ミス・クロフォードはいろいろと励ましの言葉をかけてくれたけれども、ファニーはどうしても今日の出来事を忘れることができなかった。──その晩が終わると、ファニーは今日のことで頭がいっぱいのままベッドに入った。あんなにもみんなの前で、あんなにもしつこくトムから責め立てられたショックのせいで、いまだに神経が高ぶっていたのだ。ノリス夫人の心ない叱責と非難にも落ち込んでいた。あんなふうにみなの注目の的にされ、もっと事態が悪くなる前ぶれにすぎないことを聞かされ、しかも演技などという自分には絶対にできるはずのないことをするよう命じられたのだ。おまけにノリス夫人からは強情で恩知らずだと非難されたうえに、バートラム家に頼って扶養されている立場をあてこすられた。その時もつらくてたまらなかったが、一人になってもそのつらさがやわらぐことはなかった。──明日もまたこの話題になったら一体どうしよう? そう考えるとさらに恐ろしくなった。今回だけはミス・クロフォードが守ってくれた。だけどもしまたみんなの前で、トムやマライアから有無を言わせぬ調子で執拗に頼み込まれたら?もしエドマンドがその場にいなかったら? ──そしたら一体自分はどうすればいいんだろう? 答えが出ないまま、ファニーは眠りに落ちた。
翌朝、ファニーは相変わらず困り果てたまま目が覚めた。この小さな白の屋根裏部屋は、最初にバートラム家に来たときからずっと彼女の寝室だったのだが、ここでは解決策をもらえそうにないと感じた。そのためファニーは着替えを済ませると、すぐにもう一つの部屋のほうへ降りていった。そこは屋根裏部屋より広いので、歩き回ったり考え事をしたりするのに向いているのだ。しばらく前からは、ほとんどファニーの部屋同然になっていた。ここはかつての「勉強部屋」で、バートラム姉妹がその呼び名をやめさせるまでそう呼ばれていた。その後は居室として使われていて、家庭教師のミス・リーがこの部屋に住んでいた。ミス・リーとファニーはここで読み書きの勉強をしたり、お喋りしたり、笑い合ったりしたものだ。だがミス・リーは三年ほど前に暇を出されて屋敷を去ってしまった。──それ以降この部屋は使われなくなり、しばらくの間はかなり寂れていたけれども、ファニーだけは鉢植えのようすを見に行ったり、本を取りに行ったりしていた。上の小さな屋根裏部屋では狭すぎて本棚も置けないので、この部屋に並べたままにしていたのだ。──そして、この部屋をもっと快適にしたいという気持ちが大きくなるにしたがって、ファニーは少しずつ自分の物を増やしていった。不都合なことは何もなかったので、いつのまにかごく自然とそういう運びとなり、いまではみんなからファニーの部屋と認められるようになっていた。マライア・バートラムが16歳になって以降、そこは「東の部屋」と呼ばれていて、白の屋根裏部屋と同様に、いまやれっきとしたファニーの部屋とみなされていたのだ。──あの屋根裏だけでは手狭すぎるから、他の部屋も使うのは至極当然のこととされた。マライアとジュリアは、自分たちの部屋のほうがどの点からみても豪華なので、何の異論も唱えなかった。──ノリス夫人も、ファニーのために絶対に暖炉に火は焚かないという条件付きで、誰にとっても無用なその部屋を使うのをしぶしぶ認めてやった。もっとも、この寛大な措置についてノリス夫人が時折話す口ぶりからすると、まるでファニーが屋敷中でいちばん良い部屋を使っているかのように聞こえたけれども。
部屋の向きがとても良かったので、春先や晩秋の午前中なら暖炉の火なしで過ごすことができた。ファニーのようにこの部屋で過ごしたい者にとっては、陽光が差し込んでいるならば、冬時でさえもここから出たくないと思うほどだった。空いた時間にこの部屋で過ごすのは、このうえなく快適だった。下の階で何か嫌なことがあっても、ここに来ればすぐに慰めを見出すことができたし、何か手近な考え事に思いを巡らすこともできた。鉢植えや本の数々──初めて自由に使えるおこづかいをもらったときから集めているものだ──それから書き物机、慈善活動用の編み物など、すべてが手の届くところにあった。──あるいは、何もする気が起きなくて物思いにふけるしかなかったとしても、この部屋にある品々を眺めていれば、それらにまつわる興味深い出来事が思い出されるのだった。──あらゆるものがファニーの友であり、ファニーの想いを友へと誘った。
