ミス・クロフォードは、二つ返事でアミーリア役を引き受けた。マライアが牧師館から戻ると、すぐにラッシュワース氏も到着して、もう一つの配役も決まった。ラッシュワース氏は「カッセル伯爵とアンハルト牧師の役、どちらにしますか」と聞かれて、はじめはどっちを選べばよいか分からず、マライアに決めてもらいたそうにしていた。だが二人のタイプが全然違うことを説明されたのと、以前一度ロンドンでこの劇を見たときに、アンハルト牧師はずいぶん間の抜けた奴だと思ったことを思い出したのもあって、ラッシュワース氏はすぐさまカッセル伯爵役を選んだ。マライアもその決定に賛同した。覚えるセリフが少なければ少ないほど良いと思ったからだ。けれどもマライアは、「伯爵とアガサが一緒に演じる場面があるといいですね1」というラッシュワース氏の望みには共感できなかったし、そういった場面はないかしらと一縷の望みをかけて、彼がのろのろと台本をめくって探しているのを見ると、じれったくて我慢ならなかった。けれどもマライアは親切にも彼のセリフを調べてやり、短くしても大丈夫そうなセリフをすべて短くしてあげた。──また、「伯爵役は着飾らなければなりませんわ」と指摘して、衣装の色も選んでやった。ラッシュワース氏は豪華な服を着るという考えが気に入り(いちおう軽蔑するふりはしていたが)、どんな衣装にしようかなと考えるのに気を取られていた。そのため他の人たちのことは全然頭になく、周囲を観察して何か勘づくこともなかったし、婚約者のマライアが半ば覚悟していた展開2から何か結論を引き出して、不愉快になることも一切なかった。
このようにして大方のことが決まった。エドマンドは午前中ずっと外出していて、この状況については何も知らずにいた。だがディナーの前にエドマンドが客間に入っていくと、トム・マライア・イェーツ氏の三人がああだこうだと議論して盛り上がっていた。ラッシュワース氏はすかさず前に進み出てきて、エドマンドに朗報を伝えた。
「芝居の演目が決まりましたよ」とラッシュワース氏は言った。「『恋人たちの誓い』です。ぼくはカッセル伯爵をするんです。最初の場面は、青色の衣装とピンク色のサテンのマントをつけて登場して、そのあとはまた別の豪華な狩猟服を着るんですよ。──ぼくの趣味に合うかどうかわからないけど」
ファニーの目はエドマンドを追った。彼女は胸をどきどきさせながら今の言葉を聞いていたが、彼の表情を見て、エドマンドの心中はいかばかりかと感じた。
「『恋人たちの誓い』だって!」──エドマンドはびっくり仰天して、ラッシュワース氏にはそれだけしか言えなかった。そして彼は自分の兄と妹のほうを向いて、打ち消しの言葉が返ってくるのを期待した。
「そうなんだ」とイェーツ氏が声を上げた。──「散々話し合いもして、意見の不一致もあったんだが、結局『恋人たちの誓い』がぼくらにはぴったりだということが分かったんです。これほど非の打ち所がない芝居はありませんよ。もっと前に思いつかなかったのが不思議だな。ぼくはとんでもないばかでしたよ。ぼくがエクルズフォードで見たことも全部役に立ちますからね。お手本になるものがあると助かるな! ──配役もほとんど決まりましたよ」
「だけど、女性たちの役はどうするんです?」とエドマンドは、マライアを見ながら重々しく言った。
マライアは思わず顔を赤らめながら答えた。「わたしは、レイブンショー令夫人がやるはずだった役をやるの。それから(さっきよりも大胆な目つきになって)ミス・クロフォードはアミーリアをやるのよ」
「そんなに簡単に役が決まるような類の芝居とは思えないな、特にぼくらの間では」とエドマンドは答えて背を向け、バートラム夫人とノリス夫人とファニーが座っている暖炉のところまでやってくると、深刻な表情で腰を下ろした。
ラッシュワース氏が彼に付いてきてこう言った。「ぼくは3つもの場面に登場して、42個もセリフがあるんですよ。すごいでしょ? ──でも衣装が華やかすぎるのはあんまり気に入らないな。──青色の衣装とピンク色のサテンのマントなんて、ぼくに似合うのかな」
