マンスフィールド・パーク 第46章/スキャンダル

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 ファニーは、自分の断りの返事はきっとミス・クロフォードをがっかりさせるはずだと確信していたけれども、「ミス・クロフォードの性格からして、また熱心に説得してくるのだろう」と予想していた。しばらくは二通目の手紙も来なかったが、一週間も間が空いて、じっさいに手紙が届いた時も、ファニーは依然として同じ気持ちだった。

 その手紙を受け取ったとたん、ファニーはすぐに封筒が軽いことに気付き、どうやら急ぎの用件を伝えるための手紙のようだと思った。その目的に疑問の余地はない。クロフォード兄妹がその日のうちにポーツマスに到着すると告げる手紙だ──ファニーはその可能性を即座に思い浮かべ、「そんなことになったら自分は一体どうすればいいんだろう」とひどく動揺した。しかし、その瞬間は絶体絶命に思われたとしても、次の瞬間には霧が晴れて光明が差すこともあるものだ。手紙を開く前に、ファニーはまた別の可能性も思い浮かべた。すなわち、「クロフォードさんとミス・クロフォードが伯父さまにお願いして、帰宅の許可を取ってくれたのかもしれない」と。そう考えると心安らいだ気持ちになった。ミス・クロフォードからの手紙は次のとおりだった。

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 ファニーはあっけにとられて立ち尽くした。破廉恥でたちの悪い噂など何も聞いていないのだから、ファニーにはこの奇妙な手紙の大部分が意味不明だった。ただ、その噂がウィンポール通りやクロフォード氏に関係しているということだけは読み取れたのと、何かその方面でひどく無分別なことが起こって、世間の注目を引き、もしそれがファニーの耳に入れば嫉妬心を抱かせるかもしれない、とミス・クロフォードが危惧していることは推測できた。だがミス・クロフォードは警戒する必要はなかった。もし万が一この噂が広まったとしたら、ファニーはただ当事者たちやマンスフィールドの人たちのことを気の毒に思うだけだった。でもそんな事態にならないことを祈った。ミス・クロフォードの言葉からも推測できるように、もしラッシュワース夫妻がマンスフィールドに帰っただけだとしたら、何か不愉快な噂が先行したり、少なくとも何かしら印象を与えることなどありそうにない。

 クロフォード氏については、「これで彼も自分の性格を理解してくれればよいのに」とファニーは思った。そして、自分は一人の女性を一途に愛することなどできない人間なのだと悟り、恥を知ってこれ以上しつこく求婚してこないでほしいと願った。

 なんと奇妙なことだろう! ファニーは「クロフォード氏は本当に自分のことを愛しているのかもしれない」と思い始めていたし、彼の愛情は並大抵のものではないと感じるようになっていたのである──ミス・クロフォードもいまだに、「彼はあなたのことしか頭にありませんと言っていた。それでも確かに、特にマライアに対して何らかの思わせぶりな振る舞いがあったにちがいなく、何かきわめて軽率な行動があったはずなのだ。なぜならミス・クロフォードは、ちょっとやそっとの無思慮な言動を気にかけるようなタイプの人間ではないからだ。

 ファニーはずいぶんと落ち着かない思いをしたけれども、ミス・クロフォードから次の便りが来るまでは待たなければならない。ファニーは手紙のことを頭から追い払うこともできず、誰か他の人に話をして心を軽くすることもできなかった。ミス・クロフォードは、この件を内密にするようあれほど熱心に強調する必要はなかった。従姉のマライアに対するファニーの義理立てを、ミス・クロフォードはもっと信用してよかったのである。

 翌日になっても次の手紙は来なかったため、ファニーは落胆した。午前中はずっとそれ以外のことは考えられないままだった。しかし夕食後、父親がいつものように新聞を片手に帰ってくると、まさかそんな筋から何か続報が期待できるとはファニーは夢にも思っていなかったので、あの手紙の件はほんの少しの間だけ忘れられた。

