拝堂とは違うんですもの。ここにはおごそかなところとか、物悲しいところとか、壮麗な雰囲気が全然ありません。通路もアーチもないし、碑文も垂れ幕もないのね。『天の夜風にたなびく』と書かれた垂れ幕や、『スコットランドの王、ここに眠る2』と書かれた碑文もないわ」
「きみは忘れてるよ、ファニー。ここはみんな最近建てられた場所で、お城や修道院の古い礼拝堂とは違って、限られた目的の建物だってこと。ここは家族だけが私的に使っているんだ。一族のお墓は教区の教会にあるんだろう。そこなら垂れ幕や碑文も見つかるよ」
「わたしったらばかね、そういうことは全然考えてなかったわ。でもやっぱりがっかりだわ」
ラッシュワース夫人が説明を始めた。
「この礼拝堂が現在の姿にしつらえられたのは、ジェームズ二世の時代でございます。それ以前は、信者席のベンチはただのオーク材の羽目板だったそうです。説教壇と家族席の裏地とクッションの素材も、紫の布にすぎなかったと思われますが、これはあまり確かではございません。とても立派な礼拝堂でございましょう。以前は朝と晩のどちらも毎日使われていたんですの。家付きの牧師がいつも礼拝書を読み上げていたことは、今でも多くの人々の記憶に残っております。ですがいまは亡き先代のラッシュワース氏が廃止してしまいました」
「どの時代にも改良はあるのね」とミス・クロフォードはにっこり微笑んでエドマンドに言った。
ラッシュワース夫人は、同じ説明をくり返すためにクロフォード氏のところに行った。そしてエドマンドとファニーとミス・クロフォードの三人が残された。
「残念だわ」とファニーが声を上げた。「そういう習慣が終わりになってしまって。古き良き時代の貴重な習慣なのに。礼拝堂とか牧師さんっていうのは、壮大なお屋敷とどこか調和するものがあるわ。そういうお屋敷のあるべき姿にぴったりですもの! お祈りのために毎日一家全員が集まるって、すばらしいわ!」
「まったくすばらしいわね、本当に!」とミス・クロフォードは笑いながら言った。「一家の主人と女主人にとってはいいことでしょうね。気の毒なメイドや従僕たちの仕事や遊びを中断させて、一日二回ここでお祈りを強制しておきながら、家の人たちはお祈りを欠席する言い訳を考えてるんでしょう」
「それはファニーの考える家族の集まりではありませんね」とエドマンドは言った。「もし主人と女主人が出席しないのなら、その習慣はためになるどころか害になってしまう」
「とにかく、そういう問題についてはそれぞれやりたいようにやらせたほうがいいと思うわ。みんな自己流のやり方でやるのが好きですもの──礼拝の時間とかやり方も自分で決めるのよ。出席の義務、堅苦しい儀式、束縛、時間の長さとか──どれもこれもぞっとするわ、そんなのだれも好きじゃありません。あの礼拝堂の席でひざまずいたりあくびをしてた善良な人たちも、今のような時代が来ると知ったら、きっと大喜びで跳びはねてうらやましがったでしょうね。だって今の時代は、朝起きたら頭痛がするからもう十分間ベッドで寝ていたって、礼拝に遅れたと怒られる心配はないんですもの。ラッシュワース家のかつてのお嬢さまたちが、どれほどいやいやと何度もこの礼拝堂まで足を運んだか、想像がつくでしょう3? 若きエレノア嬢とかブリジェット嬢とかが──いかにも敬虔深い顔つきで堅苦しくしていながら、実は頭の中は全然ちがうことを考えているのよ──特に、牧師が美男子でないのならなおさらね──昔は牧師4っていまよりずっとお粗末だったんだと思うわ」
しばらくのあいだ、だれも返事をしなかった。ファニーは顔を赤らめてエドマンドのほうを見たが、腹立ちのあまりなにも言えなかった。やっとのことでエドマンドは少し落ち着きを取り戻すと、こう言った。