エドマンドは返事をしなかった。──数分後、トムが大工に呼ばれていくつか質問に答えるため、イェーツ氏を伴って部屋を出ていった。それからラッシュワース氏も二人の後を追って出ていくと、エドマンドはすぐにこの機会をとらえてマライアに言った。
「ぼくがこの芝居についてどう思っているか、イェーツさんの前では言えなかったが──エクルズフォードの彼の友人たちを非難することになるからね。──でも今は言わせてもらうよ、マライア。家庭内で上演するには、この劇はとんでもなく不適切だと思う。どうかやめてほしい。──きちんと注意深く脚本を読めば、役を降りる気になるはずだ。──第一幕だけでも、お母さまか伯母さまの前で声に出して読んでみて、それでも平気なのか確かめてごらんよ。──わざわざお父さまの判断を仰ぐ必要もないはずだ」
「わたしたちは物の見方が全然違うのね」とマライアは声を上げた。「この劇の内容はちゃんと把握してます。──もちろん、いくつか省略する部分はあるけど、それ以外は何も反対されるような点はないわ。それに、この演目が家庭内で上演されても別に問題ないと思う若い女性はなにもわたし一人だけじゃないんですから」
「それは残念だな」とエドマンドは答えた──「でも、この件では先頭に立つべき人間はおまえなのだよ。おまえこそが手本を示すべきなんだ。──もし他の人たちが間違いを犯していたら、みんなを正してやるのがおまえの立場だし、真の品行方正さとはどういうものなのか示してやるべきなんだ。──礼儀作法という点においては、おまえの振る舞いこそが、ことごとく他のみんなの規範とならなければいけないんだよ」
長女という立場の重要性を示すことは、多少効果があった。マライアは人の先頭に立つことが大好きだったからだ。──だがマライアは冗談めかした口調で答えた。
「どうもありがとう、エドマンドお兄さま。──よかれと思ってご忠告して下さってるのね──でもやっぱり、お兄さまは考え方がお堅すぎると思うわ。それに、こんな類のことに関してみんなにお説教をかますなんてできっこないわ。──それこそ無礼な振る舞いというものよ」
「ぼくが本当にそんなことを考えてると思ってるのかい? いいや──大声で叱りつける必要はない、ただ慎み深い態度を取ってさえいれば、それがお説教の代わりになるはずだ。──みんなにはこう言えばいい、よくよく調べてみると、この役は自分には無理だと思ったって。アガサ役にはもっと大きな度胸と精神力が必要だけれども、自分には力不足だからって。──きっぱりと言えばそれで十分だ。──分別のつく人ならおまえの真意を理解してくれるはずだ。──そしたら芝居も取りやめになって、みんなもおまえの品位にしかるべき敬意を払ってくれるだろう」
「品のないお芝居はしちゃだめよ、マライア」とバートラム夫人が言った。「お父さまが快く思われませんからね。──ファニー、ベルを鳴らしてちょうだい。ディナーを取らないといけないから。ジュリアはもう着替えが済んでいるでしょう」
「その通りです、お母さま」とファニーをさえぎりながらエドマンドが言った。「お父さまはきっとお気を悪くされるでしょうね」
「ほらマライア、エドマンドの言うことを聞いたでしょう?」
「もしわたしがアガサ役を降りちゃったら」マライアは再びムキになって言った。「きっとジュリアがアガサ役を演るはずだわ」
「なんだって!」──エドマンドは叫んだ。「おまえが役を降りた理由を知ったなら、そんなことはありえない!」
「あら! ジュリアはわたしたちの立場の違いを考えるかもしれなくてよ──置かれた境遇の違いをね──ジュリアは婚約しているわたしほど慎重にならなくてもいいんですもの。あの子は必ずやそう主張するにちがいないわ。申し訳ありませんけど、わたしは前言撤回なんてできないわ。もう決まったことなのよ。もしわたしが役を降りたら、みんなをがっかりさせてしまうわ。トムもひどく腹を立てるでしょう。それに、そんなにいい子にばかりしていたら、お芝居なんて何もできなくなっちゃうじゃないの」
