十五分経ち、二十分経ったが、ファニーはだれにも邪魔されることなく、まだエドマンドやミス・クロフォードや自分自身のことを考えていた。こんなにも長いあいだ取り残されていることにファニーは驚き始めていた。また二人の足音や声が聞こえてこないかと、必死に耳をすませていた。そうやって耳をすましていると、ようやく、こちらへ近づいてくる話し声と足音が聞こえてきた。でもそれはファニーの求めていたものではないと判ったちょうどそのとき、ミス・バートラムとラッシュワース氏とクロフォード氏の三人が、ファニーが歩いてきたのと同じ歩道から出てきて、ぱっと目の前に現れた。
「おや、ミス・プライスがたったおひとりで!」「まあファニー、どうしてこんなことに?」というのが最初のあいさつだった。
ファニーは事情を説明した。
「かわいそうなファニー!」とマライアは声を上げた。「あのふたりにひどい目に遭わされたのね! わたしたちと一緒にいるといいわ」
マライアは両側を紳士たちに挟まれて座り、さっき話していた会話の続きを再開して、改良の可能性について盛んに議論した。ただし、何ひとつとして決められなかったが──でもヘンリー・クロフォードはアイディアと計画も豊富で、たいていの場合、彼が提案することは何でもすぐに賛成された。まずはマライアが賛成し、続いてラッシュワース氏も賛成するといったぐあいだ。どうやらラッシュワース氏のおもな役割はほかの二人の意見を聞くことのようで、「友人のスミスの地所をぜひおふたりにも見てもらえたらなあ」と言う以上に、自分の考えをあえて主張することはなかった。
こんな調子で数分過ごしたあと、ミス・バートラムは鉄の門に目をやり、「あの門を通り抜けてパークに行きたいわ。そうすれば景色が一望できて、俯瞰的な計画を立てられるかもしれないわ」と言った。それはまさにほかの二人が望んでいたことで、一番いい方法だし、うまく事を進める唯一の方法だ、というのがクロフォード氏の意見だった。「半マイルもしないところにすぐ小山が見えますから、そこからなら必要な分だけ屋敷全体を見晴らせるでしょう」というわけで、ぜひとも門をくぐり抜けて、あの小山に行かなければならない。だが門には鍵がかけられていた。ラッシュワース氏は「鍵を持ってくればよかったなあ。鍵を持ってくるかどうかすごく迷ったんですよ。次来るときは、絶対に鍵を忘れないようにしよう」と言った。でもこんな宣言をしたところで、いま目の前の問題の解決にはならない。彼らは門を通り抜けられないのだ。門を通り抜けたいというミス・バートラムの気持ちはどうしても変わらないので1、ついにはラッシュワース氏が「よし、じゃあすぐに鍵を取ってきましょう」と言って、立ち去っていった。
「たしかに、彼に鍵を取ってきてもらうのが一番いいですね。ぼくらはもう屋敷からずいぶん離れてしまいましたから」ラッシュワース氏が行ってしまうと、クロフォード氏はこう言った。
「ええ、これ以外どうしようもありませんわ。だけど、ねえ正直な話、この地所は予想よりもひどいと思われました?」
「いえ、とんでもない。屋敷の様式は思ってたより素晴らしくて壮大だし、申し分ないですよ。でもこの様式は最高とは言えないな。それに正直言って──」と声をやや低めて言った。「今ほど愉快な気持ちでサザートンを見ることはもうないでしょうね。来年の夏は、ぼくとってサザートンが改良されることにはならないだろうな」
マライアは一瞬どぎまぎして、こう答えた。「あなたは世慣れた方ですから、世間どおりの見方ができないなんてことありませんわ。サザートンは改良されたと他の人が考えれば、あなたもきっとそう思うはずだわ」
「残念ながら、ある点においては、ぼくはそれほど世慣れた男というわけではありません。ぼくはそんなに心移りしやすいほうではないし、過去の思い出も簡単には忘れられないんです。社交界に通じた人間はたやすく感情を抑えられるものだ、と世間の人は思っているようですが」