「あなたの溌剌とした心は、真面目な話題でさえも真面目になれないんですね。あなたは愉快な描写をしてくださいましたし、人間性というものは、えてしてそういうものかもしれない。みなときには、思い通りに精神を集中させることの難しさを感じることもあるでしょう。でももしそういったことがしょっちゅう起こるとしたら──つまり、人間的な弱さが怠惰から習慣にまでなったとしたら、そんな人が一人でお祈りしたところで何が期待できますか? 礼拝堂の中にいるのさえ苦痛で、ぼんやりと別のことを考えるような人が、自分の部屋ではもっと集中できるとでもお思いですか?」
「ええ、そう思うわ。少なくとも二つの利点があるでしょうね。一つは気が散るようなものが少ないってことと、それにもう一つは、そんなに長時間苦しめられずに済むってことよ」
「ある状況下で自分に打ち克てないような心は、別の状況下においても集中することができないだろうと思います。それに、その場所の雰囲気とお手本となる周りの人の影響で、礼拝前よりもだんだんと優れた気持ちになるというのはよくあることでしょう。けれども、礼拝時間が長いことに関してはたしかに精神に対して過度の負担となることは認めます。そうならないよう願いますが──でもぼくはまだオックスフォードを卒業して間もないので、教会での礼拝のあり方について忘れることができないんです」
このような会話が交わされているあいだ、ほかの者たちは礼拝堂のあちこちに散らばっていたが、そのときジュリアがクロフォード氏に呼びかけて姉のほうへ注意を向けさせた。「ねえ、ラッシュワースさんとマライアをご覧になって。二人並んで立っていて、まさにいまにも結婚式が挙げられるみたいだわ。二人ともすっかりそういう雰囲気じゃありません?」
クロフォード氏はにっこり笑って同意し、マライアのほうへと歩み寄っていき、彼女だけが聞こえるような声でこう言った。
「ミス・バートラムがそんなにも祭壇の近くにいらっしゃるところを、ぼくは見たくないですね」
はっと驚いてマライアは思わず一、二歩あとずさった。だがすぐに我に返ると、わざと笑ってみせて、やや声をひそめた口調でこう尋ねた。
「あなたがわたしの手を取ってくださるのかしら?」
「ぼくには恐縮して、とても」と彼は意味ありげな顔つきで答えた。
そのときジュリアがやって来て、さっきの冗談を続けた。
「ああ、すぐに式を挙げられなくて本当に残念だわ! 正式な結婚許可証さえあればねえ。だってみんな礼拝堂に勢揃いしてるし、これ以上ないくらいおあつらえ向きだわ」
そんな調子でジュリアは辺り構わずそのことを喋ったり笑ったりしていたものだから、ラッシュワース氏と彼の母親の知るところともなり、マライアはラッシュワース氏から愛の言葉をささやかれる羽目になった。ラッシュワース夫人は威厳を持って上品に微笑みつつ、「結婚式がいつ行われようと、わたくしにとっては最高に幸せなイベントですわ」と話していた。
「エドマンドお兄さまが牧師に叙任されていたらねえ!」とジュリアは声を上げ、彼がミス・クロフォードとファニーといっしょに立っているところまで走ってきた。
「ねえお兄さま、もしあなたがいま聖職叙任されていたなら、すぐにでも式を執り行うでしょうね。まだ牧師に任命されてなくてあいにくだわ、ラッシュワースさんとマライアはもう準備万端なのにね」
ジュリアがこう話しているときのミス・クロフォードの表情は、公平な第三者からすれば、愉快な見ものだっただろう。彼女は新しい情報を知らされて、あっけに取られていたようだった。ファニーは彼女に同情した。『さっきはあんなことを言ってしまって、ミス・クロフォードはどんなに後悔するでしょう』と内心思った。
「聖職叙任されるですって!」とミス・クロフォードは言った。「えっ、あなた、まさか牧師になるおつもりですの?」
「ええそうです、父が帰国し次第すぐに聖職に就く予定です──たぶんクリスマスごろでしょうね」
ミス・クロフォードは気を奮い立たせて、平静を保とうとつとめながら、ただこう答えた。「前からそのことを知っていたなら、もっと敬意を持って聖職者のことをお話しいたしましたのに」そして話題を変えた。