「わたしもまさに同じことを言おうとしてたところですよ」とノリス夫人が言った。「どんなお芝居を提案しても反対されるなら、何も演じられなくなってしまうじゃないの──おまけに、今までの準備にかけた大金が水の泡になってしまうし──それこそわたしたち全員にとって不面目というものだわ。わたし自身はその劇の内容を知りませんけど、でもマライアが言うように、もし過激なところがあれば(たいていの芝居はそうでしょうけど)省くのはたやすいことですよ。──正確にしすぎる必要はないのよ、エドマンド。ラッシュワースさんもいっしょに演じるんだから、悪いことなんかありゃしません。──だけどわたしがお願いしたいのは、大工がいつ仕事に取り掛かるかをトムに早く決めてもらいたいってことだけね。だってあの脇のドアのためにもう半日分の労力を無駄にしているんですもの。──でも緞帳はなかなかの出来ね。女中たちがずいぶん手際よく仕上げてくれたし、緞帳を吊るす金輪が数十個余ったから返品できるわね。──金輪をそんなにじゃらじゃら取り付ける必要なんてないものね。無駄遣いを省いて、ある物を最大限活用することにかけては、わたしはそれなりにお役に立てているんじゃないかと思うわ。若者たちを指揮監督するには、堅実な考えをした人間がつねに一人はいないとね。そういえばトムに伝え忘れてたわ、まさに今日起こった出来事よ。──わたしが養鶏場を見回ってた時ちょうど外に出ると、クリストファー・ジャクソンの倅のディックが手に板材をふたつ持って、召使用の出入り口のほうに進んでいくのが目に入ったの。
そして言うには、『父ちゃんのところに届けにいくとこなんです。母ちゃんもちょうど父ちゃんにことづてがあって、そしたら父ちゃんから羽目板を二枚持ってこいと頼まれたんで。板がなけりゃあどうしようもなくて困るってんで』って。わたしにはすぐにピンときましたよ、だってまさにちょうどその時頭上で召使たち用のディナーのベルが鳴っていましたからね。ディナーのおこぼれにあずかろうとしてたんだわ。わたしはああいうたかり屋の人間が大嫌いです(わたしが常日頃から言っている通り、ジャクソン一家は卑しいたかり屋ですよ──取れるものは何でも取ろうって連中なんだから)。だからわたし、その小僧にすぐに言ってやったの。──(ずいぶんノロマな10歳の少年で、恥を知るべきね)『わたしがあんたの父親のところに板を持っていくわ、ディック。だからあんたはできるだけ早く家に帰りなさい』ってね。──そしたらその子、ポカンとばかみたいな顔をして何も言わずに去っていったわ。わたしがかなり厳しく言ってやったおかげね。これでしばらくは、あの子が屋敷から食べ物をせしめにくることもなくなるでしょう──意地汚い人間って本当にいやだわ──サー・トマスはあの一家を年がら年中雇ってやってるのにねぇ!」
誰もわざわざ返事をする気はないようだった。まもなくトムなど他の者たちが戻ってきたが、エドマンドはみなの過ちを正そうとしただけで満足するしかなかった。
ディナーの時間は重苦しく過ぎた。ノリス夫人はまたディック・ジャクソン少年にたいする勝利をべらべらと語っていたが、芝居のことや準備についてはみなほとんど話さなかった。エドマンドがこの芝居に賛成していないことを、兄のトムですら感じていたからだ(トムはそれを認めようとはしなかったけれども)。マライアはというと、ヘンリー・クロフォードの力強い後ろ盾がなかったので、この話題は避けるのが無難だと感じていた。イェーツ氏はジュリアの機嫌を取ろうとしていたが、どんな話題を振ってもジュリアのふさぎ込んだ顔つきは頑として変わらないことが分かったようで、「あなたが一座を離れてしまわれたのは非常に残念です」と慰めてみてもその表情は変わらなかった。そしてラッシュワース氏に至っては、自分の役と衣装のことしか頭になく、どちらの話題もすぐに喋り尽くしてしまった。