 ファニーは他のことに深く思いを巡らせていた。初めてこの部屋に来た夕方のこと、父親や新聞のことがふと心に浮かんだ。ではもうロウソクは必要ではなかった。まだ一時間半くらいは日が沈みそうになかったからだ。ファニーは「本当に、もう三か月もここにいるんだわ」と感じた。強烈に居間にふりそそぐ日差しは、彼女を元気づけるのではなく、よりいっそう憂鬱な気分にさせた。ファニーにとって日光というものは、都会と田舎ではまったくの別物に思えた。ポーツマスでは、太陽光はただやたらとギラギラとしてまぶしく、息苦しくうんざりするような光で、そっとしておけば眠っていたであろう汚れやほこりを照らし出すだけなのだ。都会の日差しには、健康的で陽気なところは何もなかった。ファニーはうだるような暑さの熱気と、ふわふわ舞い上がる埃の中で座っていた。彼女の視線は、父親の頭のしみの跡が残っている壁から、弟たちのせいで傷だらけになったテーブルへとさまよった。そのテーブルの上にある紅茶用のお盆は一度も綺麗にされたことがなく、ティーカップとソーサーには布で拭いた跡がしま模様になって残り、青白い牛乳の上には埃やら何やら混ざったものが浮いていて、バターの塗られたパンは時間が経つにつれ、レベッカの手で最初に作られた時よりいっそうベタベタになっていた1。お茶が用意されているあいだ、父親は新聞を読んでおり、母親は例のごとくボロボロになったじゅうたんのことを嘆き、「レベッカが直してくれたらいいのに」と愚痴をこぼしていた。ファニーがハッと物思いから覚めたのは、父親から突然呼びかけられたからだった。父親は何やらある記事を見て、フンと軽蔑したような音を鳴らし、少し考え込んでから、こう彼女に話しかけた──

「ロンドンにいる、おまえの偉いいとこの名前は何と言った、ファン?」

 ファニーは一瞬何のことを言われているのか理解できなかったが、とっさに判断して答えた。「ラッシュワースさんです」

「ウィンポール通りに住んどるんだったな?」

「はい、そうです」

「それじゃ、その連中はとんでもないことをしでかしたもんだ。ほれ、(新聞を彼女のほうに差し出しながら)──ご立派な親戚というのはロクなもんじゃないな。サー・トマスはこういうことを一体どう考えなさるか知らんが。ひょっとすると、宮廷に出入りする紳士殿の世界にどっぷりつかっとるから、これしきのことじゃあ娘を見限ったりせんかもな2。だが、ちくしょう、もしこいつがわしの娘なら、こちらがぶっ倒れるまで思う存分むちの味を味わわせてやる。こんなことが起きんようにするには、男も女も、ちょっとばかし鞭で引っぱたいてやるのが一番なんだ3

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 ファニーはその新聞記事に目を通した。

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「これは何かの間違いです!」ファニーは反射的に言った。「間違いに決まってます──本当のはずがありませんわ──誰か他の人のことにちがいありません」

 ファニーは、このスキャンダルが表沙汰になるのを少しでも遅らせたいという本能的な願いから、絶望に駆られて、断固とした調子で声を上げた。でもファニー自身も自分の言葉を信じてもいなかったし、信じることもできなかった。読むにつれて「これは事実だ」という確信が深まるのがショックだった。真相が脳裏を駆け巡った。あとになって彼女は、「あの時わたしはどうやって言葉を発することができたのだろう。どうやって息をすることさえできたのだろう」と自分でも不思議に思ったくらいだった。

 プライス氏はその記事にあまり関心もなく、大した返事もしなかった。

「まあ、全部噓っぱちかもしれんな」と彼は認めた。「だが近頃は、そんなふうに身持ちを崩す貴婦人も大勢いるもんだ。誰もそうならんという保証はないわな」

「本当に、何かの間違いだといいんだけどねぇ」とプライス夫人は哀れっぽく言った。「それこそショッキングだわ!──それはそうと、レベッカにはもう十回以上あの絨毯を直すよう言ってるのに。そうでしょ、ベッツィー?──ほんの十分たらずでできる仕事なのよ」

