マンスフィールド・パーク 第19章/サー・トマスの帰国

マンスフィールド・パーク 翻訳 第19章 ◎マンスフィールド・パーク

 そのときの一同の驚愕を、どうやって表現することができようか?大部分の者にとっては、まさにぞっとするような恐怖の瞬間だった。サー・トマスが家にいる! これがなにかの冗談や勘違いである可能性は全くない、とみんなは即座に確信した。ジュリアの表情こそが、真実であることを物語っていたからだ。最初にショックを受けて叫び声を上げた後は、誰もがしばらく言葉を失っていた。お互い当惑した表情で顔を見合わせ、こう感じていた。なんてこのうえなく迷惑で、タイミングが悪く、おぞましいことだろう! ただ、イェーツ氏としては、その晩の楽しみに煩わしい邪魔が入っただけとしか考えていなかっただろうし、ラッシュワース氏にとっては天の恵みのように感じられたかもしれない。けれどもその他の者たちは、程度の差こそあれ、誰もが罪の意識や漠然とした恐怖に襲われた。「自分たちはどうなってしまうんだろう? 一体いまどうするべきなんだろう?」とそれぞれが心の中で自問していた。それは恐ろしい沈黙だった。ジュリアの証言を裏付けるように、ドアを開けて歩いてくる足音が聞こえてきて、みんなは恐怖に震え上がった。

 最初に動き出して言葉を発したのは、ジュリアだった。マライアへの嫉妬心と苦々しい気持ちは、いったん棚上げになっていた。この非常事態をどう切り抜けるかという共通の目的を前にしては、自分本位な考えをしている場合ではなかったからだ。だがジュリアが部屋に現れたまさにその時、ちょうどフレデリック[クロフォード氏]がアガサ[マライア]の話を心酔した表情で聞き入っていて、自分の胸に彼女の手をひしと押し当てている場面だった。しかも彼は、ジュリアの言葉にショックを受けたのにも関わらず、それでもなおマライアの手をずっと握り続けていたのだ。ジュリアはこれに気付いた途端、また侮辱されたという気持ちになり、怒りで胸を膨らませた。彼女は、さっきは顔面蒼白だった顔を今度は真っ赤にさせて、きびすを返して部屋を出ながら言った。「あたしには、お父さまを恐れる必要なんかありませんからね」

 ジュリアが去ると、みんなはハッと我に返った。トムとエドマンドは「なんとかしなければ」と感じ、同時に前に進み出た。二人の間では、ほんの一言二言、言葉を交わすだけで十分だった。いまは意見の違いをとやかく言っている場合ではない。いますぐ客間に向かわなければならないのだ。マライアも同じく二人について行ったが、彼女は三人のなかで一番堂々としていた。なぜなら、ジュリアを追い払ったまさにその状況こそが、マライアにとって最も甘美な心の支えだったからだ。ヘンリー・クロフォードは、こんな試練と重大事態の瞬間にも、ずっと手を握ってくれていた。いままで彼の愛情に対して疑念や不安を抱いてきたけれども、それがようやく報われたのだ。マライアはこれを、自分と結婚してくれるという最も真剣な決意が表れた証拠だとして歓喜していた。そのため、父親の前に出ることさえ恐れてはいなかった。後ろからラッシュワース氏が「ぼくも行きましょうか? ──ぼくも行ったほうがいいのかな? ──ぼくも行くべきなんじゃないかな?」と何度も問いかけていたが、三人は一切構わず歩き去っていった。だが、彼らがドアを通り抜け出て行くやいなや、ヘンリー・クロフォードが代わりにその質問に答えてやり、「ぜひいますぐサー・トマスに敬意を表して、ご挨拶してきたほうがいいですよ」と言った。これを聞いたラッシュワース氏は、大喜びであわてて三人の後を追った。