短い沈黙がつづいた。ミス・バートラムがまた口をひらいた。「今朝、あなたはこちらへのドライブをずいぶん楽しんでらっしゃったようですわね。すごく楽しそうなあなたを拝見して、わたしも嬉しかったわ。あなたとジュリアはずーっと笑いっぱなしでしたものね」
「そうでしたっけ? ええ、たしかそうでした。でもなんで笑ってたのか全然思い出せないな。ああ! そういえば、ぼくの叔父のアイルランド人老いぼれ御者にまつわる、ばかげた話を披露してたんですよ。あなたの妹さんは笑うことが大好きですね」
「ジュリアのほうが、わたしより陽気だとお思いなんでしょう」
「簡単に笑わせられますね」と彼はほほえみながら答えた。「だからいい話し相手ではあります。でもあなたになら、十マイルのドライブ中にアイルランド人にまつわる小話なんかを披露して、楽しませようとは思いませんね」
「もちろん、わたしだってジュリアと同じくらい陽気だと思うわ。でもいまは考えることがたくさんあるんですの」
「きっとそうでしょうね──陽気な心も、ときには物事に対して無感覚になる場合があります。だけど、あなたの見通しは明るいのだから、それは元気がないことの説明にはなりませんよ。あなたの前には明るい展望が開けてるじゃないですか」
「それは文字どおりの意味でおっしゃってるのかしら? それとも比喩的な意味? 文字どおりの意味でしょうね、きっと。ええ、たしかに太陽は光り輝いているし、庭園もすごく晴れ晴れとして見えるわ。でもあいにくあの鉄の門や隠れ垣のせいで、なんだか束縛されているように感じて苦しいの。ムクドリが『ここから出られない』って言ってるように2」とマライアは表情たっぷりに言いながら、門のところまで歩いていった。クロフォード氏も彼女についていった。「ラッシュワースさんは鍵を取ってくるのに、なんて時間がかかるんでしょう!」
「それじゃあなたは、鍵がなければ絶対に門から出ていけないし、ラッシュワースさんの許可や庇護なしには外に出られないのですね。あるいは、ぼくの手を借りて、このあたりの門の端を飛び越えていけば、難なく通り抜けられるかもしれませんね。たぶんできるかと思いますよ、あなたが本当に自由になりたいと願うならね。そして、門の外に出るのは禁じられていないと思えるのならばね」
「禁じられてるですって! ばかげてるわ! もちろんわたしはあの門を通り抜けられますし、必ず通り抜けてみせるわ。ラッシュワースさんはもうすぐここへ戻ってくるでしょうし──わたしたちを見失うことはないはずよ」
「それか、親切なミス・プライスに伝言を頼んではどうでしょう。ぼくらはあの小山の近くのオーク林にいますって伝えてもらいましょう」
ファニーは、これは間違ったことだと感じたので、必死になって止めようとした。「ミス・バートラム、怪我をしてしまいますわ」とファニーは叫んだ。「あの忍び返しできっと怪我しますわ──ドレスが裂けてしまいますし──隠れ垣に滑り落ちてしまう危険もあります。やめたほうがいいですわ」
ファニーがこう言っているあいだにも、マライアは無事向こう側に降り立ち、うまくいったことに上機嫌になって笑いながら言った。「ご忠告ありがとう、ファニー。でもわたしもドレスも無傷だし大丈夫よ。それじゃあね」
ファニーはまた一人置き去りにされてしまい、快い気分にもなれなかった。見聞きしたほとんどすべてのことを残念に思ったし、ミス・バートラムには驚き、クロフォード氏には腹が立った。見たところあの二人は、小山へはすごく遠回りでおかしな方向に進み、すぐに目の届かないところにまで行ってしまった。そして数分間ファニーは、だれの姿も見えず声も聞こえないまま取り残された。この小さな森にいるのは自分たった一人だけのように思えた。「エドマンドとミス・クロフォードはわたしを置いて帰っちゃったのかしら」とまで思ったが、「エドマンドがわたしのことを完全に忘れるなんてありえないわ」と思い直した。