 ファニーの感じている恐怖心は形容しがたいほどで、そのような罪を確信するにつれ、これから起こるはずの不幸をだんだんと認識し始めた。初めは茫然自失になってしまったが、時間の経過とともに、その悪事の恐ろしさがいっそう理解されてくるのだった。ファニーは疑念を持つことなどできなかったし、その記事がでたらめだという希望にふけることもできなかった。ミス・クロフォードの手紙は一行一行暗記してしまうほど何度も読み込んでいたから、その手紙とも恐ろしいほど辻褄が合うのだ。ミス・クロフォードが必死に兄を擁護していること、内密にしてほしいと願っていること、明らかに動揺していることのすべてが、何か非常に悪い出来事と関係があるのだ。もしこの世に、品性を備えた女性でありながら、このような重大な罪を軽く扱って、何とかごまかして取り繕おうとし、罰を受けずに逃れようとする人がいたならば、ミス・クロフォードこそがそんな女性だとファニーは信じられた! ようやくファニーは自分の間違いに気づいた。誰が逃げ出したのか──あるいは逃げ出したと言われていたのか、ファニーはいままで勘違いしていたのだ。それはラッシュワース夫妻ではなくて、ラッシュワース夫人とクロフォード氏だったのだ4

 ファニーがこんなにショックを受けたのは、生まれて初めてだった。心が安らぎそうな見込みもなかった。その晩はとめどなくみじめな気持ちに襲われながら過ごし、夜中は一睡もできなかった。不快感を覚えたかと思えば恐怖に震え上がったり、体がカッと熱くなったかと思うと、ぞっと悪寒を感じたりした。この出来事はあまりに衝撃的すぎて、そんなことはありえない、そんなはずがないと反発してしまう時さえあった。マライアのほうはわずか半年前に結婚したばかりで、クロフォード氏のほうは別の人──マライアの従妹(つまりファニー)──にプロポーズまでしていたし、家族ぐるみで二つの家はいくつもの絆で結ばれ、誰もが友人で、親しく交際していたのに!──まったくの野蛮状態にある人間でないかぎり、こんな身の毛もよだつような罪や、おぞましい悪行の数々を行えるはずがない!──だがそれは真実なのだと彼女の理性が告げていた。クロフォード氏の愛情は移り気で、虚栄心の赴くままにふらふらしているし、マライアのほうはかたくななまでに愛情を抱き、そしてどちらの側にもきちんとした道徳心が欠けているのだから、十分ありえることだった──ミス・クロフォードの手紙が、それは事実だと裏付けていた。

 一体これからどうなるのだろう? この件で誰もが打撃を受けるだろうし、今後の見通しに悪影響が及ぶだろう。あらゆる人の平和が永遠に破壊されてしまうだろう。ミス・クロフォード自身もそうだし──エドマンドもそうだ。でも、その件にまで足を踏み入れるのは危険だ。ファニーは、単純で疑う余地のない、一家の不幸だけ考えるように努めた。もし本当にその罪が確実になって世間に晒されるような事件になれば、家族全員が巻き込まれるにちがいない。バートラム夫人の苦しみ、サー・トマスの苦しみ──ここでファニーはためらった。ジュリアの、トムの、エドマンドの苦しみ──ここで彼女はさらに長くためらった。サー・トマスとエドマンドは最も恐ろしい打撃を受けるだろう。サー・トマスの親としての心痛や、名誉と礼節を重んじる心、そしてエドマンドの高潔な道徳観、人を疑わない性格、純粋な感受性の強さからすれば、こんなはずかしめを受けながら命や理性を保てるとは思えなかった。現世に関することだけいえば、ラッシュワース夫人の身内の者全員にとって最大の天の恵みは、ただちに彼女がこの世から消えてくれることだろうと思えた5

 翌日も、またその翌日も、ファニーの恐怖をやわらげてくれるような出来事は何も起こらなかった。郵便配達は二度来たが、公的にも私的にも、噂を否定してくれるような知らせは何も届かなかった。ミス・クロフォードからも最初の手紙の釈明をするような二通目の手紙はなく、もうそろそろ伯母のバートラム夫人から便りがあってもよさそうな時期だったのに、マンスフィールドからも一向に知らせはなかった。これは不吉な前兆だった。心が慰められそうなわずかな望みもほとんど絶え、ファニーは次第にふさぎ込んで弱りきり、ぶるぶると体を震わせていた。薄情でない母親ならば誰でも(プライス夫人を除いて)、きっと娘のそんなようすを見逃さなかっただろう。しかし三日目にぞっとするようなノックの音が聞こえ、手紙がふたたびファニーのもとに舞い込んだ。それはロンドンの消印が押されており、エドマンドからの手紙だった。