それからまもなく礼拝堂はシーンと静まり返ったが、ここは一年を通してほぼいつも静寂に支配されているのだった。ミス・バートラムはジュリアに腹を立て、先頭に立って出ていった。ほかのみんなも、ここには長くいすぎたと感じたようだった。
屋敷の一階部分はもうくまなく紹介したので、案内となると疲れを知らぬラッシュワース夫人は、大階段のほうに進んで階上の部屋すべてにみなを連れて行こうとしたが、息子のラッシュワース氏が「もうあまり時間がないんじゃないのかな」と口をはさんで異議を唱えた。彼は、もっと明晰な頭脳の持ち主でもしばしば使う自明の論理を使って、こう言った──「だって、家の中を見て回るのに時間を取り過ぎたら、外での時間が足りなくなるよ。もう二時過ぎだし、五時にはディナーを取らなきゃ」
ラッシュワース夫人は息子の意見に従った。そこで、だれがどのように地所を見て回るかについての問題がさらに熱心に話し合われそうだった。ノリス夫人も、どういう馬車と馬の組み合わせが最適か取り決めようとしていたそのとき、若い人たちが外へ通じるドアを見つけた。そのドアはまるでみなを誘うかのように開け放たれており、階段をおりるとすぐに芝生や植え込みや芳しい香りのする花園に続いていた。みなは外気と自由を求める衝動に駆られたかのように、外に歩み出ていった。
「さしあたりここを曲がって行きますと──」とラッシュワース夫人が丁重に気を利かせて、一行に従いながら言った。「こちらには多種多様な植物がございます。そしてここには珍しいキジもおります」
「みなさん、ちょっと」とクロフォード氏があたりを見回しながら言った。「これ以上先に進む前に、ここで何かぼくたちができることはないでしょうか? この壁を取り除けばかなり改良の見込みがありそうです。ラッシュワースさん、この芝生で会議を開きませんか?」
「ねえ、ジェームズ」とラッシュワース夫人は息子に言った。「みなさんきっと自然庭園は初めてでしょう。マライアさんとジュリアさんも、まだ自然庭園はご覧になっていないわ」
だれも反対しなかったが、みんなしばらくのあいだはどんな計画であろうと、どんな距離であろうと、そこを動きたくないようだった。みんな初めは植物やキジに見とれて、楽しそうにあちこち散らばっていた。クロフォード氏がいちばん初めに進み出て、屋敷の端のほうはどんな改良の可能性があるか調べに行った。芝地の両側は高い壁が立っており、その向こうに最初の緑地帯とローン・ボウリング用の芝生があり、そのまた向こうには鉄柵を背にした長い遊歩道があった。その遊歩道からは、すぐそばに隣接している自然庭園の樹木の頂きを一望できるのだ。そこは欠点を見つけるにはうってつけの場所だった。
まもなくクロフォード氏は、ミス・バートラムとラッシュワース氏に追いつかれた。やがてしばらくするとほかの人たちもグループになり始め、エドマンドとミス・クロフォードとファニーは自然とひとかたまりになった。三人は、テラスのところでクロフォード氏とマライアとラッシュワース氏がああだこうだと熱心に論じ合っているのを見つけたので、その議論に少し加わって残念な点や反対意見をほんのちょっと述べたあとは、彼らを置いてまた歩き出した。
残りの三人であるラッシュワース夫人とノリス夫人とジュリアは、まだずっと後ろのほうにいた。ジュリアはもはや幸運の星に見放されてしまったのか、ラッシュワース夫人に付き添うことを余儀なくされ、もどかしい気持ちを抑えて、夫人のノロノロとした歩調に合わせなければならなかった。伯母のノリス夫人は、キジに餌やりをしようと出てきた女中頭とばったり会ったので、だらだらと世間話に興じていた。気の毒なジュリアは九人中ただ一人満たされない気持ちで、いまや完全に苦行を課せられた状態にあった。バルーシュの御者席にいたころのジュリアとは、想像もつかないほどの別人だった。礼儀正しくするのが義務だという躾を受けているので、ここから逃げ出すことなど彼女には到底できなかった。その一方でジュリアに欠けていたのは、もっと高尚な自制心や、他人へのきちんとした思いやり、自分自身の心を知ること、道徳的に正しい信条だった。そういったことは彼女の教育の重要部分とはなっていなかったから、ジュリアはこういう状況下ではみじめな気分になってしまうのだった。