 ファニーは、クロフォード兄妹やイェーツ氏とともに取り残されてしまった。彼女は従兄姉たちから完全に忘れられていた。ファニー自身としても、サー・トマスの愛情を求める資格はないと謙遜していたので、従兄姉たちと同じ扱いを受けられるなどとは夢にも思ってもいなかったのだ。そのためファニーは、後に残って一息つく暇ができて、ありがたいと思った。ファニーの動揺と恐怖は、他の誰よりも激しいものだった。たとえ自分に罪はなくても、苦しまずにはいられない性分だったからだ。彼女はほとんど気絶寸前だったし、伯父に対して常日頃から抱いてきたかつての恐怖心が、ことごとくよみがえってきた。サー・トマスの前で素人芝居の計画が明らかにされると思うと、サー・トマスだけでなく他のみんなに対しても同情が湧いてくるし、特にエドマンドのことを思うと言葉では言い表せないほどつらくなった。ファニーは椅子に腰を下ろし、あれこれと恐ろしい考えにふけって、ぶるぶると体を震わせていた。

 一方で、ヘンリー・クロフォード、ミス・クロフォード、イェーツ氏の三人は、もはや誰にも気兼ねする必要がないので、苛立たしい気持ちを心置きなくぶちまけていた。「こんなにも早く突然帰国するなんて本当に迷惑だ」と嘆いたり、「サー・トマスの航海が倍の日数かかればよかったのに」「まだアンティグア島にいてくれればよかったのになぁ」などと容赦なく愚痴ったりしていた。

 クロフォード兄妹は、この件に関してはイェーツ氏よりも熱心に語った。二人はバートラム家の人たちのことをより深く理解していて、これから起こるはずの災難についても、イェーツ氏よりはっきりと判断できたからだ。二人からすれば、上演が台無しになってしまったことは確実なので、近々この計画自体が中止に追い込まれることは避けられないと感じていた。だが一方でイェーツ氏は、これはただの一時的な中断であり、今夜限りの災難に過ぎないと考えていた。サー・トマスをお出迎えする一騒ぎが終わって、ゆっくり芝居を楽しむ余裕ができれば、お茶の後にまたリハーサルを再開できるかもしれないとさえ言い出した。クロフォード兄妹はこの考えを笑い飛ばした。そしてまもなくクロフォード兄妹は、そっとここを抜け出して牧師館まで歩いて帰り、バートラム家の人たちだけにしてあげるのがよいだろうということで意見が一致した。それから「イェーツさんも一緒にどうですか、よかったら牧師館で夜を過ごしませんか?」と誘った。しかしイェーツ氏は、親の権利とか家族団らんに重きを置くような人たちと接したことがなかったので、なぜそんな配慮が必要なのか全然理解できなかった。そのため彼はお礼を言いつつ、こう答えた。

「ぼくはここに残ることにします。サー・トマスがいらしたからには、この老紳士にきちんと敬意を表したいと思います。それに、みんな逃げ出したと思われては、他の人たちにも申し訳ないですからね」

 この点について話がまとまった頃には、ファニーはちょうど気を持ち直しかけていて、これ以上長くこの部屋に引っ込んでいるのは失礼だと思われるかもしれないと感じ始めていた。クロフォード兄妹から「みなさんによろしくお詫びを伝えておいて下さい」と頼まれ、二人が帰り支度をしているのを見つつ、ファニーは部屋を出た。これから伯父の前に姿を現すという恐ろしい義務を果たすためだ。