だが芝居にたいする関心が中断していたのはほんの一、二時間だけだった。決定すべき事項はまだ山のようにあるのだ。夜になると新たに勇気と活力が湧いてきたので、トム・マライア・イェーツ氏の三人は、客間に揃うとすぐにみなからやや離れたテーブルに座り、台本を前に広げて話し合いを始めた。そして話題が肝心のところまで進んでいたところ、ちょうど歓迎すべき横槍が入った。クロフォード兄妹がやって来たのだ。
二人は「暗い泥道で時間も遅かったけれども、来ずにはいられなかったんです」と言って、大喜びで迎えられた。
「それで、あれからどうなりましたの?」「何か決まりました?」「ああ!きみたちなしじゃ、何も決められないよ」最初の挨拶のあとはこんなやり取りが続いた。ヘンリー・クロフォードは、すぐさま三人と一緒のテーブルの席についた。一方のメアリーはバートラム夫人のもとに進み出て、愛想よく挨拶をした。「おめでとうございます、バートラム夫人」とメアリーは言った。「お芝居がやっと決まって。わたしたちの騒ぎ声や揉め事にきっとうんざりされてたでしょうに、奥さまはご立派な忍耐力で耐えていらっしゃいましたもの。お芝居が決まったことに演者たちも喜んでいるかもしれませんけど、傍から見ている方々はずいぶんありがたく思われたでしょうね。本当に心からお祝いを申し上げますわ、奥さま、それにノリス夫人も。それから同じ苦難に遭われていたほかのすべての方々にも」と半ばおそるおそる、半ば冗談っぽく言いながら、ファニーの向こうにいるエドマンドのほうをちらっと見ていた。
バートラム夫人からは礼儀正しく返事をしてもらえたが、エドマンドは無言だった。自分が傍観者であることも否定しなかった。ミス・クロフォードは暖炉のそばにいるバートラム夫人たちと数分間お喋りを続けたあと、テーブルのところに集まっているトムたちの元へ戻り、そばに立って面白そうに話し合いを聞いていた。しかし、突然思い出したかのようにハッとなり、こう叫んだ。
「ねえみなさん、みなさんはコテージや宿屋の内装と外観について決めるのに精を出しておられるようですけど──だけど、わたしの運命のお相手をどうか教えてくださいな。だれがアンハルト牧師役を演りますの?こちらにいらっしゃるどの紳士さまに、わたしは愛の告白をすればいいのかしら?3」
ちょっとの間、みなは口をつぐんでいた。それからやがて一斉に悲しい真実を口々に告げた──アンハルト役は決まっていないのだ。「ラッシュワースさんがカッセル伯爵を演ることにはなったんですが、アンハルト牧師はまだ誰が演るか決まっていないんです」
「ぼくは役を選べたんだけど」とラッシュワース氏は言った。「でもカッセル伯爵のほうがいいなと思ったんですよ──派手な衣装はあんまり好きじゃありませんけどね」
「賢明な選択でしたわ、本当に」ミス・クロフォードはぱっと顔を明るくして答えた。「アンハルト牧師は退屈な役ですもの」
「カッセル伯爵は42個もセリフがあるんですよ」とラッシュワース氏は言った。「すごいでしょ?」
やや沈黙のあと、ミス・クロフォードがこう言った。「わたし、アンハルト役が決まらなくても、別に驚きませんわ。アミーリアには当然の報いよ。あんな大胆不敵なお嬢さんには、男性が恐れをなしてしまうのも無理ないわ」
「ぼくがその役を掛け持ちできたらいいんだけどなあ!」とトムが声を上げた。「でもあいにくなことに、執事とアンハルトは同じ場面に登場するんだ。でもぼくはまだ諦めてはいませんよ──何とかできないかやってみるつもりだ──もう一度台本を調べてみるよ」
「きみの弟がアンハルト役をやればいいんじゃないのか?」とイェーツ氏が低い声で言った。「そう思わないかい?」
「あいつに頼むつもりはないよ」とトムはそっけなく、きっぱりとした口調で答えた。