「ここは暑くてたまらないわ」とミス・クロフォードは言った。三人はテラスを一回りして、自然庭園に向かって開かれた中央のドアにふたたび近づいていた5。「もうすこし居心地のいいところに行きません? ここにすてきな森があるわ。あそこに入れたらねえ。あの扉に鍵がかかってなければいいんだけど!──でももちろんだめでしょうね。こういう大きな地所では、庭師しか自由に出入りできないんですもの」
しかし、ドアには鍵がかかっていないとわかり、三人はみな喜んでドアを通り抜けて、容赦なく照りつける太陽の光をあとにした。自然庭園へはかなりの数の階段を降りなければならなかった。そこにはおよそ2エーカーにわたってカラマツや月桂樹などの樹木が植えられており、ブナの木は切り倒されていた。やや幾何学的すぎる庭園を抜けるとそこは薄暗い日陰になっていて、ローン・ボウリング用の芝生やテラスと比べると、自然美そのものといった感じだった。
三人は爽快な気分になり、しばらくただ歩いてその美しさを賞賛していた。そしてようやく、短い沈黙のあと、ミス・クロフォードはこう切り出した。
「それじゃあなたは牧師になるのね、バートラムさん。ちょっと驚いたわ」
「なぜ驚かれるんです? ぼくが何かの職業に就かなければならないことはおわかりでしょう? それにぼくが弁護士にも、陸軍軍人にも、海軍軍人にも向いてないことはおわかりでしょう?」
「たしかにね。でも、あなたが牧師になるなんて考えつかなかったの。それにたいてい次男には、遺産を残してくれる叔父さんやお祖父さんがいますし」
「それはあっぱれな習慣ですね」とエドマンドは言った。「でもそれほど一般的というわけではありません。ぼくもその例外で、次男だから自分で何とかしなくちゃいけないんです」
「だけど、なぜ牧師になるおつもりなの? 牧師っていうのは、いつだって末っ子がなる職業だと思ってたわ。たくさんいる上のお兄さんたちがほかの職業を選んでしまったから、しかたなくなるんだと」
「それでは、牧師という職業を自分から進んで選ぶ人は絶対にいないと思われるんですか?」
「『絶対に』という言葉は強すぎるわね。でもまあそうね、会話で言う『絶対に』が『めったに』ぐらいの意味なら、自分から進んで牧師になる人はめったにいないと思うわ。だって牧師になったところで、いったい何ができると言うの? 男性って有名になりたがるものでしょう。弁護士や軍人とかの職業ならどれも名声を得られる可能性があるけど、聖職者じゃムリだわ。牧師なんて全然つまらないもの」
「『全然』という言葉も会話では、『絶対に』と同様に、意味に段階があってほしいですね。たしかに聖職者は権力者になれるわけでもないし、社会的地位が高いわけでもない。民衆の先頭に立つこともないし、ファッションで流行をリードすることもない。でもぼくはそういう職業のことをつまらないとは呼べません。牧師は人間にとって重要な事柄すべてに責任を持っています。個人的にも社会的にもそうですし、一時的にも永久的にもそうです──聖職者はいわば宗教と道徳の監督者です。そして、宗教と道徳の影響力から生じる礼儀作法の監督者でもあります。そういう職業をだれもつまらないものとは言えないでしょう。もしその職業につく人間がつまらないやつに見えるのだとしたら、それはその牧師の職務怠慢のせいです。つまり、その義務の重要性を放棄して、牧師としての本分を逸脱した結果、本来あるべき姿ではないものに見えるんでしょう」
