チョートン・コテッジは、ジェイン・オースティンが1809年〜1817年まで住んでいた家です。
この静かな田園地帯の村でオースティンは落ち着いて執筆に専念することができたのか、この時期に『分別と多感』『高慢と偏見』を加筆出版、『マンスフィールド・パーク』『エマ』『説得』の新作を次々と完成させました。(『説得』のみ死後出版)
チョートン・コテッジの建物は当時のまま現存しており、今ではジェインオースティンズ・ハウス・ミュージアムとなっています。
ファンにとっては必ず訪れなければならない聖地の一つです!!
この記事では、2017年にこのミュージアムを訪れた時のことをご紹介します。大抵の人は電車+バスのルートで行くと思うので、詳細な行き方を書いておきます!
いつも通り、予約していたチケットを発券するため、宿近くのユーストン駅へ。(発券機があるのはターミナル駅のみ)
ちなみにイギリスでは片道のことをsingle、往復のことをreturnといいます。
エニタイムだと心の余裕が違う。その分ちょっとお高いけど…
チョートンの最寄り駅であるオルトン(Alton)駅は、ロンドンの南西80kmくらい。
ウォータールー駅から発着するので、地下鉄でユーストン駅から移動。
駅のM&S横のカフェで腹ごしらえの朝食。
ベーコンエッグマフィンを食べました。
味は…まずくはないけど普通(^^;)
M&Sで飲み物を購入。パッケージがお洒落
お寿司の品揃えも充実。完全に向こうの食事に溶け込んでるなあ。
ウォータールー駅のホーム。
オルトンは終点です。(「&」が着いてたら終点)
サウスウェスト鉄道にて向かいます。
席は自由だったので適当に座りました。
さようならロンドン
一時間半ほどで到着!
ですがここで、ちょっと危うかったトラブルが…
オルトン駅に電車が到着したものの、駅の手前でしばらく止まったままでなぜか扉も開かないのです。車内アナウンスもなく…(聞き逃してたかもしれないけど)
一体どうしたのかなと車両を移動して前の方に行ってみると、なんと扉が開いている!あわててホームに飛び降りました。
どうやら私の乗っていた車両は後方だったので、ホームに列車全体が入りきらなかったようです。
そのまま乗っていたら、またロンドン方面に戻ってたか車庫に運び込まれていたかもしれない…(*_*)
なので絶対に前の方の車両に座り、オルトン駅あたりに着いたら周囲の様子に気を配っておきましょう。
ウェイトローズ(高級スーパー)のあるところは治安が良い所らしい。
オルトン駅。田舎のちっちゃな駅です。
外観。
幸いなことに、駅出てすぐ左手にバスステーションがあります!
ここから64番か38番のバスに乗ってAusten’s HouseかChawton Roundaboutまで行きます。
バスのチケットは車内で運転手さんから購入できます。
こんなピラピラのレシートが切符ってなんか変な感じ;;
10分ほどでroundaboutのほうに着きました!
ここからさらに10分弱くらい歩きます。道筋は以下の通り。
車の多いラウンドアバウトを越えないといけないので、ちょっと危ないです。
たまたまミュージアム方面に歩いていく青年がいたので、こっそり跡をつけさせてもらった(^^;)
三叉路のウィンチェスターロードに面した所には…
ついに憧れのジェイン・オースティン・ハウス・ミュージアム(Jane Austen’s House Museum)が!!
目の前にはパブレストランがあります。
入る勇気がなかったけど、評判も良いみたいなのでもし次行ったらチャレンジしたい!