ミス・クロフォードは他のことを話していたが、それからまもなく暖炉のそばに戻ってきた。「みなさん、わたしのことはお呼びじゃないみたい」と彼女は腰を下ろしながら言った。「ただみんなを困らせて、お世辞を言わせてしまっただけだったわ。ねえエドマンド・バートラムさん、あなたは劇に参加しないのだから、公平に助言してくれますわね。ですから、あなたにお伺いしますわ。アンハルト牧師役をどうすればいいかしら? 他の方に二役やってもらうなんてできるかしら? あなたのアドバイスはどう?」
「ぼくのアドバイスは──」エドマンドは落ち着き払って言った。「演目を変えることです」
「わたしとしては、演目を変えることには反対いたしませんわ」とミス・クロフォードは答えた。「だけどもし相手役の方が上手にフォローしてくれるなら、アミーリア役が特別嫌だというわけではありませんけど──つまり、もし万事上手く進んだらということですけど──演目を変えてみなさんにご迷惑をおかけするのは申し訳ないですし──でもあちらのテーブルでは、あなたのアドバイスに聞く耳を持たないようですから──(辺りを見回して)──それは受け入れられないでしょうね」
エドマンドは無言のままだった。
「もしあなたが演じたい役があるとすれば、それはきっとアンハルト役でしょうね」とミス・クロフォードはいたずらっぽく言った。そしてややためらいながらこう続けた。「だって彼は牧師ですもの」
「その点においてなら、絶対にぼくは演じたいとは思いませんね」とエドマンドは答えた。「下手な演技で、牧師役を滑稽にさせてしまうのは心外ですからね。アンハルト牧師を堅苦しい真面目くさった説教師に見せないようにするのは、非常に難しいことでしょう。それにおそらく、牧師という職業を選ぶ人間なら、舞台上で牧師を一番演じたがらないかと思いますが」
ミス・クロフォードは黙り込んだ。そして腹立たしさと悔しさからか、お茶のテーブルのほうに椅子を近づけ、その傍にいたノリス夫人にすべての注意を向けた。
「なあ、ファニー!」と、向こう側のテーブルからトム・バートラムが叫んだ。そこでは熱心に話し合いが行われていて、絶え間なくお喋りが続いていた。「ちょっときみにお願いしたことがあるんだけど」
ファニーは何か用事を頼まれるのだと思い、即座に立ち上がった。そんなふうに彼女を使い走りさせる習慣を、エドマンドはなんとかしてやめさせようとしていたのだが、いまだに無くなってはいなかった。
「いやいや! わざわざ席を立つ必要はない。別に今この瞬間やってほしいわけじゃないのでね。ただ、きみもぜひ劇に参加してほしいんだ。農夫のおかみさん役をきみにやってもらいたくてね」
「わたしが!」とファニーは叫び、おびえた表情で再び腰を下ろした。「まさか、とんでもありませんわ。どんなことがあろうとわたしには演技なんてできません。いいえ、本当に、お芝居なんかできません」
「だけどやってもらわなきゃ困るんだよ。恐れることはないさ。大したことはない役だ、ほんとにチョイ役だよ。全部合わせても6つもセリフはないし、きみのセリフが聞こえなくたって問題ないんだ。だからきみは好きなだけ後ろに引っ込んでいていいよ。だけどどうしても舞台上にはいなきゃいけないんだ」
「たった6つのセリフで怖気づいていたら、ぼくみたいな役ではどうするつもりです?」ラッシュワース氏が声高に言った。「ぼくは42個もセリフを覚えなきゃいけないんですよ」
「覚えることが嫌なのではありません」とファニーは言ったが、その瞬間、今この部屋で喋っているのは自分だけだということに気付き、ほとんどすべての目が自分に注がれているのを感じてひどく動揺した。「でも、本当にわたし、演技はできないんです」
「いやいや、ぼくたちにとっては及第点さ。自分のセリフ部分だけ覚えて、残りはぼくらが教えてあげよう。きみはただ2場面に登場するだけでいい。ぼくが農夫のほうを演るから、きみをあちこち立ち回らせてあげるよ。まちがいなくきみは上手く演れるはずだ、保証する」
