説得 第7章/ウェントワース大佐の到着

説得 説きふせられて ジェイン・オースティン ジェーン・オースティン 翻訳 ウェントワース大佐 ◎説得


 数日後、ウェントワース大佐がケリンチ・ホールにやって来たと分かったので、マスグローヴ氏はさっそく訪問に出かけ、帰宅すると大佐のことを熱心に褒めたたえた。来週末には、クロフト提督夫妻もふくめて、アパークロスでディナーをとる約束も交わされた。ただ、マスグローヴ氏がものすごくがっかりしたことに、来週末より早い日取りにはできなかった。彼としては、ウェントワース大佐を一刻も早く自分の屋敷に招き入れて、ワインセラーの中でも一番上等かつ極上のワインを振る舞うことで、息子のディックに対する感謝の気持ちを示したくてたまらなかったのだ。しかし、一週間は待たなければならない。でもアンの感覚では、たった、、、一週間だった。その後には、必ず大佐と顔を合わせねばならない。やがてアンは、「この一週間だけでも心穏やかに過ごせますように」と願うようになった。

 ウェントワース大佐は、マスグローヴ氏の屋敷へすぐさま返礼の挨拶に訪れた。ところが、なんとアンはまさに同じ頃、本家に向かうところだったのである!──後になって知ったのだが、もしアンとメアリーがそのまま本家へ行っていたなら、必ずや大佐と鉢合わせていたはずだった。けれどもちょうどそのとき、木から落下してしまった長男のチャールズ坊やが家に運び込まれてきたので、アンとメアリーは足止めを食ったのだ。この事故により訪問は完全に中止となり、その後はチャールズの容体について恐ろしい不安にさいなまれたが、アンはその間でさえも、あやうく大佐との遭遇を免れたことを冷静な心境で聞くことはできなかった。

説得 説きふせられて ジェイン・オースティン ジェーン・オースティン 翻訳 ウェントワース大佐

 チャールズ坊やは鎖骨を脱臼しているとわかり、おまけに背中にもひどい怪我していて、恐ろしい考えまで浮かんできたほどだった。その日は大騒ぎの午後となり、アンが何もかも取り仕切らなければならなかった。薬剤師1を呼びにやらせ、チャールズを捜して事故の件を知らせるよう命じ、メアリーを励ましてヒステリーにならないようにした。さらに使用人たちのことも指示監督し、ウォルター坊やを部屋から遠ざけ、怪我をしたチャールズ坊やの介抱もしてなだめてやった。──またアンは、本家にもこのことを知らせなければと気付いたので、すぐに使いの者を走らせた。その結果、マスグローヴ家の人たちがぞろぞろと駆けつけてきたけれども、実際のところ大して役には立たず、ただ恐れおののいて心配そうに質問する人間が増えただけだった。

 やがて義弟のチャールズが帰宅すると、まずは一安心できた。妻の面倒を見るのは、彼がいちばん適任だったからだ。続いてありがたいことに、薬剤師が到着した。診察が終わるまでの間は、容体がはっきりしないせいもあって、みんなの不安は募るばかりだった──大ケガをしているのだろうけども、どこが悪いのか分からないのだ。しかし、鎖骨はすぐに元通りの位置に戻すことができた。薬剤師のロビンソン氏は念入りに患部を触ったりさすったり、深刻そうな顔つきで父親のチャールズや伯母のアンに小声で何か告げたりしていたけれども、大事には至らなそうだった。そんな希望が持てた一同はほっと胸をなでおろし、「それじゃ、いったん夕食をとりに帰ろうか」と言えるほどになった。そして、ちょうどそのときだった。帰り際にマスグローヴ姉妹の二人が、甥っ子の容体についての話題から離れて、ウェントワース大佐訪問のことを話してきたのだ。ルイーザとヘンリエッタは両親より五分ほど長くあとに残って、次のように語った。──