 ファニーはあまりにも早く客間のドアの前に着いてしまった。ほんの一瞬、勇気が湧いてくるのを待ってみたけれども、自分でもそんなことは無理だと分かっていたし、いままでドアの前で勇気が湧いてきたことなど一度もないのだった。ファニーは、どうにでもなれという気持ちでドアノブを回した。すると彼女の前には、客間を照らす数々のロウソクと、家族全員が勢揃いしている光景がパッと広がった。部屋に入ると、自分の名前が耳に入ってきた。サー・トマスはちょうどその瞬間、辺りを見回しながら、「そういえば、ファニーはどこにいる? なぜわたしの可愛いファニーの姿が見えないんだ?」と言っていたのだ。そして彼はファニーに気付くと、優しい表情を浮かべて近づいて来たので、彼女はびっくりしつつも感動してしまった。サー・トマスは「いとしいファニー」と呼んで愛情深くキスをしたり、「ずいぶん背が高くなったね!」と嬉しそうに言ったりした。ファニーはどう感じればよいのか、どこを見ればよいのかも分からなかった。彼女はすっかり困惑していた。サー・トマスが自分に対してこんなにも優しくしてくれたことなど、今まで一度もなかったのだ。彼の態度は一変してしまったように見えた。喜びと興奮で彼の声は生き生きとしていたし、かつての畏怖を感じさせるような威厳はことごとく消え失せて、すっかり優しくなったようだった。彼はファニーを明かりの近くへ引き寄せ、あらためてじっくり顔を眺めてこう言った。「ファニー、元気にしていたかい? いや、わざわざ聞く必要はないね。顔色を見れば元気にしてたことが十分伝わってくるよ」さっきまで蒼白だった彼女の顔はたちまち赤くなった。サー・トマスは、ファニーが健康面でも容姿の面でも等しく向上していると信じることができた。

 サー・トマスは続いてファニーの家族のこと、とりわけ兄のウィリアムについて尋ねてきた。サー・トマスの思いやりあふれる態度から、ファニーは自責の念にかられ、『伯父さまに対してあまり愛情を感じず、帰国するのを災難だと考えていた自分はなんて酷いのだろう』と思った。ファニーは勇気を出して目を上げると、サー・トマスの顔はすっかり様変わりしていた。彼は以前より痩せたようで、熱帯の暑い気候のせいで肌も日焼けして、やつれた顔つきをしていた。これを見たファニーは優しい感情で胸がいっぱいになったが、『サー・トマスはこれから思いも寄らない光景を目にすることになるのだ』と思うと、みじめな気持ちになった。

 サー・トマスはまさに一座の中心人物だった。彼の提案で、いまは全員が暖炉のそばに座っていた。話をする権利が一番あるのはもちろん彼だった。これほど長期に渡って家族と離れたあとに、ふたたび自分の家で過ごせて、家族に囲まれているという嬉しさで、彼は普段よりずっと口数が多くお喋りになっていた。サー・トマスは航海に関するあらゆる逸話を喜んで語り、トムやエドマンドからの質問にも即座に答えた。近ごろアンティグア島での事業が急速に盛んになってきたので、わざわざ定期郵便船を待たなくても、民間の商船に乗る機会に恵まれ、リヴァプールからまっすぐ来ることができたのだ。サー・トマスはバートラム夫人の隣に座り、自分を取り囲むみんなの顔を感慨深く眺めながら、あらゆるこまごました出来事や、到着や出発のようすを次から次へと語った。そして途中一度ならず話を中断しては、こう述べたりした。

「なんの予告もなく帰国したにもかかわらず、家族みんなが揃っていてくれて嬉しいよ。全員が勢揃いしているところを見るのはわたしがまさに望んでいたことだが、まさか叶うとは思っていなかった」

ラッシュワース氏のことも忘れられていなかった。すでにサー・トマスは大変親しみを込めて彼を歓迎し、温かい握手を交わしていた。ラッシュワース氏は、バートラム家と最も親しい関係を結ぶことになる人物として、いまでは特に手厚くもてなされ家族の一員に含められていた。ラッシュワース氏の外見には何も不快なところはなかったので、早くもサー・トマスは彼に好感を抱いた。