「ファニーへ

 ぼくたちの今の不幸はご存じかと思います。きみもつらい思いをしているだろうが、どうか神のご加護がありますように。父とぼくはこの二日間ロンドンにいるけれども、手の打ちようがない。あの二人の行方が辿れないんだ。最後の打撃については、きみもまだ聞いていないだろうね──ジュリアの駆け落ちだ。ジュリアがイェーツと一緒にスコットランドへ逃げ出したんだ。ぼくらが到着する二、三時間前に彼女はロンドンを離れたらしい。もしこれが他の時ならばとんでもなく恐ろしいことに感じられただろうが、今では何でもないことのように思える。それでも、状況をますます悪化させていることには変わりないけれども。父は打ちひしがれてはいないし、まだ考えたり行動したりする力はある。それ以上のことは望めないだろう。ぼくが手紙を書いてるのは、父の要望で、きみに屋敷へ戻ってくれないかとお願いするためなんだ。父はお母さまのためを思い、きみにどうしても帰って来てほしいと願っています。この手紙が受け取られた後の翌朝にぼくはポーツマスへ着く予定だから、きみもマンスフィールドへ向かう準備をしていてほしい。父は、スーザンも二、三か月間ほどきみと一緒にこちらで過ごすよう招待してはどうかと言っています。きみの好きなように取り決めていい。適当なように説明しておいてくれ。こんな大変な時に父が示してくれる親切さを、きみもきっと感じ取ってくれていると思う。ぼくの書いてることは支離滅裂かもしれないけど、どうか父の意図を正当に理解してほしい。ぼくが今どんな状態かは想像できるだろう。ぼくたちに降りかかる災難には終わりがない。明日の朝早くに郵便馬車で伺います。さようなら」

 ファニーは、今この時ほど気付け薬を必要としていたことはなかったが、この手紙こそが最高の気付け薬だと感じた。明日! 明日ポーツマスを出発できるんだ! こんなにも多くの人が不幸だというのに、ファニーは危うく幸せの絶頂だと感じてしまうところだった。あの災難が自分にこんな幸せをもたらしてくれるなんて! ファニーは、この不幸に無感覚になってしまうのではないかと恐れた。こんなにも早く出発できて、親切に呼び寄せてくれて、しかも慰め役として迎えられ、スーザンも連れて行ってよいと許可までもらえるなんて! いくつもの幸せが重なり合ったようでファニーは胸が熱くなった。しばらくの間はあらゆる苦しみが遠ざかってゆくように思われたし、彼女にとって最も大切な人たちの苦悩さえきちんと分かち合うこともできなかった。ジュリアの駆け落ちにはそれほど心を動かされなかった。確かに驚いたしショックは受けたけれども、その件がずっと頭の中を占めることはなく、熟考することもできなかった。ファニーは何とか自制心を働かせて思いを寄せるよう努め、「これは恐ろしいことで、悲しむべきことなんだ」と自分に言い聞かせなければならなかった。さもないと、この呼び出しに伴う胸躍るような嬉しい心配で頭がいっぱいになって、すぐにその件が抜け落ちてしまいそうだったからだ。

 悲しみを癒すには仕事をするのがよい。活動的で必要不可欠な仕事に励むのが一番だ。たとえ憂鬱な仕事であろうとも悲しみを追い払ってくれるかもしれないし、ファニーの仕事には希望が満ちていた。ファニーにはやることがどっさりあったから、マライアの恐るべき話にさえ(今では限りなく真実であることが確かになった)、初めの時ほど動揺することはなかった。悲しみにひたっている暇はないのだ。二十四時間以内には出発できると期待できた。父と母に話をつけて、スーザンにも心の準備をさせ、何もかも準備を整えねばならない。次から次へと用事が続き、一日では足りないほどだった。ファニーが伝える話も幸せなもので──前置きとしてあの忌まわしい事件のことを手短に打ち明けねばならなかったが、それでも幸福感はほとんど損なわれず──両親からスーザンも同行してよいという嬉しい許可ももらえて──家族全員、二人が出て行くのを歓迎しているようだった。──スーザン自身、嬉しくて天にも昇るような心地だった。これらのおかげでファニーは気力を保つことができた。