「ウェントワース大佐にお会いできて、すっごく嬉しかったわ! いままで素敵だと思ってたどの知り合いの男性よりもはるかに男前だし、すばらしく感じのいい方だと思ったわ。お父さまが大佐をディナーに誘ってくれて、どれだけ嬉しかったか! でも、『ぼくだけの一存では決められないんです』と言われたときは残念でたまらなかったわ──だけど、お父さまとお母さまがどうかぜひにとお願いすると、『では明日お伺いさせていただきます』って約束してくれて、またすっごく嬉しくなっちゃった! ほんとに明日、明日なのよ! ──しかも、とっても感じのいい口調だったわ、こちらの好意をちゃんと分かってくださってるようで!」

 要するに、ウェントワース大佐の外見も言動も、すべてがすばらしく気品にあふれていたので、二人とも大佐にすっかり魅了されたのだった! ──そうしてマスグローヴ姉妹は恋心に胸弾ませながら、大はしゃぎで走り去っていった。どうやら二人とも、チャールズ坊やのことよりも、ウェントワース大佐のことで頭がいっぱいのようだった。

 夕暮れ時になって、マスグローヴ氏とマスグローヴ姉妹がふたたびお見舞いに訪れたときも、またもや同じような話が、同じようなうっとりとした口調で繰り返された。マスグローヴ氏は、もうチャールズ坊やには最初のときほど不安を覚えなくなっていたので、娘たちと一緒になってウェントワース大佐を褒め上げ、招待の件は確かだと請け合った。そして希望を込めた口ぶりでこう言った。

「これなら大佐の招待を延期する必要はないだろうね。ただ、きみたちが来られそうにないのが残念だ。チャールズ坊やを置き去りにしたくはないだろうからね」

「まさか! 置いていくなんて、とんでもない!」とチャールズ・マスグローヴとメアリーが叫んだ。二人とも、さっきまでの恐怖心がまだ強く残っていたので、子供を置いていくなど考えられなかったのだ。アンのほうはというと、大佐との顔合わせを避けられたことを内心嬉しく思いながら、メアリーたちと口をそろえて、「チャールズ坊やを残していくなんてありえませんわ」と熱心に反対意見を述べた。

 ところが、あとになって、チャールズ・マスグローヴはすこし行きたそうなそぶりを見せた。

「坊やもだんだん快復してきているし、ウェントワース大佐ともぜひお近づきになりたいから、ぼくも加わらせてもらおうかな。あちらでディナーに参加まではしないけど、ちょっと歩いて行って三十分ほど顔を出してこようかな」

しかし、これには彼の妻が猛反対した。

「まあ! チャールズ、あなたが行くなんてとんでもない! 何か起こったら一体どうするつもり?」

 チャールズ坊やはその夜よく眠り、翌日も経過は良好だった。脊椎に損傷はないと確認できるまで、本来ならしばらくかかるはずだったが、ロビンソン氏の診察では、特に心配なほどの異常は見つからなかった。そのためチャールズ・マスグローヴは、「もう自分はこれ以上家に閉じこもっている必要はないのでは?」と感じてきた。坊やはできるだけベッドで安静にして過ごす必要があったけれども、父親にできることなど何もない。看病というのは完全に女性の役目だし、何の役にも立たないのにずっと家に閉じこもっているなんて、まったくばかばかしい。父さんだってウェントワース大佐と自分を会わせたがっているし、それに反対すべき理由もないのだから、自分は行くべきなのだ。そしてついに、チャールズは狩猟から帰ってくると、家族の前で堂々と宣言した。自分はこれからすぐに着替えをして、本家のほうでディナーをとってくるつもりだ、と。

「坊やはこれ以上ないくらい順調に回復しているよ」とチャールズは言った。「だからつい今さっき父さんにも、自分も本家を訪れるつもりだと伝えてきたんだ。父さんもそれが当然だと言ってくれた。きみにはアンが付いててくれるんだから、ぼくには何のためらいもないよ。きみはあの子のそばを離れたくないだろうけれど、ぼくがいたって何の役にも立たないしね。もし何かあったらアンがぼくを呼びにやってくれるさ」