 一座の中で、妻のバートラム夫人ほど、全く純粋に愉快な気持ちでサー・トマスの話に耳を傾けていた者はいなかっただろう。バートラム夫人は夫に会えて心から大喜びしていた。夫の突然の帰国で彼女はひどく気持ちが高ぶっていたが、そんな興奮は過去二十年間で味わったことがないくらいだった。じっさい数分間は夫人は舞い上がってしまい、気分が浮き立ったあまり裁縫道具を片付け、自分の側からパグをどかし、夫へありったけの配慮を尽くして、ソファの横の席も譲ってあげた。バートラム夫人は、誰かが自分の喜びを曇らせるという不安を覚えることもなかった。サー・トマスが不在の間、夫人は何のやましいところもなく自分の時間を過ごしてきたのだ。たくさんの刺繍仕事もこなしたし、何ヤードもの房飾りも作った。もし尋ねられれば、若者たちも自分と同じくらい品行方正に有益に過ごしていた、とあっさり答えていたことだろう。バートラム夫人にとって、夫に再会してその話を聞いたり、楽しく耳を傾けたり、彼の語る話にどっぷり浸ったりすることは、本当に喜ばしいことだった。そのためバートラム夫人は「わたしは夫がいなくてこんなにも寂しかったんだわ」と初めて気が付いた。そして、「もしこれ以上サー・トマスの不在が長くなっていたとしたら、きっと自分はとても耐えられなかったわ」とも思った。

 幸福感という点では、ノリス夫人は妹のバートラム夫人とは比べ物にならないくらい不幸だった。けれどもそれは、屋敷の現状をサー・トマスに知られて非難されるという厄介な事態に陥ることを恐れているからではない。なぜならノリス夫人の判断力はあまりにも曇っていたので、素人芝居について何の危機感も抱いていなかったからだ(ただ、サー・トマスが部屋に入ってきた瞬間、本能的な警戒心からラッシュワース氏のピンクのサテンマントだけはサッと隠したが)。そうではなくノリス夫人は、サー・トマスの帰国の仕方に気分を害したのだ。こんな登場の仕方では、彼女の出る幕がなくなってしまうではないか。本来なら自分がサー・トマスに部屋から呼び出され、誰よりも最初に彼と顔を合わせ、彼の帰国という朗報を家中に広める役を仰せつかるはずだったのだ。それなのにサー・トマスときたら──おそらく、少しくらい驚かせても大丈夫なはずだと、妻と子どもたちの神経を信頼していたのだろう──執事以外には誰にも帰宅を知らせず、その執事を連れてまっすぐ客間へと入っていったのだ。ノリス夫人は、これまでずっと当てにしていた自分の役目を奪われたように感じていた。サー・トマスの帰国の知らせだろうが、死亡の知らせだろうが、自分が劇的にそれを発表するはずだったのだ。ノリス夫人は動き回る必要などないのにせかせかと動き回ったり、落ち着きと静けさだけが求められている場で何とかして存在感を出そうと躍起になっていた。もしサー・トマスが食事を取ることに同意していたならば、ノリス夫人はすぐに女中頭のところに行って七面倒な指示を出し、従僕たちを叱り飛ばして急用を言いつけていたことだろう。でもサー・トマスは、夕食は要らないときっぱり言って断った。お茶の時間になるまでは、本当に、本当に何も要らないのだと──お茶の時間まで待ちたいのだと言った。それでもノリス夫人はしきりに別の物を勧めたりした。そして、イングランドへの航海中に起こった最も興味深い場面についてサー・トマスが語り、まさにフランス私掠船への恐怖が最高潮に達したちょうどその瞬間、ノリス夫人は突然話に割って入ってスープを勧めた。

「ねえ、サー・トマス、紅茶よりも一杯のスープのほうがよっぽどお体に良いですわよ。さあ、どうぞスープを召し上がれ」

 サー・トマスは腹を立てることなどできなかった。「相変わらずみんなのことを気遣って心配してばかりいるのですな、ノリス夫人」と彼は答えた。「だが、紅茶以外は何も欲しくないのだよ」