 バートラム家の苦難は、プライス家にとってほとんどどうでもいいことだった。プライス夫人は気の毒な姉について二、三分ほど話したが──でも、「スーザンの服を何に詰めようかしら。レベッカが箱を全部持っていってだめにしてしまったし」という考えのほうがはるかに多く頭を占めていた。スーザンについては、思いがけず一番憧れていた夢が叶ったのと、彼女自身は罪を犯した人たちや悲しみの淵にいる人たちと顔見知りではなかったので、もしスーザンが初めから終わりまでずっと喜びを抑えられたとしたら、十四歳の少女に期待すべき道徳心としてはそれで十分だろう。

 プライス夫人の決断力やレベッカの働きぶりに任せる仕事は何一つなかったので、万事きちんと整然に運び、ファニーとスーザンは翌朝の支度ができた。明日の旅行に備えて二人がたっぷり睡眠を取っておくことなど無理な話だった。興奮で胸躍らせている二人の心には、こちらに向けて旅しているエドマンドの姿がついつい浮かんできてしまい、馬車で旅をしている彼におとらず熟睡できないのだった。ファニーたちは幸福感でいっぱいな一方、エドマンドのほうはさまざまな思いが去来して、筆舌に尽くしがたいほどの動揺を覚えていた。

 翌朝八時になって、エドマンドが家に到着した。二人の娘たちは上の階にいたが、彼が入ってくる物音が聞こえてきたので、ファニーが下に降りた。いよいよエドマンドに対面すると思うと、彼がどんな苦しみを味わっているか理解していることもあって、最初にこのニュースを知った時の感情が一気によみがえってきた。彼はすぐ目の前にいて、みじめな思いをしているのだ。ファニーは居間に入っていくともう気が遠くなりそうだった。一人で部屋にいたエドマンドは、すぐさまファニーを迎えた。次の瞬間、ファニーはひしと彼の胸に抱きしめられ、彼がはっきりこうつぶやくのを聞いた。

「ああ、ファニー──ぼくの妹はきみだけだ──今はきみだけがぼくの慰めだ」

 ファニーは何も言えなかった。数分間は彼も無言だった。

 エドマンドは落ち着きを取り戻そうと顔を背け、ふたたび話し始めると、まだその声はつっかえつっかえではあったけれども、その態度には何とか自制心を働かせたいという願いと、それ以上のほのめかしは避けようという決意が表れていた。「もう朝食は食べたかい?──いつごろ出かけられそう?──スーザンも行くのかい?」こうした質問が矢継ぎ早に続いた。彼の最大の目的は、できるだけ早くここを出発することだった。マンスフィールドのことを思えば、時間を無駄にできないのだ。彼の精神状態は、動いているときにだけ慰めを見出せるのだった。三十分後に玄関前に馬車が迎えに来るよう命じておくということで話がまとまった。ファニーは「三十分で朝食をとって、すっかり出かける用意ができます」と請け合った。エドマンドはすでに朝食を済ませてあるので、食事の間ここに留まることは辞退した。「城壁のまわりを散歩してから、馬車と一緒に合流するよ」と言った。彼はまた出て行き、ファニーからさえも離れられてほっとしているようだった。

 エドマンドはひどく顔色が悪そうで、明らかに激しく感情がかき乱されていたが、何とか抑えようと決意していた。彼が苦しむのは避けられないとファニーは分かっていたが、そんなようすを見るのは恐ろしかった。

 馬車が到着し、同時にエドマンドもふたたび家に入ってきて、ちょうど家族たちと二、三分間ほど居合わせた。エドマンドは、プライス家の人たちの、娘たちを見送るにしては静かな別れのようすを見届け──実際のところ何も目には入っていなかったが──ファニーたちが朝食の席につくのもそこそこに切り上げて出発した。レベッカはいつにないほどの機敏さで動いていたが、それでも朝食の用意がすっかり整ったのは、馬車が玄関からとっくに走り去った後だった。父親宅でのファニーの最後の食事は、初めに食事をした時と代わり映えしなかった。ファニーは家を辞する際も、迎えられた時と同じくらい「温かく」送り出されたのだった。

 ポーツマスの境を通り抜けると、ファニーの胸がどれだけ喜びと感謝でいっぱいになったか、またスーザンもどれだけ満面の笑みを浮かべていたかも、容易に想像できるだろう。けれどもスーザンは前方席に座っていて、帽子ボンネットで顔が隠れていたため、彼女の笑顔は他の人に見られることはなかった6

bonnet regency

当時のボンネット。

 その旅は静かなものになりそうだった。エドマンドの深いため息が何度もファニーの耳にも届いた。もしファニーと二人きりだったならば、彼はあらゆる決意に反して今の心境を打ち明けていただろう。でもスーザンが同乗しているので、彼はすっかり自分の殻に閉じこもり、当たり障りのない話題を振ろうとしていたが、長くは続かなかった。