 夫婦というものはたいがい、いくら相手に反対しようが無駄なときは無駄だと分かるものである。メアリーは、チャールズの話しぶりから、彼は本家に行く意志をすっかり固めており、何を言おうが無駄だと悟った。そのため彼が部屋を出て行くまでは黙っていたが、聞き手がアンだけになると、すぐにこうぶちまけた。

「そう! それじゃ、アンとわたしだけが残って何とかしろってことね! こんな可哀想な病気の子を抱えて。──今夜は誰一人コテージには寄ってこないってことね! こうなると思ってたわ。わたしっていつもそうなのよ、運が悪いの! 何か面倒なことが起きると、男の人って必ず逃げ出そうとするし、チャールズだってそんな連中と大して変わりないわ。ほんとに思いやりがないんだから! こんな気の毒な坊やを置いて出かけるなんて、薄情ったらありゃしない。『坊やは順調に回復しているよ』ですって! あの子が順調に回復してるだとか、三十分経っても容体が急変するはずないとか、どうしてチャールズにそんなことが分かるの? チャールズがこんなにも冷たい人だとは思わなかったわ。それじゃ、あの人は外へ出かけていってお楽しみになるってわけね。そして、わたしは哀れな母親だから、一歩も外に出ちゃいけないって言うんでしょ。──だけどわたし、坊やのそばに付き添うのには誰よりも向いてないと思うの。わたしは母親だからこそ、看病してると余計つらくなってしまうし、こんな思いをさせられるべきじゃないのよ。到底耐えられないわ。ねえアン、昨日わたしがどんなにヒステリーを起こしていたか見たでしょ?」

「でもそれは、突然のことでびっくりしてショックを受けたからよ。もうヒステリーを起こすことはないわ。きっと、心配するようなことも起きないでしょう。ロビンソン先生のご指示はわたしが完璧に理解しているから、何も不安もないわ。それにねメアリー、私はチャールズの気持ちもよく分かるの。病人の世話というのは男性には不向きだし、男性の領分ではないもの2。病気の子どもはいつだって母親のものよ。母性愛があるからこそ、看病は自然と母親の役割になるのよ」

「わたしだって、世の母親並みにはあの子を愛しているつもりよ──だけど、病室で役立たずなことにかけてはわたしもチャールズといい勝負だわ。だって、可哀想な坊やが病気のときに叱ったり小言を言ったりなんてできないもの。あなたも今朝見たでしょ、わたしがあの子に静かにしなさいって言ったら、足をジタバタさせて暴れ出したじゃない。わたしの神経はあんなことに耐えられないのよ」

「でも、病気の子どもを置いて一晩中よそで過ごすなんて、あなた自身気が気じゃないんじゃないかしら?」

「いいえ、平気よ。夫がああして過ごせるんだもの、わたしにもできないはずがないでしょ?──子守のジェマイマだってすごくしっかりした子よ! それに、坊やの様子を毎時間知らせに来てもらうことだってできるわ。チャールズったら、いっそのこと、わたしたちみんなで行きますってお義父さまに伝えてくれればよかったのに。チャールズと同じく、わたしも今はそれほど坊やのことが心配じゃないんですもの。昨日は恐ろしく気が動転してしまったけど、今日は全然状況が違うんだから」

「まぁそれじゃ──あちらへの連絡が直前でもかまわないのなら、チャールズと一緒にあなたも出席したらどうかしら。坊やはわたしがお世話しておくわ。マスグローヴご夫妻も、わたしが坊やに付き添っていれば、気になさらないでしょう」