ファニーがこうやって不愉快な物思いにふけっていると、突然足音がして、ふたたびはっとした。だれかが広い歩道を降りて早足でやって来るようだ。ファニーはラッシュワース氏が来たのではないかと思ったが、それはジュリアだった。彼女は顔をほてらせ、はあはあ息を切らしていて、ファニーを見るとがっかりした様子でこう叫んだ。「ああ、もう! ほかのみんなはどこなの? マライアとクロフォードさんもいっしょだと思ってたのに」
ファニーはいきさつを話した。
「うまいことやったもんだわ、まったく! 二人はどこにも見えないわね」と言って、ジュリアは必死にパークのほうに目を凝らした。「でもそんなに遠くには行ってないはずよ。マライアにこの門が飛び越えられるならあたしにだってできるわ、誰の手も借りずにね」
「でもジュリアさん、ラッシュワースさんはもうすぐ鍵を持ってこちらにいらしますわ。ラッシュワースさんを待ちましょうよ」
「絶対にお断りだわ。ラッシュワース家の人たちのお相手は今朝だけでもうこりごりよ。だって、ついさっき彼のうんざりするような母親から逃げ出してきたばかりなんだから。あなたがここでのんびり幸せそうに座ってるあいだ、あたしは辛い苦行に耐えてたのよ! あなたがあたしの身代わりになればよかったのに。でもあなたってこういう面倒なことからはいつもちゃっかり逃げ出すのよね」
ずいぶん不公平な非難だとファニーは思ったが、ジュリアの気持ちを考慮して大目に見てあげた。ジュリアは苛立って短気になっていたが、そんなに長くは続かないだろうとファニーは思ったので、気にしないことにした。そして「ラッシュワースさんを見かけませんでしたか?」とだけ尋ねた。
「ええ、ええ、見たわよ。まるで生きるか死ぬかみたいに急いでて、自分の用事とあなたたちの居場所だけ伝えると、またすぐに走り去っていったわよ」
「骨折り損のくたびれもうけになってしまって、お気の毒ですわ」
「そんなのミス・マライアが心配することだわ。お姉さまの罪のためにあたしが罰を受ける義理なんてないもの。伯母さまが女中頭とうろちょろしてるあいだ、あたしはずっとあの母親から逃げられなかったのよ。でも息子からは逃げ出してやるわ」
そしてジュリアはすぐに柵によじ登って飛び越え、ファニーの「ミス・クロフォードとエドマンドを見ませんでしたか」という最後の問いかけにも答えず、歩き去っていった。いまやファニーはラッシュワース氏と顔を合わせるのが恐ろしくなってきたので、二人がいまだに帰ってこないことをそれほど考えずに済んだ。ラッシュワース氏はひどい扱いを受けていると思ったし、彼に事情を説明しなければならないと思うと心が沈んだ。そしてジュリアがいなくなってから五分もたたないうちに、ラッシュワース氏が現れた。ファニーはできるだけ話をうまく取りつくろって説明したものの、彼はあきらかに動揺し、ものすごく不愉快なようだった。はじめは、彼はほとんど口を開かなかった。ただ相当驚き、いらだった様子をしていた。やがて彼は門のところまで歩いていって立ち尽くし、どうすればいいか分からないようだった。
「お二人はわたしに残るようにって言ったんです──従姉のマライアが、自分たちはあの小山かそのへんにいるから、あなたにそう伝えておくようにって言付けたんです3」
「ぼくはこれ以上歩きたくない」彼はむすっとして言った。「二人の姿は全然見えない。ぼくがあの小山に着くころには、二人はどこか別の場所に行ってしまってるかもしれないし。歩くのはもううんざりだ」
そして彼は暗く沈んだ顔つきでファニーのそばに腰を下ろした。
「お気の毒ですわ。ほんとうにあいにくなことで」ファニーはもっと気の利いたことが言えればいいのに、と思った。
