ジェイン・オースティン論文リスト

ジェイン・オースティン 論文 ジェーン・オースティン ジェイン・オースティン関連

 

CiNii(論文、図書・雑誌や博士論文などの学術情報で検索できるデータベース)にて無料公開されているジェイン・オースティン関係の論文で、興味深いと思ったものをまとめました。
「ジェインオースティン」で検索し、「機関レポジトリ」「J-STAGE」というタグが付いているものはすべてネット上のPDFで閲覧することができます。

 

当時の階級制度について

ジェイン・オースティンにおけるジェントルマン I (1983)

古めの論文ですが、ジェントリ階級について年収別の表などを駆使して分かりやすく解説してくださってます。「ジェントルマン」とはどういう人たちかを理解する助けになります。読み物としても面白いです。
基礎知識にも載せた当時の階層別年収表とほぼ同じものが載っています。

『ここで”well bred”ということはジェントルマンの指標として考えられていることを見落としてはならない。』

『「礼儀正しい」ガーディナー氏はたとえ氏・身分(“who”)はジェントルマンでなくても、育ち・人柄(“what”)においては立派にジェントルマンなのである。

作品別

 

★高慢と偏見

ベネット夫妻の言い分 : ジェイン・オースティンの 『高慢と偏見』 に見られる結婚の理想と現実(2009)

理想の結婚の条件は、「経済力」「敬意を払い合える対等な関係」「情熱」の3つだという。

★マンスフィールド・パーク

ジェイン・オースティンとフェミニズム -『マンスフィールド・パーク』を中心に-(2006)

主にフェミニズム、家父長制の観点からマンスフィールド・パークを分析。

『サー・トーマスはバートラム家の家長としてMansfield Parkを支配下においている。そこに養子として迎えられる貧乏な海軍士官の長女のヒロイン・ファニーが直面する様々な体験は階級社会・家父長制社会における女性一般の体験に通底すると思われる。』

『彼女は、女性であるために隷属的、受け身的で「自我の潜在性を窒息させる」(stifle the potential for selfhood)状況の中でファニーがどう生きるか、が作品の主題であると考えている。』

ファニー・プライスの実像 : 『マンスフィールド・パーク』に関する物語論的考察(2010)

『ジェイン・オースティンは友好的で気の許せるようなタイプの作家ではなく、読みの浅い読者を容赦なく切り捨ててしまうような意地の悪さがある。ファニー・プライスを額面通り存在感の希薄な人物と受け取るか、あるいはその輝きを掘り起こしてみせるかは読者の力量に委ねられている。
油断ならないしたたかな作者は、あたかもどこまで作品が読めるか、読者のレベルを試しているように思える。』

◎マンスフィールド・パークと奴隷制の関連について

「奴隷貿易─ファニーとジェインの口の端に上るとき─」
奴隷貿易と海上保険― ゾング号事件とその保険金裁判―
「Mansfield Parkの細部描写」
「英国奴隷貿易廃止の物語(その2)」
Money, Morals, and Mansfield Park: The West Indies Revisited(2008)
Ambiguous Cousinship: Mansfield Park and the Mansfield Family(2010)
The Rushworths of Wimpole Street(2011)

◎マンスフィールド・パークとシェイクスピア『リア王』との関連について

“Intimate by instinct”: Mansfield Park and the comedy of King Lear(2002)
Rewriting Lear’s Untender Daughter: Fanny Price as a Regency Cordelia in Jane Austen’s Mansfield Park(2007)
『Mansfield Parkの主題と構成』(1977)

◎その他
虚構と構造──ヴラジミール・ナボコフの『マンスフィールド・パーク』論(2012)

 

★エマ

Emmaと流行(1988)

流行を追う人(ハリエットやエルトン夫人など)と流行を追わない人(エマやナイトリー氏など)を対比する観点からEmmaの登場人物たちを分析。

 

誤解の構造 : 『エマ』に関する物語論的考察(2004)

『エマをあくまでも客観的対象として見るかぎり、この作品は純粋に喜劇として楽しい。しかし、ひとたびエマを自分に重ね合わせてみたとき、 人がいかに盲点に陥り歪んだ先入観にとらわれ誤解を重ねてゆくかというメカニズムが、かくも完壁な技巧によって示されている様を前にして、私たちはなにか自らの認識力の限界を突きつけられたかのような閉塞感を覚える。それが、 『エマ』という作品に対して、私たちが漠然と抱くためらいの正体ではないだろうか。』

★ノーサンガー・アビー

『ノーサンガー・アビー』におけるオースティンの諷刺の諸相

 

日本におけるジェイン・オースティン

 

ジェイン・オースティンの受容–明治期から昭和初期にかけて(2009)

明治期にいち早くオースティンを紹介したラフカディオ・ハーンや夏目漱石、日本で初めて高慢と偏見を翻訳した野上豊一郎(夏目漱石の門弟でもある)やその妻彌生子のエピソードなどが豊富にまとめられている。
(ただし彌生子が『オースティンは高慢と偏見を20代前半にして書いた』と何度も述べているが、それは正確には高慢と偏見の元となった『第一印象(First impressions)』のこと。書簡体形式であったその作品を現在の形に書き直したのは、オースティンが30代の頃である)

 

日本におけるジェイン・オースティン書誌─翻訳・翻案書目1─

日本でのジェイン・オースティン作品の翻訳の歴史について。
かなり詳細な情報がまとめられていて、こちらも愉快なエピソード多数。
特に、野上豊一郎にまつわる話は興味深い。(44章以降の原稿を紛失され(!)、下巻は平田禿木が翻訳を担当したものの、妻の野上弥生子はその訳文が「とてもまづいのにおどろいた」と手厳しい評価をしていることなど。ちなみに私は上下巻とも所有していますが訳文の質は大して変わらない気がします(^^;))
※上巻のみ国立国会図書館デジタルコレクションで読めます→高慢と偏見(1926)

 

ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』と漱石の『明暗』のアイロニー(2004)

『福原麟太郎氏は「漱石が表現をオースティンから学ぼうとしていたことは間違いない」と述べ、M.Miyoshi氏はオースティンの技法が『明暗』にみえる事を指摘している。オースティンの小説の主題はアイロニーであり、『高慢と偏見』では登場人物の会話の中に、アイロニーが劇的に巧みに仕掛けられる。』

 

Jane Austen文学における「則天去私」の視点–Pride and Prejudiceについて(2003)

漱石は晩年「則天去私」の作品の例として、オースティンの『高慢と偏見』をあげています。

 

その他

 

19世紀イギリスの売官制:陸軍士官の任官・昇進・退官(1992)

当時の陸軍士官の地位売買について、詳しい背景が知れる。
売官制には、どれだけ命がけで戦場に赴こうと、またどれだけ長年勤勉に務め上げようとも、位階購入の資力がなければ昇進できないという負の側面があった。
一方で、売官制にすることで中流階級をできるだけ排除し、ジェントリと貴族の均質なジェントルマン支配を保っていたというのは目からウロコだった。

 

ジェイン・オースティンの文体論的研究(2004)

自由間接話法(Free Indirect Speech, 語り手の語りが登場人物の思考に入り込む手法)について考察。
話法の交代により、その言葉を聞いている人物の感情の変化を表現したり、登場人物の間の物理的な距離を表わしているとの指摘は興味深かった。

 

ジェイン・オースティンの手紙(1996)

オースティンの手紙について概説。

 

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