苦しい思いをすることもたくさんあった──意図を誤解されたり、感情を軽視されたり、理解力を低く見られることもたくさんあった。酷い扱いを受けたり、ばかにされたり、無視されるつらさを味わったりもした。だがそんなときでも、いつも慰めはあった。バートラム夫人はファニーの気持ちを代弁してくれたし、家庭教師のミス・リーも励ましてくれた。けれども誰よりも多く助けてくれて、誰よりも愛しいのは──彼女の擁護者であり親友でもあるエドマンドだった。──彼はファニーの味方になって、彼女の真意を説明してくれたし、「泣いてはいけないよ」と声をかけたり、あるいは愛情深い言葉をかけたりして、涙を嬉し涙に変えてくれることもあった。──時が経つにつれて、そういった記憶すべてが調和して混ざり合い、昔のつらい思い出も今では懐かしく感じられるのだった。
東の部屋はファニーにとってこよなく愛しい場所だった。家具はもとから質素で飾り気のないものだったが、子供たちから手荒な扱いをされたこともあって傷んでいた。だがそれでもファニーは、屋敷じゅうのどんな立派な家具とも取り替えたいとは思わなかった。この部屋でせいぜい優雅な調度品と言えるものは次のものくらいだった。まず、ジュリア作の色褪せた足置き台で、これは客間に置くには出来が悪すぎるということでここに置かれていた。それから窓の下のほうに飾られている3枚の透かし絵だが、これは透かし絵が大流行していたときに作られたものである1。真ん中にあるのはティンターン修道院の絵で、その左右にはイタリアの庭園洞窟と、月明かりに照らされたカンバーランドの湖の絵があった2。
続いてマントルピースの上にはバートラム家の肖像画のコレクションが飾られていたが、肖像画といってもただのシルエットなので、他の部屋には飾るに値しないと思われていた。
そしてその横には、海軍の戦艦を描いた小さなスケッチがピン留めされていた。この絵は四年前にウィリアムが地中海に駐屯していた頃に送られてきたものだ。船の下のほうには、メインマストと同じくらいの大きさで「H.M.S.(His Majesty’s Ship)英国軍艦アントワープ号」と書かれていた。
ファニーはこの快適な隠れ家の中を歩き回りながら、不安と動揺で乱れた心を落ち着けようとした──エドマンドの肖像画を眺めていれば、何か助言がもらえるのではないだろうか? あるいはゼラニウムの鉢植えに新鮮な空気を当ててみて、自分も深呼吸すれば気力が湧いてくるのではないだろうか? だがファニーには、トムたちの懇願を拒み通せるかという不安以上に、取り除かなければならない恐怖がほかにもあった。自分は一体どうするべきなのか、分からなくなってきたのだ。部屋の中を歩き回っていると、ますます自分の決意が疑わしく思えてきた。みんなからあんなにも熱心に懇願され、あんなにも必死に求められていることを拒否するのは、はたして正しいことなんだろうか? この計画には絶対に必要不可欠なことかもしれないのに? しかもこれは、自分が誰よりも恩を感じるべき人たちが情熱を傾けている計画でもあるのだ。これはただの自分の意地悪──わがまま──あるいは人前に出るのが怖いだけなんじゃないか? エドマンドは素人芝居には反対しているし、サー・トマスだって反対するはずだと彼も信じている。だけど、それだけが断る理由になるんだろうか? 他の事柄を一切無視して、こんなふうに断固として拒んでいいものだろうか?
お芝居をするということは、ファニーにとってすごく恐ろしいことだった。だから、自分のためらいが本当に純粋なものなのか分からなくなってきたのだ。辺りを見回すと、従兄姉たちからもらったたくさんの品々が目に入ってきて、みんなに恩返しするべきだという気持ちが強くなってきた。窓のそばのテーブルには裁縫箱や手芸用の箱がいくつかあり、どれも何かの折につけてプレゼントされたもので、大部分はトムがくれたものだ。こうした親切な思い出がよみがえるにつけ、その恩義の多さにファニーは困惑してきた。自分の果たすべき義務は何なのだろうと考え込んでいると、その瞬間ドアをノックする音が聞こえて、ファニーはハッとなった。「どうぞ」と優しい声で答えると、なんと目の前に現れたのは、いつも疑問があれば相談に乗ってくれた人、すなわちエドマンドであった。彼の姿を見てファニーの目は輝いた。
「ファニー、今ちょっと話したいことがあるんだけどいいかい?」とエドマンドは言った。
「ええ、もちろん」
「相談したいことがあるんだ。ぜひともきみの意見を聞かせてほしい」
「わたしの意見ですって!」こんな光栄な申し出をされて嬉しくはあったが、ファニーはたじろいで、声を上げた。