やや沈黙のあと、ラッシュワース氏がこう言った。「二人はぼくを待つべきだったんだ」
「ミス・バートラムは、あなたが追いかけてきてくださると思ったんですわ」
「彼女が待ってくれていたなら、ぼくが追いかける必要はなかったんだ」
これには反論もできなかったので、ファニーは黙りこんだ。また少し沈黙のあと、彼は続けた。「ねえミス・プライス、あなたもほかの人たちのように、クロフォード氏がすてきな人だと思いますか? ぼくとしては、彼にはなんの取り柄もあるようには思えない」
「わたし、クロフォードさんのこと全然ハンサムとは思いませんわ」
「ハンサムだって! あんなチビ男のことはだれもハンサムとは呼べませんよ。彼は5フィート9インチ(=175cm)もないでしょう。たとえ5フィート8インチ(=172cm)以上なくても驚きませんね。彼は不細工な男だと思う。ぼくの意見としては、あのクロフォード家の人たちは何の足しにもなってない。彼らがいなくても、ぼくらは楽しくやっていたんだ」
ファニーは小さくため息をついた。彼の言うことは否定しようがないのだ4。
「もしぼくが鍵を取ってくるのをしぶっていたなら、彼らの言い訳も立ちますよ。でもぼくはミス・バートラムに鍵がほしいと言われて、すぐに取りに行ったんだ」
「たしかに、あなたの振る舞いはこれ以上ないほど親切でしたわ。それにきっと、できるだけ大急ぎで来られたんだと思います。でもこの場所からお屋敷の中まではかなり距離がありますでしょう。待っている人って、時間を正確に計れなくなるんですわ。三十秒が五分にも感じられたりするんです」
ラッシュワース氏は立ち上がってふたたび門のところまで歩いていき、「あのとき、鍵を持って出てくればよかった」とつぶやいた。ファニーは、門のそばに立っている彼の様子からして、少し気持ちがやわらいだ気配がしたと思ったので、試しにこう言ってみた。「あなたがあの二人と合流できないのは残念です。お二人はあの場所から屋敷をもっとよく眺めるつもりなのですし、今頃どう改良すればいいか考えていることでしょう。そういったことは、あなたなしでは何も決まりませんわ」
ファニーは、自分は人を引き留めるよりも追い払うほうが得意だとわかった。ラッシュワース氏は納得した。「そうだな」と彼は言った。「ぼくが行ったほうがいいと、あなたがほんとうに思うならそうしよう。鍵を持ってきたのがムダになってしまうのもばからしいし」そして彼は門を開けて外に出ると、あいさつもせず歩き去ってしまった。
ファニーはいまや、ずっと前に自分を置いていったエドマンドとミス・クロフォードのことで頭がいっぱいになっていた。ついにかなりじれったくなってきたので、二人を探しに行こうと決心した。彼女は森の谷の歩道に沿って二人の進んだあとに従っていき、また別の歩道に差しかかったちょうどそのとき、ミス・クロフォードの話し声や笑い声がふたたびファニーの耳に入ってきた。その声が近づいてきて、いくつか曲がりくねった道を進むと、彼女の目の前にエドマンドとミス・クロフォードが現れた。話によると、二人はちょうどパークから自然庭園のなかに戻ってきたところらしい。ファニーを残して出発したあとすぐに、パークの脇の門が開いていたのを見つけたので、つい通り抜けたくなったのだ。それからパークの一部を越えると、並木のところ(まさに午前中にファニーが行ってみたいと話していた場所だ)に着いて、二人はしばらく木陰で腰を下ろしていたのだ──これが彼らの説明だった。明らかに二人は楽しい時間を過ごし、どれくらい長くファニーを置いてけぼりにしていたかも気づかなかったようだ。ファニーにとって一番の慰めは、エドマンドが「きみもいてくれたらよかったのにと思ったよ。もしきみが疲れて果ててなかったら、もちろん連れに戻ってくるつもりだった」と言ってくれたことだった。でもそれだけでは、たった数分だけと言っておきながら、まるまる一時間もほったらかしにされた悲しみを打ち消すには十分ではなかった。それにエドマンドとミス・クロフォードは二人っきりの間じゅう、一体何を話していたのだろうかという好奇心を追い払うのにも十分ではなかった。そろそろ屋敷に戻ろうということでみんなの話はまとまったが、全体としてこの散策の結末は、ファニーにとって失望と落胆に終わった。