 ファニーは絶えず心配そうにエドマンドを見守っていた。時折彼と目が合って、その顔に優しい微笑みがよみがえる7のを見ると、ほっと安心することができた。しかし一日目の旅は、彼を苦しめている話題については一言も聞くことなく過ぎていった。翌朝はもう少し進展があった。オックスフォードから出発する直前、スーザンが窓のところで宿屋から旅立つ大家族のようすを熱心に眺めている間、他の二人は暖炉のそばに佇んでいた。エドマンドは、ファニーの外見が様変わりしてしまったことに特にショックを受けたようだった。彼はプライス家での受難の日々について何も知らないので、こうして不当なまでにファニーが変わり果ててしまったのは、直近のあの事件のせいだと思い込んでいた。エドマンドは彼女の手を取ると、低いがたっぷり感情を込めた声で言った。

「無理もない──つらいだろう──苦しんでいるだろうね。かつてあれほど愛を誓っていた男が、きみを見捨てるなんて! でもきみの場合は──きみの愛情はぼくに比べればまだ新しいもので──ファニー、ぼくの気持ちも考えてみてくれ!」

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 ポーツマスからオックスフォードまでの一日目は長時間の旅だったため、三人は疲れてくたくたになったけれども、オックスフォードからの二日目の旅はずっと早い時刻に終わった8。一行はいつものディナーの時間よりだいぶ前にマンスフィールド近郊に入り、愛する土地が近づくにつれて、二人の姉妹の心はやや沈んだ。ファニーは、こんな恐ろしいスキャンダルが起こっている時に、伯母たちやトムと顔を合わせるのがだんだん怖くなってきていた。スーザンのほうは、自分なりの最高の礼儀作法や、最近覚えたばかりのマンスフィールド・パークでのしきたりに関する知識を、今まさにことごとく実行に移さなければならないことにいくらか不安を感じ始めていた。育ちの良さや育ちの悪さ、かつての下品な生活とこれからの上品な生活のありさまが、スーザンの目の前に浮かび、銀のフォークやナプキン、フィンガーボウルについてあれこれ思いを馳せていた。ファニーは、二月以来いたるところで田舎の風景が一変していることに気付いたが、パークの敷地内に入ると、その感慨と喜びもよりいっそう強まった。ここを離れてから三か月、まるまる三か月経ったのだ。季節も冬から夏に移ろっていた。ファニーの視線は青々とした緑豊かな芝生や農園に向けられた。樹木はまだ完全に葉に覆われてはいないが、目にも鮮やかな風景で、これからますます美しさが深まるであろうことが予想できたし、もうすでに多くのものが目に見えているけれども、それでも想像の余地がまだたくさん残されていた。だが、そうしたファニーの楽しみは自分一人だけのもので、エドマンドとは分かち合えるはずがなかった。ファニーは彼のほうを見やったけれども、彼は席にもたれかかって今まで以上に深くふさぎ込んでいた。エドマンドはじっと目を閉じていたが、その姿はまるで「愉快な景色を見ると気が滅入る、わが家の美しい光景など見たくない」と言っているかのようだった。

 そんなようすを見てファニーはまた憂鬱な気持ちになった。家の中ではどんなことが耐え忍ばれているか知っているだけに、現代的で風通しも良く見事な立地の建物ではあったけれども、その屋敷にさえ何となく悲壮な雰囲気が漂っていた。

 マンスフィールド・パークで苦しんでいる人々のうちで一人、自分でもいまだかつて感じたことがないほど、一行の到着を待ち遠しく思っている者がいた。ファニーが厳粛な面持ちの使用人たちの前を通り過ぎるやいなや9、彼女を出迎えにバートラム夫人が客間から出てきた。夫人はもはや普段のノロノロとした歩き方ではなく、ファニーの首に抱きつくなり、こう声を上げた。