着いてすぐ、可愛いネコちゃんが出迎えてくれました。タキシード柄で靴下猫。
人懐っこくて自分から寄ってくる!いっぱいナデナデさせてもらった。
ここの名物猫のようで、ミュージアムのHPやインスタにも登場してました。
また会いたいなぁ…元気にしてるかな…
庭の小さなゲートから入ってしまったので入り口がわかりづらく、少しさまよってしまった。
入り口はここではなく…
道路沿いの北のほうです。
↓2017年時の看板
入場券を買って入ると、まず馬車が。
ロバに引かせていた馬車で、オースティン家の女性たちが実際使っていた物。
オルトンまで買い物に行くのに使っていたとのこと。
姪のキャロラインによると、
「お祖母さま[オースティン夫人]はほとんど使っていませんでしたが、ジェイン叔母さまは、オルトンまで行くのに便利だと思っていたようです…」
馬で引く馬車は高級品なので、質素な生活をしていた彼女たちには手の届かないものだった。↓の左の写真は、裕福な母方の親戚リー家の馬車。
台所。
映像が流れてる部屋。早く中に入りたくてウズウズしてたので見なかった。
次はきちんと鑑賞したい。
まずはダイニングルーム。
↓『4人の女性たちが食事を取っていた部屋。食事はキッチンから運ばれたが、お茶はここで用意されていた』とのこと。
4人の女性とは、ジェイン・オースティン、姉のカサンドラ、母親のオースティン夫人、友人のマーサ・ロイドです。
↓チョートンコテッジ、チョートンハウスの絵など。
↓椅子やソファにはさりげなくラベンダーが置かれてる。
「ここには座らないで下さい」なんて無粋な表示は置かないのがすばらしい。
来館者のモラルを信頼してるんだなあ。
↓父親のオースティン牧師がスティーブントン時代に使ってたライティングデスク。
↓初期のオースティン作品の本。ジェインが読んでいたであろう『エヴェリーナ』や『ユードルフォの謎』もある。
↓後年、子孫たちが出版したオースティン書簡集や『思い出』なども。
↓オースティンが実際ここで使ってたものではないけれども、当時の物と似たデザインのピアノ。
↓『高慢と偏見』の貴重な初版本。1813年。
メルバーン子爵(のちにヴィクトリア女王即位時の首相)の妻であるレディ・キャロライン・ラム子爵夫人が所有してた本。
夫人はバイロン卿との不倫関係でも有名。
↓オースティンの兄(三男)、エドワードの肖像画。
お金持ちの親戚ナイト家の養子となった彼のおかげで、ジェインたちはこの家に住むことができました。
大地主となったエドワードはケント州とハンプシャー州に邸宅を3つ所有していましたが、その内の一つチョートン・ハウス近くのこのコテッジに住んではどうかと、母親や妹たちに申し出たそうです。
↓こちらは1894年のPeacock editionとして有名なヒュー・トンプソン版。
初めてのフルイラスト入り。
↓そして、このテーブルこそ、オースティンが執筆していた机!
↓『オースティンは毎朝、朝食後に執筆していた。夜になると時々、顔にふと笑みを浮かべながらダイニングルームへと急ぎ、何か思いついたことを忘れないように書き留めていたと言われる。
ジェインの死後、オースティン夫人はこの机を年老いた召使に譲った。何年も経った後、このきわめて重要な意義を持つ机は、ここに戻ってきた。』
ダイニングルームの奥に置いてあります。
写真にはありませんが、この部屋のドアが有名な「クリーキング・ドア」かな。
小説を執筆してることを知られたくなかったジェインは、キイキイ音の鳴るドアで人が近づくのが分かるようにしていたそうです。
中央のテーブルにある食器はエドワードが購入したウェッジウッド。
その他の食器類。
ここで紅茶用のお湯を沸かしてた。
↓当時賭けに使用されたチップ。高慢と偏見第16章にも登場してましたね。
↓もう少し綺麗なミュージアムの画像。真珠製?