テラスの階段下に着くと、ラッシュワース夫人とノリス夫人が階段の一番上にいて、ちょうど自然庭園に入ろうとしていた。屋敷を出てから一時間半も経った末にようやくここまでたどり着いたのだ。ノリス夫人はいろいろなことにかかりきりになっていて、これ以上速く歩けなかったのだ。姪のジュリアやファニーの楽しみをじゃました不幸な出来事がなんであれ、ノリス夫人にとっては申し分なく愉快な午前中だった──というのも、ノリス夫人はキジのことをうんと丁重に褒めちぎったので、女中頭に酪農場へ連れて行ってもらい、乳牛についてあらゆる話を聞き、有名なクリームチーズのレシピを教えてもらったりした。ジュリアが行ってしまったあと、こんどは庭師と出会い、この庭師ともかなり親しくなった。庭師の孫の病気について「それはマラリアよ」と教えてあげたし、魔除けのお守りも持ってきてあげると約束も交わしたからだ。そして庭師はお礼に選りすぐりの苗床を紹介してくれて、貴重なヒースの苗木を夫人にプレゼントしてくれたのだ。
こうしてばったり出会った五人はいっしょに屋敷に帰った。そして残りのメンバーが戻ってディナーが始まる時間まで、それぞれソファでおしゃべりをしたり、『クウォータリー・レヴュー5』を読んだりして時間をつぶした。バートラム姉妹とクロフォード氏とラッシュワース氏が入ってきたのは遅くなってからで、どうやら彼らの散歩はあまり満足できるものではなかったらしい。改良というその日の目的に関しては、何ひとつ収穫はなかったようだった。彼らの説明によると、何やらおたがいに追いかけっこばかりしていて、最後にやっと全員が合流したときも、ファニーの見たところ、時間が遅すぎて四人の気持ちがひとつになることもなく、改良についてなにか決めることもできなかった。ジュリアとラッシュワース氏に目をやると、ファニーは『自分だけが不満な思いを抱えてるわけじゃないんだわ』と感じた。どちらも憂鬱そうな顔つきをしていた。クロフォード氏とミス・バートラムはそれよりずっと陽気だった。ディナーのあいだ、クロフォード氏はジュリアの怒りをしずめ、みなの楽しい気分を取り戻そうと特に気を遣っているようだと、ファニーは思った。
ディナーが終わるとすぐにお茶とコーヒーになった。家まで十マイルのドライブがあるので、時間を無駄にできないのだ。一同が食卓についてから馬車が玄関に寄せられるまでのあいだは、つまらないことが慌ただしく続いた。ノリス夫人はせかせかと動きまわり、女中頭からキジの卵を数個とクリームチーズをもらい、ラッシュワース夫人に丁重なあいさつをくどくどと述べ、先頭に立つ用意ができていた。ちょうどその瞬間、クロフォード氏がジュリアに近づいてこう言った。
「よろしければ、ぼくのお隣に座っていただきたいのですが。夜風にさらされる御者席でもかまわないということでしたら」
それは予想外の申し出だったが、丁重に受け入れられ、ジュリアの一日は始まったときとほぼ同じように終わりそうだった。ミス・バートラムは自分が誘われるものと思い込んでいたので、すこしがっかりした──でも本当に気に入られてるのは自分だという確信があったので、まだ慰められた。おかげでマライアは、ラッシュワース氏の別れのあいさつにもきちんとした態度で応対できた。ラッシュワース氏のほうももちろん、マライアがクロフォード氏の隣の御者席に乗り込むのに手を貸すより、馬車の中に入るのに手を貸すことができてずっと嬉しかった──このような取り決めになって、彼は満足げだった。