「ああ、ファニー! これでようやく安心できるわ」

マンスフィールド・パーク ファニー

  1. 不潔でむさ苦しい実家を生々しく描き出したこの段落は、オースティンの全作品中でも類を見ないものであり、その描写の鮮やかさはポーツマスの場面中でも特に秀逸とされている。オースティンの小説は主にジェントリなど中上流階級の人々を題材にしたものがほとんどだが、この段落によればオースティンはこうした下層階級の生活実態についても十分把握していたということであり、このような描写が他では見られないのは、彼女の意識的かつ芸術的な選択であることを示している。(参考:Jane Austen, David M. Shapard, The Annotated Mansfield Park, Anchor, 2017. )
    「不潔さを容赦なく浮かび上がらせるという日光の悪しき側面を、即物的に描き出し、そのまぶしさに耐えきれない弱り切った神経の病理学的現象をリアリスティックに描くというやり方──これは、オースティンの小説のみならず、当時の文学作品のなかでも珍しいと言えるのではないだろうか。自然主義に通じる表現と言っても過言ではないような、技法的な新しい要素さえ、そこには見出される。ファニーによって焦点化されたこのような語りの部分からも、彼女の実家に対する嫌悪感にも似た違和感が、浮かび上がってくる。」廣野由美子「ファニー・プライスの実像 : 『マンスフィールド・パーク』に関する物語論的考察(2010)」より)
  2. 当時の貴族や上流階級の乱れた道徳観を皮肉っている。王室の頂点に位置する摂政皇太子ジョージ自身が、愛人を何人も抱えたり離婚騒動で世間を騒がせるなどのスキャンダルを幾度も起こしていた。
  3. 鞭打ちは海軍における主な処罰として広く行なわれていた。cat-of-nine-tailsと呼ばれる、縄の先が九つに分かれた持ち手の短い鞭が一般的に使われていた。身持ちを崩した娘を親が厳しく打ち据えるというのは、下層階級の間では古くから行なわれていた習慣だった(実際に行動に移されるというより、脅しとして口にされるだけだったかもしれないが)。(参考:Jane Austen, David M. Shapard, The Annotated Mansfield Park, Anchor, 2017. )
  4. つまりファニーは、不穏な雰囲気を察知したラッシュワース氏がマライアを連れて(すなわちマライアとクロフォード氏を引き離そうとして)、マンスフィールドに帰ったのだと思い込んでいたのであろう。単に夫婦が実家に帰るだけであれば、何のスキャンダルでもない。しかし実際に手を取り合って逃げ出したのは、マライアとクロフォード氏だったのである。
  5. つまり、俗世的な観点でいえば、マライアが死んでくれることが身内の者にとっては一番都合がよいが、来世的な観点からすれば、マライアが生きて罪を悔い改めることが神の許しに繋がるので、最終的には彼女のためになるということ(だがもちろん、バートラム家の人々はマライアに実際死んでほしいと願っているわけでは決してない)。当時の社会の価値観では、しばしば、不貞を犯した女性は死んで罪を償うのが好ましいとされていた。『エマ』においても、「麗しき女性が身を誤れば、死以外に道はない(when lovely woman stoops to folly, she has nothing to do but to die)」という『ウェイクフィールドの牧師』(オリヴァー・ゴールドスミス作,1766)の一節が引用されている。(参考:Jane Austen, David M. Shapard, The Annotated Mansfield Park, Anchor, 2017. )
  6. ボンネットは外出用の女性の帽子で、つばが広く顔に沿っているので、横を向くと顔がほとんど見えなくなった。
    マンスフィールドパーク
  7. 原文は”sometimes catching his eye, revived an affectionate smile,……”で、太字部分は1814年の初版では”received”となっていたが、1816年の第二版で”revived”に修正された。”received”だとエドマンドがみずから微笑み返したことになるが、”revived”だとファニーの気遣いに感化されて彼の微笑みがよみがえったことになる。オースティンは、苦悩しているエドマンドを元気づけようとするファニーの役割を強調したかったのかもしれない。(参考:Jane Austen, David M. Shapard, The Annotated Mansfield Park, Anchor, 2017. )
  8. ポーツマスからオックスフォードは百三十km近く離れており、馬車だと十時間はかかるので、一日がかりの旅となる。オックスフォードからノーサンプトンまでは約七十kmなので、五時間ほどで到着できる。マンスフィールドパーク 地図
  9. 大邸宅では、遠方から客人が訪れたり主人一家の者が帰ってくる時は、使用人たちが玄関前に居並んで出迎えた。
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