「あなたは牧師に、普通言われているよりも、ずいぶんと重大な責任を負わせてらっしゃるのね! わたしには理解できないほどだわ。社交界では、牧師のそんな影響力や重要性を目にすることはあまりないわ。牧師さん自体をめったに見かけないのに、どうやって影響力を持てるっていうの? たとえその牧師が聞くに値する説教をするのだとしても──自作の説教よりヒュー・ブレア師6のほうを好む分別を持っていたのだとしても─たった一週間に二回の説教7で、あなたがおっしゃったようなこと全部をできるかしら?日曜以外の残りの六日間ずっと、大勢の信者たちの行動を律したり、礼儀作法を正すなんてできるかしら? 世間の人たちは、説教壇以外で牧師を見かけることなんかほとんどありませんもの」
「あなたはロンドンのことについて話しているんでしょう。でもぼくはイギリス全体の一般論を言っているんです」
「首都っていうのは、その他の地域のかなり良い見本になると思うわ」
「そうではないと願いたいですね、イギリスじゅうの善と悪の比率に関しては。大都市で、わが国最高の道徳を探し求める人はいないでしょう。どの宗派であれ、品行方正な人間が最善を尽くせるのは大都市ではないでしょう。そしてもちろん、牧師の影響力がいちばん感じられるのも大都市ではないでしょう。すぐれた説教をする牧師は、人々の模範とされるし賞賛もされます。でもすぐれた牧師が自分の教区やその近隣で人々の役に立つのは、立派な説教のおかげだけではありません。そういう田舎の小さな教区やその近隣では、その牧師の個人的な性格を知れたり普段の行いを観察できるから、人々のためになるんです。そういうことはロンドンではめったにないでしょう。ロンドンでは、牧師は教区民の人混みの中に紛れて姿を見失ってしまって、ただ説教をするだけの人として認知されてるだけだ。それから、牧師が人々の礼儀作法に影響を与えることに関してですが、ミス・クロフォード、どうかぼくの言うことを誤解しないでくださいね。ぼくはなにも牧師が、良い行儀作法の判定者だとか、洗練された礼儀正しい振る舞いの監督者だとか、人生の儀式における熟達者だと言っているわけではありません。ぼくが「礼儀作法」と言っているものは、むしろ「品行」と呼んだほうがいいかもしれない。品行とは、立派な教義に従った結果として生じるものです。つまりそういう教義の効果を人々に教え奨励するのが、牧師のつとめです。そういったことはどこへ行っても見られると思います。すなわち、牧師が本来あるべき姿を示しているか否かによって、残りの国民の姿も分かるというものです」
「そのとおりですわ」とファニーが、穏やかだが真剣な口調で言った。
「あら」とミス・クロフォードは声を上げた。「あなたはもうミス・プライスをすっかり説得なさったのね」
「ミス・クロフォードのことも説得できればと思いますね」
「きっと無理かと思いますわ」とミス・クロフォードはいたずらっぽく笑いながら言った。「あなたが聖職に就くと初めて聞いたときと同じくらい、いまも驚いていますもの。本当に、あなたは何かもっと良い職業に向いているはずよ。ねえ、どうか考え直してくださいな。まだ間に合いますわ。法律の道に進みましょうよ」
「法律の道に進む! ずいぶんと簡単におっしゃいますね、この自然庭園に入ろうと言ったときと同じ調子だ」
「あなたはきっとこう言うおつもりなんでしょう──聖職と法律の二つなら、法律のほうが劣った自然庭園だとか何とかって。でもわたしのほうが先に言ってしまいましたからね。いいこと、わたしのほうが先でしたわ」
「ぼくに上手い冗談を言わせたくないだけなら、焦る必要はありませんよ。ぼくは機知とは無縁の性格だし、ありのままの事実を率直に言う人間なんです。だから当意即妙な会話をしようとしても、三十分かかろうが名文句の一つも思い浮かばず、ヘマをやらかすだろうと思いますよ」