続いての部屋。家族の展示が多め。
↓赤ちゃん用の帽子類。
長兄ジェームズが二番目の妻メアリ・ロイドに送った婚約&結婚指輪。
ジェイン自身の筆跡で「お父さまの髪(My Father’s hair)」と書かれている。
父親の髪が編み込まれたブローチ。
長兄ジェームズのミニアチュール。27歳頃。
ジェインも使っていたけん玉。
かなり得意で、何度も連続で玉を乗せられたらしい。器用な人だったんですね。
家族や親戚たち。
同居してたマーサ・ロイドは写真が残ってるんですね。
ジェインも長生きしてれば写真があったかもしれない…
↓ジェインが住んでいた頃の壁紙の一部。
これは何だろう…瓶とかケースが入ってる。
装飾品。
姪のファニー・ナイトのレターボックス。
拳銃
サテンシューズと手袋。
ジェイン自身が刺繍したハンカチ。
姉カサンドラのイニシャル”CA”とある。
姪ルイーザ・ナイトのためにジェインが作った刺繍針ケース。
↓”with Aunt Jane’s love”(ジェイン叔母より愛を込めて)と直筆で書いてある。
扇子。
2階へ。
踏むたびにギシギシなる階段に歴史を感じる。
↓階段の踊り場のところに、肖像画で着ていたドレスのレプリカが飾ってあった。
ウィンストン・チャーチルの回想録も階段に飾ってあった。
チャーチルは第二次世界大戦の暗い日々の中、『高慢と偏見』を読み直して慰めを得ていたそう。フランス革命ともナポレオン戦争とも無縁な、古き良きのどかな19世紀初頭のイギリスに思いを馳せていた。
当時の初版本の広告。
階段を上がると寝室。
↓まさにこの部屋で姪のキャロラインたちが、1817年4月にジェインに最後の挨拶をした時のことが書いてある。(ウィンチェスターに移る前)
ジェインはすでに体調がかなり衰えていたものの、姪たちを優しく歓迎してくれ、暖炉のそばにあった椅子とスツールを勧めてくれたとのこと。
でも15分ほどでカサンドラに部屋を連れられてしまったとか。これが彼らにとって最後の叔母の姿となる。
レプリカのベッド。
顔や手を洗う盆かな。
ジェインのシルエット。
↓ナショナル・ギャラリーにあるカサンドラ作の肖像画を元にし、さらに甥や姪の証言も参考にして、後世の画家が描いたもの。
あまり似てないらしいですが…
中国風の作業机。
また別の寝室。
五男フランシス・オースティンの私物や肖像画。
嗅ぎたばこ入れなど
ジェインが使っていたショール。
ジェインの所有していたターコイズの指輪。
ブレスレットのほうはジェインの物と言われてるけど、真偽不明。
ジェインが作ったパッチワークキルト。
図書室には、世界中のさまざまな言語のオースティン関連書籍がある。
もちろん日本語の本も!
さらにこの部屋には、あのトパーズの十字架が展示されていた。
海軍士官だった弟のチャールズが、報奨金でプレゼントしてくれたもの。
マンスフィールド・パークにもネックレスのエピソードで登場しました。
兄のウィリアムがファニーに贈った琥珀の十字架のモデルです。
読んだ方なら、実物を見れてどれだけ感激したか分かりますよね。
姉にあてた手紙も展示されていた。
1832年アメリカ版の、マンスフィールド・パーク。
このコテッジはもともと個人宅でしたが、第二次世界大戦で戦死した息子のフィリップ・ジョン・カーペンター中尉を偲んで、1949年に両親が財団に寄付したらしいです。
それ以降一般の人々にも内部が公開されるようになりました。
作業部屋?体験教室?
ボンネットや衣装などを試着できる。
メッセージボードもあった。
書こうと思ったけどインクカピカピで書けなかった^^;
↓世界中から訪れたファンのメッセージ。
庭に出る。これがまた花が咲き乱れる美しい庭で…
この日見学してたのはお爺さんお婆さんが多かった。
お土産ショップも充実。
↓ここに写ってるカップと、ポストカードと、エコバッグを買いました。
映像系は全部揃ってる。
↓このペンセット買えばよかったな〜
↓ミュージアムの外にあった記念プラーク。
“SUCH ART AS HERS CAN NEVER GROW OLD”(彼女の作品のような芸術は、決して古くなることはない)という、Janitesの最大限の愛に溢れた賛辞に感銘を受けて、しばらくプラークの前で佇んでしまった。
なんてジェイン・オースティン作品の本質を突いた言葉だろう。
批評家G・H・ルイス(シャーロット・ブロンテにオースティンを読むよう勧めた人)の言葉らしい。
↓現在では「A」をモチーフにした新しいロゴに変わってるようです。
これでミュージアム探訪は終わり。
ジェイン・オースティンの聖地中の聖地とも言える、実際住んでいたこの家に来れて幸せでした。
次は少し歩いた所にあるチョートン・ハウスに向かいます。
長すぎるので続きは②の記事で。