「ほんと?」メアリーは目を輝かせながら叫んだ。「まあ! なんてすばらしいアイディアかしら! たしかに、わたしが家にいたって役に立たないんだから、行ったほうがいいわよね──そうでしょ? 家にいたってイライラするだけだもの。アンには母親としての情愛がない分、かえって適任だわ。あなたなら坊やに何でもさせられるもの。あの子、あなたの言うことなら何でも聞くんだから。ジェマイマだけに任せて預けていくよりずっといいわ。ああ! 絶対行きたいわ。チャールズと同じように、わたしだって行けるなら行くべきよ。だってお義父さまもお義母さまも、ウェントワース大佐とわたしが知り合いになることをお望みなんですもの。それにアンだって、一人で残っても別に気にしないわよね。まさに名案だわ、アン! すぐにチャールズに伝えに行って着替えの準備をしてくるわね。万が一何か起きたら、すぐにわたしたちを呼びにやらせてちょうだいね。でも、何も心配ないはずよ。これだけは確かだけど、愛しいわが子のことがほんのちょっとでも心配なら、わたしだって出かけたりしないわ」

 次の瞬間には、メアリーは夫の化粧部屋のドアをノックしていた。アンが階段を上がってその後を追うと、ちょうど会話が始まったところだった。メアリーは大喜びでこう切り出した。

「わたしもあなたと一緒に行くことにしたわ、チャールズ。わたしが家にいたって何の役にも立たないもの。坊やとずっと家に閉じこもってたとしても、あの子の嫌がることをさせるなんて無理よ。それでね、アンが残ってくれるんですって。アンが家に残って、あの子の面倒を見るって引き受けてくれたの。アン本人が申し出てくれたんだから、わたしもあなたと一緒に行くわ。この前の火曜日以来、あちらでディナーをとってないんだから、そのほうがずっといいでしょ」

「じつに親切だね、アンは!」と夫は答えた。「きみも一緒に行ってくれるなら嬉しいよ。でも、ぼくらの病気の子どもを看病してもらうために、アン一人を家に残していくというのは、なんだかちょっと酷い気もするけどね」

 アンは即座に、自分は残っても別にかまわないときっぱり表明した。それがたいそう真剣な態度だったので、チャールズもすぐに納得した。そうやって納得するのが彼としてもたいへん好都合だったから、アンを一人残して夕食をとらせることに、それ以上の後ろめたさは感じなかった。それでもチャールズは、できればアンにも加わってほしかったので、「夜になって坊やが眠ったら、きみもぜひおいでよ。迎えにやらせるからさ」と親切に言ってくれた。しかしアンは決して説得に乗るつもりはなかった。そんなわけで、まもなくアンは、チャールズとメアリーが上機嫌で出かけていくのを喜んで見送ることとなった。どんなに風変わりな形の幸せであれ、こうして出かけられたことで、二人が幸せでありますようにとアンは願った。後に残されたアン自身はというと、おそらくこれ以上ないほど安堵していた。アンは、チャールズ坊やにとって自分こそ一番役に立てる存在だと分かっていた。それにたとえもし、フレデリック・ウェントワース大佐がたった半マイル先でみんなに愛想よく振る舞っていようが、自分には関係のないことではないか!

 とはいえアンも、再会についてウェントワース大佐がどう感じているのか知りたいと思っただろう。たぶん、無関心なのかもしれない──そんな状況下で、無関心などということがありえるのならばだが。きっと彼は無関心であるか、あるいは乗り気でないのだろう。なぜなら、もしいままでに彼がアンにまた会いたいと願っていたのなら、この時まで待つ必要などなかったはずだからだ。もし自分が彼の立場だったならば、とっくの昔に取っていたはずの行動を、彼も取っていたにちがいない──つまり、もし彼がまだアンを愛していたのなら、海軍で昇進して早々と財産を手に入れたときに、再び会いに来てくれていたはずなのだ。財産だけが、当時彼に欠けていたものなのだから。