それからは沈黙が続いた。それぞれが物思いにふけっていた。ファニーが最初に沈黙を破ってこう言った。「こんな美しい森を歩いているだけなのに、なぜ疲れてしまうのかしら。もしおいやでなければ、つぎにベンチのところに着いたら、ほんの少し座って休めると嬉しいのですが」
「おお、ファニー」とエドマンドは叫び、すぐさま彼女の腕を取って自分に引き寄せた。「ぼくはなんてうっかりしていたんだろう! そんなに疲れてなければいいんだけど」そしてミス・クロフォードのほうに向いて、「よろしければ、あなたも腕を取ってくださるでしょうか」
「ありがとう、でもわたしは全然疲れてないわ」しかしミス・クロフォードはそう言いながらエドマンドの腕を取った。彼はミス・クロフォードが腕を組んでくれたことや、初めてそんなふうに触れ合ったことが嬉しかったので、少しのあいだファニーのことを忘れてしまった。「あなたはぼくにほとんど触れていませんね」とエドマンドは言った。「ぼくは全然お役に立てていないな。女性の腕の重さと男性の腕の重さは、ずいぶん違いますね! オックスフォードでは、ぼくはよく酔っ払った友人に寄りかかられて、通りを端から端まで歩いたりしたけど、あなたはそれに比べると虫が止まったように軽い」
「わたし本当に疲れていませんの。なぜかしら、わたしたち少なくとも1マイル(※1.6km)はこの森の中を歩いてきましたのに。そうでしょ?」
「半マイル(※800m)も歩いてないでしょう」とエドマンドは頑なに答えた。女性特有の勝手気ままさで距離や時間を測ってしまうほど、彼はまだミス・クロフォードに首ったけにはなっていなかったのだ。
「あら! わたしたちがどれだけぶらぶら歩いてきたか、考えに入れてないのね。ずいぶんとうねうねしたルートだったわ。森そのものも直線距離で半マイルはあるはずよ。だって最初の広い道を離れてから、まだ森のはずれを見ていませんもの」
「でも最初に広い道を離れるまえは、まっすぐ森のはずれが見えましたよ。ぼくたちは景色を一望して見下ろして、鉄柵のそばから森を見ました。だからせいぜい1ファーロング(※約200m)しか進んでいない」
「まあ、ファーロングのことなんてわかりませんわ! でもたしかに広い森であることは確かだし、ここに足を踏み入れてからというもの、ずっとあっちへ曲がったりこっちへ曲がったりしてきたわ。だから控えめに言っても、一マイルは歩いてきたはずよ」
「ここまで来るまでちょうど15分だ」とエドマンドは懐中時計を取り出しながら言った。「ぼくらが時速4マイル(※時速6.5km)で歩いてきたとでもお思いで?」
「あら! 時計を持ち出して攻撃しないでくださいな。時計っていうのはいつだって早すぎるか遅すぎるかなんですもの8。わたしは時計なんかの指図は受けないわ」
数歩進むと、ちょうど先ほど話していた歩道の行き止まりに着いた。後ろのほうの陰になって奥まったところに、隠れ垣9越しにパークが見えて、ゆったりと座れるぐらいのベンチがあったので、三人はそこに座った。
「かなりしんどいんじゃないのかい、ファニー」とエドマンドは彼女を見ながら言った。「なぜもっと早く言ってくれなかったんだい? もし疲れてぐったり参ってしまったら、せっかくのきみの楽しい一日が台無しになってしまうよ。ファニーはどんな運動をしてもすぐに疲れてしまうんです、ミス・クロフォード。乗馬は別ですが」
「それじゃ、あなたってひどい人ね! わたしに先週ずっと彼女の馬を独占させたりして。あなたもわたしも恥知らずね。でもああいうことはもう二度といたしませんわ」
「あなたの配慮と思いやりのおかげで、ますます自分の怠慢を思い知らされますよ。どうやらファニーのことは、ぼくよりあなたにおまかせしたほうが安全なようだ」