「やれやれ、ファニー、今日はあなたにとっては素敵な一日だったでしょうねえ!」馬車がパーク内を通り抜けている際、ノリス夫人は言った。「最初から最後まで楽しいことづくめだったわね! おまえはバートラム伯母さまとわたしに感謝しなければなりませんよ、わざわざ来させてもらったんだから。すばらしい気晴らしになったでしょうね!」
マライアは御者席に座れず不機嫌だったので、ずけずけとこう言った。「伯母さまこそずいぶんうまくやったわね。膝の上にはすてきな戦利品がどっさりのっているし、座席のあいだのバスケットにも何か入ってるわ。さっきからわたしの肘にゴツゴツ当たってて、痛くてしょうがないわ」
「あら、それはただのヒースの小さな苗木よ、あの親切な老庭師がどうしても受け取ってほしいって言うもんだから。でも邪魔なら、わたしの膝の上に直接のせるわ。ほらファニー、この小包を持ってちょうだい──気をつけて──落とすんじゃないわよ。それはクリームチーズで、ディナーのときに食べたあの見事なチーズと同じものよ。あの親切な女中頭のホイッティカー夫人が、ぜひチーズを持っていってほしいと言ってきかないの。わたしは何度もお断りしたんだけど、しまいには涙を流してお願いされるもんだから。妹もきっと喜ぶだろうと思うわ。あのホイッティカー夫人はすばらしい人ね! わたしが『上級召使の食卓では、ワインは許されてるのかしら』と尋ねたら、夫人はひどくショックを受けてたわ。
それからメイドを二人、白い服を着たというだけでクビにしたことがあるそうよ6。チーズに気をつけて、ファニー。さあ、これでこっちの小包とバスケットはわたしが持てるわ」
「ほかには何をせしめてきましたの?」サザートンのことを褒められてすこし嬉しくなったので、マライアが尋ねた。
「せしめたですって、まあ! あとはただすばらしいキジの卵を4つだけよ。ホイッティカー夫人がどうしてもって無理やり押し付けたから。いくら断ってもきかないのよ。わたしが一人暮らしをしてると聞いて、『こういう生き物を飼うのは、きっと気晴らしになるはずですから』って言うの。確かにそうでしょうね。酪農婦に命じて、空いためんどりに卵を温めさせて、もしうまくヒナがかえったら、うちの家に移して鶏小屋をひとつ借りましょう7。独りで寂しいときも鳥の世話をすれば楽しいでしょうね。もし運良くうまくいったら、あなたのお母さまにも何羽かあげるわ」
その日は風もなく穏やかな美しい晩で、のどかな自然のなかをドライブするのは心地良かった。ノリス夫人が喋るのをやめると、車内はすっかり静かになった。みんな総じて疲れ切っていた──はたして今日は喜びと苦痛、どちらが多かったのか──そういう物思いが、ほとんど全員の心を占めていたのだった。
注
- ラッシュワース氏を追っ払って、クロフォード氏と二人っきりになれるかもしれないと分かったからである。
- マライアはローレンス・スターンの『センチメンタル・ジャーニー』(1768)からの有名な一文を引用している。作中に、”I can’t get out!”としか話せない籠の中のムクドリが登場する。
- 実際は、ファニーに伝言を頼んだのはクロフォード氏。
- ファニーもラッシュワース氏も、クロフォード家の人間に愛する人を奪われて苦しめられているため。
- 当時の主要な保守派の評論誌。地方のジェントリ層が主な読者。もうひとつのリベラル派の評論誌は『エディンバラ・レヴュー』で、貴族や都市の中流階級が主な読者。
- 白のドレスは上等でエレガントなものとみなされていた。召使たちは質素な服を着ることが求められた
- つまり酪農婦もめんどりも、バートラム家のものを借りて使わせてもらうということ。