 チャールズとメアリーは新しい知人をすっかり気に入り、訪問にも大満足で帰宅した。音楽や歌にあふれ、おしゃべりや笑いが絶えず、たいへん楽しいひとときだったという。ウェントワース大佐の物腰は魅力的で、内気さやよそよそしさは一切なかった。一同はすっかり意気投合し、おまけに翌朝には、チャールズと狩猟に出かける約束までしたという。ウェントワース大佐は朝食にも同席する予定なのだが、こちらのコテージではなく、本家のほうでとることにしたらしい。最初はコテージでとることも提案されてはいたのだが、ぜひにとせがまれ、代わりに本家のほうで朝食をとることになったのだ。ウェントワース大佐としても、病気の坊やのこともあり、チャールズ・マスグローヴ夫人のお邪魔になるので遠慮しているようだった。そういうわけで、どういう流れなのかはよく分からなかったが、結局父親の屋敷で朝食をとることになったのだった。

 アンにはよく分かっていた。彼は自分に会うのを避けたいのだ。話によると、大佐は「アンさんはお元気ですか」とさりげなく尋ねたらしいのだが、単なる昔の知り合いのような感じで聞いただけのようだった。アンは周囲の人たちに対してその程度の関係だと認めていたが、彼もそのように認めているようだった。たぶん、顔合わせのときに初対面として紹介されることを避けたいという、自分と同じような動機だったのかもしれない。

 常日頃から、アパークロス・コテージの朝食の時間は本家よりも遅かった3。翌朝は特に遅かったので、メアリーとアンがようやく朝食を食べ始めようかというときに、チャールズがもう本家から戻ってきて、「いまから狩猟に出かけるよ、犬を連れに来たんだ」と言った。また、ルイーザとヘンリエッタがウェントワース大佐とともにこちらへ向かっており、メアリーとチャールズ坊やのお見舞いの訪問に来るつもりだと言った。ウェントワース大佐も、もしご迷惑でなければ、ほんの少しメアリーに挨拶がしたいと申し出たそうだ。チャールズは、「訪ねていただいて迷惑になるほど、坊やの病状はひどいものじゃありませんよ」と請け合ったのだが、ウェントワース大佐は、チャールズを先回りさせて事前にお知らせしてからの訪問でないと、気が済まなかったそうだ。

 メアリーはこのお気遣いにたいそうご満悦で、「喜んで大佐をお迎えするわ」と言った。アンの心中では何千もの感情が去来したけれども、ただ最も心の慰めになったのは、その訪問がすぐに終わりそうだということだった。そして実際、あっという間に終わった。チャールズの予告から二分もしないうちに他の人たちが現れ、客間に集まった。アンはウェントワース大佐と目が合った。大佐は一礼し、アンは膝を折ってお辞儀をした。彼の声が聞こえてきた──彼はメアリーに話しかけていて、その場にふさわしい挨拶をしていた。マスグローヴ姉妹にも何か言っていて、明らかに仲の良い間柄らしく見えた。部屋はまるで大勢の人たちや喋り声でいっぱいのようだ。だが、それも二、三分でお開きとなった。チャールズが窓辺に姿を現し、準備万端となったので、訪問客たちはお辞儀をして出ていった。マスグローヴ姉妹も、男性陣と村のはずれまで歩いて行くことに急遽決めたので、一緒になって出ていった。部屋にはすっかり人がいなくなり、アンは心ゆくまで朝食をとることができた。

「終わった! これで終わったんだわ!」とアンは何度も何度も繰り返した。緊張で気が高ぶりながらも、天に感謝したいような気分だった。「最悪のところは終わったんだわ!」

 メアリーはずっとお喋りしていたが、アンはその相手をすることはできなかった。わたしは、彼に会ったのだ。二人は顔を合わせたのだ。わたしたちはまさに同じ部屋にいて、再会したのだ!