「まあ、それじゃあバートラム夫人、すぐに紅茶を用意するよう命じましょう。執事のバッドリーを少し急がせたほうがいいわ、今夜はなんだかモタモタしているようだから」ノリス夫人はこの点については自分の主張を押し通し、再びサー・トマスの話が続けられた。

 ようやく一段落ついた。さしあたりサー・トマスの話題も尽きたが、彼は自分を取り囲んでいる愛する家族の顔を一人、また一人と嬉しそうに見渡すだけで満足なようだった。しかし沈黙は長くは続かなかった。バートラム夫人が気分が高揚して、お喋りになっていたのだ。そして夫人が次のように話し出したとき、子どもたちは一体どんな気持ちだっただろう!

「ねえ、サー・トマス、最近若い人たちが何をして楽しんでいたと思います? みんな、お芝居をしていたのよ。みんなとっても大張り切りだったわねぇ」

「ほう! それで、何の演目をやっていたんだい?」

「あら! 子どもたちが詳しくお話ししてくれますわ」

「そのうち全てお話ししますよ」トムは素知らぬ風を装いながら、すかさず声を上げた。「でも、わざわざいまお父さまに聞かせるほどの話ではありません。また明日じっくりお聞かせしましょう。ぼくらはちょうどこの一週間ほど、お母さまを楽しませようと思って、いくつかの場面を演じてみようとしたんです、ほんの些細なことですよ。何しろ十月になって以降1、ほとんどずっと雨続きで、ぼくらは何日も家に閉じこもっていたんです。ぼくなんて十月三日からは全く猟銃を持ち出してもいません。最初の三日間はまあまあの成果も上げられたんだけれども、それ以降はとても狩猟に出かけられるような天候じゃありませんでした。初日はマンスフィールドの森に行って、エドマンドはイーストンの先の森林まで向かいましたが、ぼくら二人で十二匹の獲物を持って帰ったんです。たぶん、お互いこの六倍はしとめられたでしょう。でもご安心ください、ぼくらはお父さまのキジにしかるべき敬意を払っているんです。お父さまの森に獲物が以前より減っているなんてことは絶対にありません。マンスフィールドの森があんなにもキジだらけなのを見るのは、今年が初めてですよ。ぜひ近々、お父さまもあの森で狩猟をなさるとよいでしょう」

 これで当面の危機は回避され、ファニーの動揺も収まった。しかし、その後まもなくお茶が運ばれてきたとき、サー・トマスが立ち上がって「懐かしい我が書斎をのぞいて来よう。一度見てこないと落ち着かないからね」と言い出したので、ふたたび一同に緊張が走った。部屋の変わりように覚悟しておくようにと伝えておく暇もなく、彼は行ってしまった。サー・トマスが立ち去ると、恐怖の沈黙が続いた。エドマンドが最初に口を開いた。

「何とかしないとだめだ」

「そろそろお客さんたちのことも考えなきゃ」とマライアは言った。マライアは、まだ自分の手がヘンリー・クロフォードの胸に押し当てられているように感じていて、それ以外のことは気にも留めていなかった。

「ミス・クロフォードはどこにいるの、ファニー?」

ファニーはクロフォード兄妹が帰宅したことを説明し、彼らの伝言を伝えた。

「それじゃあ、イェーツはたった一人ってことか!」トムは叫んだ。「ぼくが行って彼を連れてくる。芝居のことがバレたとしても、あいつなら助けになるだろう」

 劇場に入っていくと、トムはちょうど父親と友人が初めて顔を合わせる瞬間に鉢合わせた。サー・トマスは自分の部屋でロウソクがあかあかと灯されているのを見てびっくり仰天していた2。それから部屋に目をやると、他にも最近人が立ち入った形跡があり、家具も全体的に雑然としていた。ビリヤード室のドアの前から本棚が移されていることに特にびっくりしたが、彼はこれら全てのことに驚きを感じる暇もなかった。なぜなら、ビリヤード室から聞こえてくる声のほうにもっと驚いたからだ。誰かがものすごい大声で話している─聞き覚えのない声だ─いや、話しているというより、ほとんど怒鳴っているようだ。サー・トマスはドアのほうに歩み寄り、すぐにビリヤード室に入れることをその時だけはありがたく思いながら、ドアを開けて入った。すると次の瞬間、自分はなんと劇場の舞台の上に立っていて、大声で絶叫している若い男と向き合っているではないか。その男は、いまにも自分を後ろに張り倒しそうな勢いだ。