「ああ、きみのアドバイスと意見を聞きたいんだ。どうすればいいのか分からなくてね。見ての通り、素人芝居の計画はますますひどくなっていく一方だ。トムたちはこれ以上ないくらい最悪の芝居を選び、挙句の果てに、ほぼ見ず知らずの青年の助けを借りようとしている。仲間内だけで節度を守ってやるという最初の話は、全ておじゃんになってしまった。チャールズ・マドックスが悪い奴じゃないことは分かっている。でもこんなふうにぼくらの仲間に加わることで、必要以上に親密な関係になってしまうのはすごく不愉快だ。親密どころか──なれなれしさに繋がってしまう。そんなことぼくには耐えられない──だから、もしできるなら、そんな重大な害悪は防がなければならない。きみも同じ見方だろう?」
「ええ。でも何ができるかしら? あなたのお兄さまはあんなにやる気なのに?」
「ひとつだけできることがあるよ、ファニー。ぼくがアンハルト役を引き受けるしかない。それ以外にトムをなだめる方法はないと思う」
ファニーは返事をすることができなかった。
「ぼくだってちっとも気が進まないさ」エドマンドは続けた。「こんな矛盾した振る舞いをするのは、誰だって嫌だろう。元々あれだけ計画に反対していたのに、あらゆる点で最初の計画より酷くなった今の今になって参加すると言い出すなんて、本当にばかげてる。だけどこれ以外に解決策が思い浮かばないんだ。ファニー、きみは何か思いつくかい?」
「いいえ」ファニーはゆっくり答えた。「いますぐには──でも──」
「でも、何だい? どうやらぼくの意見とは違うみたいだね。だけどよく考えてみてほしいんだ。たぶんきみはまだどういうことか気付いてないのかもしれないね。こんなふうに若い男が受け入れられたら悪影響が及ぶかもしれないし、不快な思いをするのは確実なんだ。ぼくら家族と同然の扱いをされて──いつでも好きな時に来てもいいと許されたり──突然遠慮なくわが家に足を踏み入れてくるんだよ。芝居の稽古なんて、ただでさえ自由奔放な雰囲気になりがちなのに、考えてみただけでおそろしい。とんでもないことだよ! ミス・クロフォードの立場にもなってみてほしいんだ、ファニー。よく知らない男相手にアミーリアを演じることがどんなことか、考えてみておくれ。気の毒に思われて当然だよ、彼女だって明らかに嫌がっている。昨夜ミス・クロフォードがきみに話しかけてるのを耳にしたけど、それだけでも知らない人間と芝居するのを嫌がってるのが分かったよ。たぶん彼女はもう少し違ったことを予想してたんだろう──アミーリア役のことはよく知らず、深く考えずに引き受けてしまったんだろう。それなのに彼女をこんな目に遭わせてしまうのはひどいことだし、本当に間違ってる。彼女の気持ちも尊重してあげないと。そう思わないかい、ファニー? なんだかためらっているね」
「ミス・クロフォードのことはお気の毒に思いますわ。でも、あなたがこの計画に引きずり込まれてしまうのを見るほうが、もっと残念ですわ。断固として反対すると決めていたはずなのに。サー・トマスも反対するはずだというあなたの考えは、みんなにも知れ渡っているのに。それこそみんなにとっては大勝利になってしまうわ!」
「必ずしも大勝利とは言えないだろうさ、ぼくの演技がひどいのを見たらね。まぁたしかに、ある程度はあっちの勝利ということになるだろうが、そんなことではひるまないさ。だけどもし、ぼくが参加することでこの件が表沙汰にならず、醜態をさらすのを防げるのだとしたら、十分報われたことにはなるだろう。今のぼくでは何の影響力もないし、どうすることもできない。みんなを怒らせてしまったから、誰もぼくの言うことに聞く耳を持ってくれやしない。でもとりあえずぼくが譲歩してみんなを上機嫌にさせれば、何とか説得できる望みがあるかもしれないんだ。いま突き進んでいるような大がかりな計画じゃなく、もっと限られた内輪だけの上演にできるかもしれない。そうなれば大収穫だ。ぼくの目的は、ラッシュワース夫人とグラント博士夫妻以外には、この計画を知られないようにすることだよ。やってみる価値はあるだろう?」
「ええ、それこそ重要な点だと思いますわ」
「だけど、まだ賛成できないんだね。何か他の手立てがあるかい? これと同じくらい成果のありそうな方法が何かある?」
「いいえ、何も思いつきませんわ」
「それじゃ、どうか賛成しておくれ。きみに賛成してもらえないと、落ち着かないんだ」
「まあ! エドマンド!」
「もしきみに反対されたら、自分の判断に自信が持てないんだ。──でも──このままトムの好き放題にさせておくことなんてできないよ。馬に乗って近隣中を駆けまわり、紳士風の見かけさえしていれば誰でもいいからと言って、芝居に出てくれそうな男を尋ねて回るなんて、絶対に耐えられない。きみならもっと、ミス・クロフォードの気持ちを察してあげてると思っていたんだけれど」