「いいえバートラムさん、お願いです。あなたは分かってらっしゃらないのです。わたしには絶対に無理です。もし引き受けたとしても、きっとみなさんをがっかりさせてしまうだけですわ」
「ハッ! そんなに恥ずかしがることはないよ。きみならできるはずだ。みんなきみのことは大目に見てくれるさ。別に完璧を求めてるわけじゃないんだから。きみは茶色の服を着て、白のエプロンを付けて、室内帽をかぶるんだ。それから少し法令線と、目尻のシワを書き足したら、きみはいっぱしの可愛らしいおばあさんになれるよ」
「お願いです、本当に、お願いです」ファニーは興奮してだんだんと顔を赤らめながら叫んだ。苦痛に満ちた顔でエドマンドのほうを見たが、彼は優しくファニーを見つめていて、下手な口出しをしてトムを激高させたくないらしく、ファニーを励ますような笑みを浮かべているだけだった。彼女の嘆願はトムには何の効果もなかった。彼はたださっきと同じことを繰り返すばかりだった。いまやトムだけでなく、マライアとクロフォード氏とイェーツ氏からもお願いされていた。トムとはまた違ったしつこさで、もっと穏やかで丁寧だったけれども、全員が一斉に懇願してくるのでファニーはすっかり圧倒されてしまった。だがファニーが息をつく間もないうちに、ノリス夫人が事態にケリをつけた。低いがはっきりと聞こえる怒った声で、ファニーに向かってこう呼びかけたのだ。
「つまらないことに一体何を大騒ぎしているのよ──ファニー、こんな些細なことで従兄姉たちに面倒をかけるなんて、恥ずかしいじゃないの──みんなおまえには親切にしてやっているのに! ──潔くその役を引き受けなさい、お願いだから、もうこの件については聞きたくないわ」
「ファニーを責め立てないでください、ノリス伯母さま」エドマンドが言った。「こんなふうに強く迫るのはフェアじゃありません。──ファニーはやりたくないんですよ。──他のみんなと同じように、自分の意志で決めさせましょう。──彼女の判断力だって信頼できるはずだ。──これ以上責め立てるのはやめてください」
「責め立てているつもりなんかありませんよ」ノリス夫人はとげとげしく答えた。「だけど伯母や従兄姉たちのお願いをきけないのならば、あの子はずいぶん強情で恩知らずな子だと思いますね──まさに恩知らずというものだわ、あんな生まれや身分の分際で4」
エドマンドは怒りのあまり口がきけなかった。ミス・クロフォードは一瞬驚きの目でノリス夫人を見つめ5、それから涙を浮かべて今にも泣きそうになっているファニーのほうを見ると、すぐにてきぱきとこう言った。「この場所はいやね、暖炉に近くてわたしには暑すぎるわ」──そしてテーブルの向こうにいるファニーのほうに椅子を近づけ、優しく小声で話しかけた。
「気にしちゃだめよ、ミス・プライス──今日はなんだかいやな晩ね──みんな気が立ってイライラしてて──でも、気にしないようにしましょう」
ミス・クロフォード自身もやや気落ちしていたのだけれども、それからはつきっきりで喋り相手になってやり、なんとかファニーを元気づけようとした。──そして兄のヘンリーのほうを見て、これ以上ファニーに参加を無理強いしないよう目で訴えかけた。ミス・クロフォードは、純粋な気持ちから出たこの本当の善意のおかげで、失いつつあったエドマンドの好意を急速に取り戻し始めた。
ファニーはミス・クロフォードのことが大好きというわけではなかったが、今のような親切には心から感謝した。彼女は自分の針仕事にも目を留めてくれたし、「わたしもそれくらい上手にできたらいいと思うわ」とか「型紙をちょうだいな」「マライアさんが結婚したら当然つぎはあなたが社交界デビューするから、その準備をしているのね」と言ったりした。また、「海上勤務しているお兄さまの近況は何かお聞きになりました?」と尋ねたり、「あなたのお兄さまにお会いしてみたいわ。きっとすごく立派な青年なんでしょうね」と褒めたり、「また海に出る前に肖像画を描いてもらったほうがいいわ」とアドバイスしたりした──このお世辞にはファニーも心がくすぐられてもっと話を聞きたくなったし、つい思わず嬉しそうに答えてしまうのだった。