 けれども、アンはすぐさま理性的になろうと努め、少しでも気持ちを落ち着かせようとした。八年、すべてをあきらめてから、もう八年が過ぎたのだ。いまになってまた動揺するなんて、ばかげている! そんな心の動揺は、時の隔たりによってはるか彼方へ追いやられ、おぼろげになったはずなのに。八年もあれば、できないことなどないのだ。あらゆる出来事、変化、別れ、転居──そのすべてがその期間に詰まっているにちがいない。過去の出来事を忘れ去ってしまうのは自然なことだし、避けられないことでもあるのだ! 八年という年月はアンの人生のほぼ三分の一を占めているのだから、忘れるのが当然だろう。

 しかし、ああ! どれほど理性を働かせようとも、自分の未練がましい感情にとっては、八年という歳月でさえもほとんど無に等しいのかもしれない──アンはそう思った。

 それでは、彼の本心をどう読み取ればいいのだろう? 彼はわたしを避けたいのかしら? そう考えた次の瞬間、アンはそんな疑問を抱く自分の愚かさが嫌になった。

 だが、もう一つの別の疑問──つまり、「彼はいまわたしのことをどう思っているのかしら?」という疑問については、おそらくアンの最大限の分別をもってしても抑えられなかっただろうが、すぐに思い悩む必要がなくなった。というのも、マスグローブ姉妹が戻ってきてコテージへの訪問を終えて帰った後、メアリーから思いがけずこんな話を聞かされたからだ。

「ねえアン、ウェントワース大佐はあなたにはあんまり親切じゃなかったわね。わたしにはすごく丁重だったけど。みんなで出かけてたときにヘンリエッタが大佐に聞いてみたそうよ、アンさんのことをどう思いますか?って。そしたら『すっかり変わってしまったので、どなたか分からないくらいでした』って答えたんですって」

 メアリーは、世間一般的な意味での、姉妹を思いやる気持ちというものを一切持ち合わせていなかった。けれどもあくまで彼女に悪意はなく、自分が相手を特別深く傷つけている自覚はまるでなかった。

 『誰だか分からないほど、変わってしまっていた!』アンは静かに深い屈辱を覚えながら、その言葉を噛みしめた。間違いなくその通りだった。そしてアンのほうからやり返すことはできなかった。なぜなら、彼のほうはちっとも変わっていなかったからだ。少なくとも、悪い方向には変わっていなかった。アンは自分の容貌が変化してしまったことをすでに認めていたし、相手が自分をどう思ったとしても、彼に対する意見を変えることはできなかった。そう、年月を経て、アンの若さと娘盛りの美しさは失われたけれども、ウェントワース大佐のほうはむしろいっそう男らしく輝き、颯爽とした外見で、どの点からしてもその魅力は損なわれていなかった。アンが目にしたのは、あの頃と同じままのフレデリック・ウェントワースだった。

『すっかり変わっていて、誰だか分からないほどだった!』この言葉はどうしてもアンの心から離れなかった。でもアンはすぐに、それを聞けてよかったと思うようになった。おかげで冷静になることができたし、動揺も鎮められた。その言葉は心を落ち着かせてくれて、結果的にアンをより幸せにしてくれるはずだからだ。

 フレデリック・ウェントワースはそういった言葉、あるいはそんな感じの言葉を使ったが、それがアンの耳にまで届くとは夢にも思っていなかった。たしかに彼は、アンがずいぶん変わり果ててしまったと思ったのだが、ヘンリエッタから問いかけられた瞬間に、感じたままのことを口にしたのだ。彼はまだアン・エリオットを許していなかった。アンは彼にひどいことをした。自分を見捨てて失望させたのだ。なお悪いことに、それによってアンは性格の弱さを見せた。きっぱりとした自信に満ちあふれた性格の彼としては、それは我慢ならないものだった。アンは他人の言いなりになって彼をあきらめたのだ。それは説得に屈してしまった結果であり、彼女自身の弱さと臆病さによるものであった。