「だけど、ミス・プライスがこうやってへとへとになってしまったのも不思議じゃないわ。だって、社交上の義理を果たすうちで、今朝みたいなお屋敷見学ほど疲れるものってないもの──部屋から部屋へとぶらぶら歩いて──精いっぱい目を凝らして注意を集中させて──意味のわからない説明を聞いて──どうでもいいことに感嘆したりして。─お屋敷見学は世界一つまらないことだってみんな思ってるわ。ミス・プライス自身は気付いていないでしょうけど、きっとそう感じたんでしょうね」
「すぐにまた元気になりますわ」とファニーは言った。「お天気の良い日に、木陰に腰を下ろして草木を眺めるのは、体力回復にいちばんですから」
しばらくベンチに座っていたあと、ミス・クロフォードがまた立ち上がった。「動かなきゃ」と彼女は言った。「休んでるとかえって疲れるわ。──隠れ垣の向こうはもううんざりするほど見ちゃったもの。鉄柵のところへ行ってみて、柵ごしに同じ景色を眺めてくるわ。そんなによく見えないかもしれないけど」
エドマンドも同じように腰を上げた。「さあミス・クロフォード、その歩道を調べてみてくださいよ、そしたら半マイルどころか1/4マイルもないってことがわかると思いますよ」
「いいえ、相当な距離よ」とミス・クロフォードは言った。「ひと目見ればわかるわ」
エドマンドはそれでもなお彼女に道理を説いたが、ムダだった。ミス・クロフォードは計算も比較もしようとしないのだ。彼女はただほほえんで自説を主張するだけだった。だが、どんな論理的首尾一貫性も、この非論理的態度ほど魅力的には見えなかっただろう。それでいてエドマンドもミス・クロフォードもおたがい満足そうに話していた。ついには、二人はもう少しその辺りを歩きまわって、森の広さを確かめに行こうということに決まった。いま二人がいる道を進んで、森の端まで行ってみるのだ(隠れ垣の底に沿って、まっすぐな林道があった)。そしてもし測量に役立つようであれば、おそらく少し別の方向に曲がったりするかもしれない。でも数分で戻るつもりだ。ファニーは「もう十分休みました、わたしも行きます」と言ったが、認められなかった。エドマンドが「きみはここにいるんだよ」と真剣な顔つきで説くので、ファニーは逆らえなかった。そうしてファニーはベンチに残され、エドマンドの優しさを嬉しく思うと同時に、もっと体が丈夫だったならと自分の体力のなさを恨めしく思った。彼女は二人が角を曲がるまでその後ろ姿を見つめ、二人の声が全く聞こえなくなるまで耳をすましていた。
注
- カリクルは二人乗りの馬車なので、ラッシュワース氏と二人きりになるのを避けたいのである。
- どちらの引用もサー・ウォルター・スコットの物語詩『最後の吟遊詩人の歌』(1805)から。
- ミス・クロフォードはわざと古風な言い方をしている。(Cannot you imagine the former belles of the house of Rushworth did many a time repair to this chapel?など)「エレノア」や「ブリジェット」などの名前も古めかしい名前。
- 原文はparsons。ふつう「牧師」はclergymanという語を用いるが、parsonという単語には侮蔑の響きがある。
- 以下、第10章まで続く自然庭園でのエピソードは、小説全体の展開の伏線となっている。
- ヒュー・ブレア(1718-1800)はスコットランド人の聖職者、エディンバラ大学教授。全5冊の説教集を出版したことで著名だった。多くの牧師はこうした説教集を用い、自分自身で説教を書く必要はなかった。
- 当時の人々は日曜日に朝晩の二回、教会の礼拝に出席した。
- 技術的にまだ当時の時計は不正確だったので、しばしば時間合わせが必要だった
- 隠れ垣(ha-ha)とは、動物が芝生内に侵入するのを防ぐため掘られた溝のこと。フェンスだと景観を損ねてしまうが、隠れ垣なら遠くからでも見えない。ha-haの名前の由来は不明だが、一説によると、高い位置から眺めたときだけこの隠れ垣の全貌が見えるため、その時の驚きの声(Ha, ha!)を表しているのだという。