芝居についての話し合いはまだ続いていた。ミス・クロフォードの注意がファニーから最初に逸れたのは、トム・バートラムにこう呼びかけられたからだった。
「残念だけど、ぼくが執事役に加えてアンハルトの役を兼任することは絶対に無理だと分かったんです──どうにか実現できないか確かめてみたんだけど──でもダメでした。諦めるしかない。でも、役を埋めるのは全然難しいことじゃありません。誰かに声を掛けさえすればいいんだから、よりどりみどりだ。──今のこの瞬間にも、ここから6マイル以内にいる若者を6人は挙げることができますよ。みんなぼくらの仲間に加わりたがっていて、そのうちの一人か二人は付き合っても恥ずかしくない男です。──オリバー家の連中やチャールズ・マドックスなら信用できると思う。──トム・オリバーは頭の切れる奴だし、チャールズ・マドックスはどこから見ても申し分のない紳士だ。それじゃあ、ぼくが明日の朝早く馬でストークまで駆けて行って、どっちにするか決めてくるよ」
トムがこう話す間、マライアは不安げにエドマンドのほうを見ていた。こんなふうに計画が大きくなってしまうのは、最初にトムが断言していたことと話が違うので、反対されるにちがいないと思ったからだ。だがエドマンドは何も言わなかった。──少し考えた後、ミス・クロフォードは穏やかにこう言った。
「わたしに関するかぎり何も反対はいたしませんわ、みなさんが適任だと思われるなら。そのお二人の紳士のどちらかにお会いしたことがあったかしら? ──そうだわ、チャールズ・マドックスさんはいつか牧師館でディナーを取ったことがあるわ。そうよね、ヘンリーお兄さま? ──物静かな感じの青年だったわ、たしか。ぜひ彼に役を引き受けてもらいましょう、お願いですわ。まったく見ず知らずの他人を相手にするよりはマシですもの」
チャールズ・マドックスがその役を演るということに決まった。──トムは明日の朝出かけるぞという決意をくり返し言っていた。ジュリアはそれまでは全然口を開いていなかったのだが、まずマライアを見やり、それからエドマンドのほうを見ると、皮肉たっぷりの口調でこう述べた。「マンスフィールドの素人芝居のおかげで、ご近所中がさぞかし大盛り上がりでしょうねぇ!」──エドマンドはまだ口を閉ざしていて、ただ決然と重々しい態度をしているだけだった。
「わたし、あんまりお芝居を楽しめそうにないわ」──しばし熟考した末に、ミス・クロフォードは小声でファニーにささやいた。「リハーサルをする前にマドックスさんにはこう伝えなきゃ、彼のセリフは少し削って、わたしの分もかなり削るつもりだって。──なんだかすごく嫌なことになりそうよ、わたしの想像してたものと全然違ってきてるんですもの」
注
- 実際の劇では、カッセル伯爵とアガサが同じ場面で共演することはない。
- マライアとヘンリーの役にはかなり親密な抱擁をする場面がある。
- 当時は、男性から求愛することが普通で、女性から愛を打ち明けることはふしだらとされ、ありえないことだった。
- バートラム家に頼って扶養されているファニーの立場を理解するのに、重要な発言である。貧乏な実家から引き取られたすねかじり者だという境遇を、ノリス夫人は事あるごとにファニーに思い出させている。
- メアリーが驚いたのは、ファニーに対して特別同情しているからではない。メアリーは今までもファニーに対して丁重に振る舞ってはいたが、特別な関心を寄せてはいなかった。それでも上流階級・紳士階級の流儀で一応は礼儀正しく接していたので、ノリス夫人の侮蔑の言葉にショックを受けたのである。上流社会では、ある程度の不道徳な振る舞いは許容されていたものの、公然と無礼な言動をすること(特に身分が低かったり貧しく恵まれない人たちに対して)は絶対に許されないことだった。『エマ』でナイトリー氏がエマを厳しく叱責したのもそのため。