 アンはずっとウェントワース大佐の最愛の女性だったし、あれ以来、アンに匹敵するほどの女性には一度も出会っていなかった。しかし、多少の自然な好奇心を別にすれば、アンにまた会いたいとは思わなかった。彼に対するアンの影響力は、永久に失われてしまったのだ。

 ウェントワース大佐の今の目的は結婚であった。いまや財産もあり、休暇で陸に戻ってきたので、心惹かれる女性がいれば、すぐにでも結婚する気満々だった。実際周囲を見渡してみて、いつでもすぐに恋に落ちる心構えができていた──すぐにとはいっても、彼の冷静な判断力と直感的な好みにかなえばだが。もし相手にその気がありさえすれば、マスグローヴ姉妹のどちらかに思いを定めるつもりだった。というのはつまり、自分の目の前に現れた気立ての良い若い女性なら誰とでも、彼は恋に落ちるつもりだった──ただし唯一、アン・エリオットを除いて。姉のクロフト提督夫人から、「あなたもそろそろ身を固めるつもりはないの?」と問いかけられて答えたときも、ウェントワース大佐はひそかにこの例外を心に置いていた。

「ええそうですよ、ソファイア姉さん。ぼくはいつでも軽はずみな結婚をする準備ができています。十五歳から三十歳の女性であれば、誰でもぼくを射止められるでしょうね。それなりに美人で、ちょっとばかり微笑みかけてくれて、海軍のことを少々褒めてくれれば、ぼくはもうイチコロですよ。女性との接点が全然なくて、好みにやかましくない海軍軍人には、この程度の条件で十分じゃありませんか?」

 ウェントワース大佐はこう答えたけれども、クロフト提督夫人にはちゃんと分かっていた。弟はただ、「そんなはずないわよ」と否定されたくて、あえてそう言っているだけなのだと。彼のキラキラと輝く誇らしげな瞳は、『自分は女性についてこだわりが強いのだ』ということを雄弁に物語っていた。そして、彼がもっと真面目な口調で理想の女性像について語っていたとき、アン・エリオットのことが念頭にないわけではなかった。

「意志が強くて、愛らしい物腰の女性が理想ですね」というのが、ウェントワース大佐の終始一貫した言葉だった。「これこそぼくの求める女性です。もちろん、ちょっとくらいの欠点には目をつぶるけども、あんまり欠点が多すぎてもいけないな。もしぼくがばかだというのなら、たしかにばかなんでしょう。何しろぼくは、こういった問題について、人一倍考え抜いているんですからね」

 

 

注

  1. 当時の薬剤師(apothecary)は、簡単な外科処置や診断も行い、地域の町医者のような役割も担っていた。
  2. アンの意見は、当時の性別による役割分担意識と慣習を反映している。当時、女性は生まれつき看護に向いているものだと思われていた。また、一般的に病人は自宅で看病されていたが、その役目は家族のうちの女性メンバーや女性の使用人が担っていた。病院は存在していたものの、あくまでも貧者に対する慈善的な組織であった。アンの進んで看病を引き受ける姿勢や、明らかにその方面に適性があることは、アンが家庭的な資質を備えていることを示している。ラッセル夫人は、アンにはそうした家庭的な資質があるからこそ、彼女が妻や母親になるべきだと考えているのである。またそうした資質のせいで、現在独身であるアンの切なさがより一層際立っている。(参考:Jane Austen, David M. Shapard, The Annotated Persuasion, Anchor, 2017. )
  3. この朝食の時間の違いは、おそらくメアリーの実家暮らしの頃の習慣による。一般的に、当時は上流階級の人々ほど遅い朝食をとっていた。裕福な上流階級の人たちは、たいてい夕食の時間が遅く、就寝や起床もその分遅くなるからである。朝食時間の違いは階級の違いを反映するため、メアリーは結婚後もこの習慣を維持しているのであろう。(参考:Jane Austen, David M. Shapard, The Annotated Persuasion, Anchor, 2017. )
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