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ちょうどイェーツ氏がサー・トマスの姿に気付いて、おそらくいままでの稽古の中でもとびっきり見事な驚きの表情を見せていたその瞬間、トム・バートラムが部屋の反対側から入ってきた。トムは、これほど笑いをこらえるのが大変だったことはないと思った。初めて舞台というものに立って目を白黒させている威厳ある父親の顔つきや、激情に駆られたウィルデンハイム男爵がだんだんと育ちのいい気さくなイェーツ氏に変化していく様子、サー・トマス・バートラムに対してペコペコ頭を下げ謝っているさまは、実にすばらしい見ものだった。これこそ、何があっても見逃せない正真正銘の芝居だとトムは思った。だがこれで最後だ──おそらくこれがこの舞台での最終場面になるだろう。だけど間違いなく、今までで最高の出来だ。マンスフィールド・パーク劇場は、華々しい大成功のうちに幕を下ろすのだ。

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 けれども、愉快な想像に浸って面白がっている暇はほとんどなかった。自分も前に進み出て、二人の紹介を手伝ってやらねばならないのだ。トムは気まずい思いをしながら、精いっぱい紹介役を務めた。サー・トマスは、持ち前の礼儀正しさから、うわべではイェーツ氏を温かく迎えたが、実際は知り合う必要性もないと思っていたし、こんな付き合いの始まり方も不愉快きわまりなかった。イェーツ氏の家族や親戚についてもいろいろと知らされたが、「親友」という紹介も(息子のトムにはそんな「親友」が無数にいた)、ひどく気に食わなかった。サー・トマスがなんとか怒りを抑えるには、また我が家に戻れたという幸福感を噛みしめて、それに伴うあらゆる自制心を働かせることが必要だった。自分自身の家でこんなふうに当惑させられて、くだらない舞台に巻き込まれ、ばかげた芝居の見世物にされたうえに、嫌悪感の湧く若者と知り合いにならざるをえない厄介な事態に陥ってしまうとは、本当に腹立たしい。そんなことにはお構いなしに悠々とした態度で、この5分間ペラペラと饒舌に話すイェーツ氏のようすからすると、二人のうちで我が家のように一番くつろいでいたのはイェーツ氏のようだった。

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 トムは父親の胸中がよく分かったし、どうか父親が怒りを表すなら表情で表すだけにしてほしいと心から祈っていた。そして何やら不快感の理由があるらしいということが、トムにもはっきりと分かり始めた。サー・トマスは意味ありげに部屋の天井と化粧漆喰にちらりと目をやった。それから重々しい口調で穏やかに「ビリヤード台はどこに行ったのかね」と尋ねたが、そのような好奇心を抱いたのも当然だろう。二人にとってそのような不満足な感情は2、3分でもうたくさんだった。イェーツ氏は「模様替えは大成功でしょう?」と熱心に語っていたが、サー・トマスは何とか冷静に同意の言葉をほんの少し口にするのがやっとだった。三人はいっしょに客間へと戻ったが、サー・トマスの顔つきがますます厳粛になっていたことに、イェーツ氏以外の全員が気付いていた。

「おまえたちの劇場から戻ってきたよ」とサー・トマスは腰を下ろしながら落ち着き払って言った。「気付いたら舞台の上に立っていたのでね。わたしの書斎のすぐ隣とは──あらゆる点で度肝を抜かれたよ。おまえたちのお芝居がこんなにも本格的なものとは、まさか想像もしていなかった。だが、ロウソクの照明から判断する限り、どうやらうちのクリストファー・ジャクソンの名に恥じない見事な出来だったようだ」