「もちろん、ミス・クロフォードは喜ぶだろうと思いますわ。あなたが参加すれば、彼女はかなりほっとするでしょうね」ファニーはできるだけ思いやりを込めて言った。
「昨夜のきみにたいする彼女の振る舞いは、今まで見たことないくらい感じが良かったよ。だからぼくは、彼女のために何とかしてあげたいと強く思ったんだ」
「ミス・クロフォードは本当にすごく親切でしたわ、彼女が嫌な思いをせずに済めば、わたしも嬉しいわ……」
ファニーは最後まで言うことができなかった。この寛大な言葉は偽りだと分かっていたから、途中で良心がとがめたのだ。だがそれでもエドマンドは満足したようだった。
「朝食が終わったら、すぐに牧師館まで行ってくるよ」と彼は言った。「このことを伝えたらきっと喜ばれるだろうな。それじゃファニー、これ以上きみの邪魔をしてはいけないね。読書するつもりなんだろう?でもきみと話して決意を固めるまでは、気が休まらなかったんだ。一晩中寝ても覚めてもずっとこのことで頭がいっぱいだった。良くないことだが─だけどぼくが参加すれば、本来の計画ほどひどくはならないだろう。トムが起きてきたら、すぐにこの件に関して話をつけてくるよ。朝食室で顔を合わせたときにはみんな大喜びするだろうな。ついに満場一致で、いっしょにばかげたお芝居ができるというわけだ。きみはその間、どうやら中国への旅に出るようだね。マカートニー卿3はどうしてる?─(机の上にある本を開き、他の本も手に取りながら)こっちには『クラッブ説話集4』や『アイドラー5』もある。重厚な本に疲れたときの気晴らしになるね。きみのこの小さなお城はじつにすばらしいよ。ぼくが部屋を出たらすぐに、こんなばかげた素人芝居のことなど忘れてしまって、居心地良く座って読書を続けておくれ。でも体が冷えるから長く居すぎないようにね」
そうしてエドマンドは去っていった。だが、ファニーにとっては読書や中国への旅どころではなく、心がかき乱されるような思いだった。エドマンドの話は、ファニーにとってまったく寝耳に水で、嬉しくもない知らせだった。それ以外のことは考えられなくなった。お芝居に出るなんて! エドマンドはあれほど反対していたのに──反対して当然だし、みんなの前でも猛反対していたのに! いままでの彼の言葉や表情を見聞きしてきたし、彼がどう感じていたかも知っている。それなのに、こんなことがありえるんだろうか? エドマンドの言動は矛盾している。彼は自分で自分をだましているんじゃないかしら? 彼は間違っているんじゃないかしら? ああ! それもこれも、すべてミス・クロフォードのせいなのだ。エドマンドのどの言葉にも彼女の影響があるのを見て、ファニーはつらくなった。自分の行動についての不安や恐怖というさっきまでの悩み事は、エドマンドの話を聞いている間すっかり忘れていたが、いまや大して重要なことではなくなった。もっと大きな苦悩がそれらを飲み込んでしまった。なるようになればいいんだ。どういう結末になろうがどうでもいい。トムやマライアたちは責め立ててくるだろうけれども、もう悩まされることはない。自分はもはや彼らの手の届かないところにいるのだ。ついには要求に屈することになったとしても──どうなろうとも構わない。今だって、もう十分みじめなのだから。
注
- 透かし絵とはステンドグラスのようなもので、紙の上に特別な顔料とインクを用いて描き、テレピン油とニスで仕上げをする。実際、1802年頃に『透かし絵の作り方(Instructions for Painting Transparencies)』という冊子が出ている。参考文献:Mansfield Parkの細部描写
- 3つはどれもいわゆる「ピクチャレスク」な風景。透かし絵では、青白い月光に映えるようなゴシックの廃墟などの図柄が特に劇的な効果をあげた。
- 外交官のマカートニー卿(初代マカートニー伯爵)は、1790年代に初めて中国へ派遣された英国全権大使。清の乾隆帝に謁見したことで有名。彼の死後、秘書のサー・ジョン・バロウによって『中国訪問使節記(Journal of the Embassy to China)』が1807年に出版されており、清朝訪問時のマカートニー卿の日誌が含まれている。
- ジョージ・クラッブ(1754-1832)は、ジェイン・オースティンの愛好していた詩人の一人。オースティンは生涯独身だったが、「クラッブ夫人にならなってもいい」という彼女の言葉が残されている。
- サミュエル・ジョンソン博士の随筆集。1758-60年にかけて『ユニバーサル・クロニクル(Universal Chronicle)』と『ウィークリー・ガゼット(Weekly Gazette)』に寄稿されたエッセイをまとめたもの。