 それからサー・トマスは話題を変え、コーヒーをすすりながら、先ほどよりも落ち着いた調子で家庭内の話題について話した。けれどもイェーツ氏はサー・トマスの意図を理解できなかった。彼は、他のみんなと同じようにでしゃばらず話に耳を傾けて、一家の主人に会話の主導権を任せるような遠慮も慎み深さも分別もなかったので、また素人芝居に話を戻してしまった。あれこれと芝居に関する発言や質問をしてサー・トマスを苦しめ、ついにはエクルズフォードで芝居が中止になってがっかりさせられたいきさつまで残らず彼に聞かせてしまった。サー・トマスは非常に礼儀正しく耳を傾けてはいたが、その話は最初から最後まで、ことごとく彼の礼儀作法に対する考え方に反するものだったし、イェーツ氏の物の考え方に対する悪印象をさらに強めただけだった。ようやく話が終わったとき、サー・トマスは軽く頭を下げただけで、それ以外に共感の気持ちを示すことはなかった。

「実は、これがぼくたちが芝居を始めたきっかけだったんです」とトムは少し考えてから言った。「友人のイェーツがエクルズフォードから伝染病を持ち込んだようなものなんです。そういった伝染病の菌って、あっという間に蔓延するでしょう──お父さまも以前こういったお芝居をぼくらによく奨励していましたけど、たぶんそれ以上の広まり方です。いわば前例にならったようなものですよ」

 イェーツ氏はすかさずトムからその話題を引き継ぎ、いままでやってきたことや、これからやろうとしていたことを、早速サー・トマスに説明し出した。芝居の計画がだんだんと大がかりになっていったこと──演目探しという最初の難題がうまく解決して『恋人たちの誓い』に決まったこと──期待が持てそうな現在の状況のことなど、あらゆる詳細を話した。説明に熱中していたイェーツ氏はまったく周りが見えていなかったので、座っている彼の友人たちが落ち着きなく身動きをしていることや、顔色を変えてそわそわしていること、「エヘン!」とわざとらしく咳払いをしていることにも全然気付いていなかった。それだけでなくイェーツ氏は、自分がその目で見ているはずのサー・トマスの険しい顔の表情や、その眉間に皺が寄っていくようすにさえも、全然気付いていなかった。サー・トマスは、娘たちとエドマンドに対して──特に後者に対して──問い詰めるような厳しい目を向けていた。その眼差しは非難と叱責の言葉を物語っていて、それはエドマンド自身も身にしみて感じていることだった。ファニーも、エドマンドにおとらず痛切にそれを感じていた。彼女はバートラム夫人のソファの端の背後にある椅子に縮こまって身を隠していたが、目の前で起こっていることをすべて見届けていた。まさかサー・トマスが、エドマンドに対してあんなにも厳しく咎めるような視線を向けるとは、ファニーは思いも寄らなかった。『でも、エドマンドが責められるのもある程度仕方ないんだわ』と感じてしまうのも、本当に悔しいことだった。サー・トマスの眼差しはこうほのめかしているようだった。『おまえの判断力を信頼していたのだぞ、エドマンド。一体おまえは何をしていたのだ?』──ファニーは心のなかで伯父の足元にひれ伏して、こう思いの丈を叫びたいくらいだった。『ああ! エドマンドに対してそんな目で見つめないで下さい! 他の人たちにそういう目は向けても、でも彼に向けるのはどうかやめて下さい!』

 イェーツ氏はまだ喋り続けていた。「正直言いまして、サー・トマス、あなたが今夜帰宅されたとき、ぼくらはちょうどリハーサルの真っ最中だったんですよ。最初の三幕を通して演るつもりだったんですが、全体としては悪くない出来でした。クロフォードさんたちが帰って一座はもうお開きになってしまったので、今夜はもうこれ以上リハーサルはできません。でも、明日の晩にあなたがご同席いただけるなら、必ずや大成功を収めると思います。ご存知の通り、若く未熟な演者たちですから、大目に見ていただくようお願いします。どうか寛大な目でご覧くださるよう」

「寛大な対応を取るつもりではありますが」サー・トマスは重々しく答えた。「しかし、リハーサルはもう行いません」──そしてやや和らいだ笑顔で付け加えて、「我が家に帰ると、幸せで寛大な気持ちになりますからね」それから他の人たちの顔を見渡して、静かに言った。「マンスフィールドからの最後の手紙の中で、クロフォードさんとミス・クロフォードのことが書かれていたね。感じの良い人たちかね?」

 トムだけがすぐに即答することができた。トムは兄妹のどちらにも特別な関心があるわけではなかったし、恋愛の上でも芝居の上でも嫉妬心とは一切無縁だったから、二人について存分に褒めちぎることができたのだ。「クロフォードくんは大変気持ちの良い、紳士的な人です。妹のミス・クロフォードも愛らしく、美人で上品な、溌剌とした女性ですよ」

 ラッシュワース氏はもはやこれ以上黙っていられなかった。「まあ紳士的じゃないとは言いませんけど、でも身長が5フィート8インチ(=約172cm)もないってことは、きみのお父さまにお伝えしたほうがいいんじゃないですか? さもないと、彼が美男子だと思われてしまいますよ」

 サー・トマスは何のことやらさっぱり理解できず、驚きで目を丸くしてラッシュワース氏を見つめた。

「ぼくの考えをあえて言わせてもらうと──」ラッシュワース氏は続けた。「四六時中リハーサルばかりしているのは大嫌いです。楽しいことでも、物には限度というものがあります。ぼくは最初の頃ほどお芝居が好きじゃなくなりました。そんなことをするより、ここでみんなとのんびり座って何もせずにいるほうが、よっぽどいいことだと思います」

 サー・トマスは再びラッシュワース氏のほうに目をやり、同意するような笑みを浮かべて答えた。「この件に関して、わたしたちが同じ気持ちだと分かり、心底嬉しく思いますよ。親のわたしが危険に対して用心深く鋭敏でいることや、子どもたちがためらいを感じないことにもためらいを感じることは、至極当然ですからな。また同様に、家庭の平穏を重んじ、騒々しい娯楽を締め出して静かな家庭を愛するわたしの心は、子どもたちよりも強くあるべきです。しかし、あなたの年齢でこういうことを感じられるとは、あなただけでなく周りにいる全員にとっても好ましい次第ですな。このような心強い同志を持てるのは大切なことと理解しております」

 サー・トマスは、たぶん本人が意図していた以上に、ラッシュワース氏の意見をより優れた言葉で述べてくれた。サー・トマスは、ラッシュワース氏に知性はあまり期待できないと気付いていた。でも判断力も適切でしっかりしていて、話しぶりの拙さはあるにしても、頭ではきちんとした物の考え方をしている青年だとして、彼のことを高く評価するつもりになっていたのだ。他の人たちにとっては笑いをこらえるのがやっとだったが、ラッシュワース氏はこんなにたくさん意味を含んだことを言われて、どうしてよいか分からなかった。でもサー・トマスに褒められてずいぶんと嬉しそうな顔をして、ほとんど何も言わなかった。この精一杯の努力により、ラッシュワース氏の高評価はもう少しだけ長く維持されることになったのだった。

  1. 10月1日は、キジの狩猟解禁日と法律で定められていた。(ちなみに、ヤマウズラは9月1日が狩猟解禁日。)小説内では、現在十月の初め〜半ばごろ。
  2. 当時ロウソクは非常に高価だったため、普通なら誰もいない部屋でロウソクがつけっぱなしにされていることはない。
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